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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第五幕・夢見草

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夢見草(3)




 そろそろ帰りたいんだが、と桜の花妖に掛け合うと、花妖はたくらみ顔で笑った。


「うちのこと綺麗きれぇに《《描き直して》》くれはったら、帰らしたらんこともない。……どないしはる?」


 そう言って己は姿を消し、花妖の立っていた場所には筆と紙、絵具類が揃って残された。


 夢を視ているのか、そうでないのか。


 女の顔は目に焼きついているが、例えば着物の柄が全く思い出せず、愁水は中空でいたずらに筆を遊ばせた。


「……閉じ込める気満々じゃねえか」


 愁水はぼやいたが、その声に毒気が足りないという自覚はあった。


 明確な悪意であれば対処の仕様もあるが、この花妖はなぜか愁水を待ちわびていたようで、強く突き放すのも躊躇ためらわれる。


 ともかく、と桜の古木や仙郷の山々、楼閣といった背景を先に描いていると、見知らぬ男が愁水の名を呼んだ。


 狩衣姿の、三十半ば程の男だ。公家かと思ったが、それにしてはまとう空気が鋭く、立ち姿にも隙がない。


「……あんた、誰だ?」


 つい声に険が宿り、きまりが悪くなる。しかし顔を見ると、どうも気に食わなかった。


 柔和な笑みを浮かべているものの、目の奥が笑っていない。一言で言ってしまえば――胡散うさん臭いのだ。


「私は朧という。もっとも、通り名のようなものだけれどね」


「俺を知っているのか?」


「知っているとも。化物絵師、と呼ばれているだろう。雪華も名うての絵師だったが、君はもっと高みを目指せるはずだ。《《雑事》》に囚われず、この先も精進するといい」


 朧と名乗る男は、優美に笑ってみせた。


 平安の貴族のようだと思ったのは、狩衣姿に整った目鼻立ちのためか、それとも――権謀術数に長けた者に特有の、煙に巻くような話術のためだろうか。


「高み、な。その根拠はなんだ?」


「雪華は色恋に囚われ、似たようなものしか描けなくなった。君は違うだろう。哀れみと情を示すことはあっても、一人の人間に固執することはない。……違うか?」


 思わず舌打ちが出た。花妖よりよほど、化物じみている。朧という名にも、妙に納得するものがあった。朧月夜のように、掴み所のない男だ。


「絵を見ただけで、そこまでわかるもんか?」


「さてね。私がそう思っただけだから。気を悪くしたならびよう。なにせ、絵に詳しいわけではないのでね。〈依頼主〉に託されたこの絵も、何を描いたのかさっぱりだ」


 男が手に持っていた掛け軸を、ひらひらと揺らしてみせた。


 背景の濃淡の使い分けや輪郭線から雪華の作とわかるが、こんな〈遊び心〉のあるものも描けたのかと、意表をつかれた。


「そりゃ、〈鞘絵さやえ〉じゃねえか」


「鞘絵とは?」


「貸してみろ」


 朧と名乗る男から掛け軸を受け取った愁水は、濡れ縁の床に絵を広げ、脇差を抜いた。


 朧が興味深そうに、愁水の手元を覗き込んでくる。


「絵を斬るのか?」


「まさか」


 そう応じながら、愁水は横目で朧を観察する。


 驚かせようと思ったわけではないが、刃物に慣れていなさそうな風貌の割に、刀身に顔を近づけることに躊躇ためらいはないらしい。


 依頼主、という言葉から、人間であることは確かなのだが――。


「用があるのは鞘のほうだ。黒蝋塗の鞘の湾曲面に絵を写すと、平たく描いてある絵が正しく見えるだろ。和蘭オランダ伝来の写し絵ってやつだ」


「ああ、鞘写しの絵というわけか」


 鞘に写して見れば、女の着物の柄がよく見えた。


 愁水がどうしても思い出せなかった、花妖の着物の柄は――。


「流水に花筏はないかだか。和歌は……これじゃ、読めねえな」


 和歌の鏡文字も反転しているが、焼けなどの損傷のせいで判然とせず、愁水は前髪を掻き乱した。


 柄がわかっても、意匠に秘められた意味を見抜けなければ、花妖の望む通りに描くことはできない。


 散った桜は儚さを表すが、水面で筏のように流れていく花弁は違う。


「散ってもなお美しい、か……?」


 絵師が男なら、女への賛美とわかるのだが。


「――あるいは、希望かな。門出とも言うのだろうが」


「希望?」


 愁水が聞き返すと、朧は皮肉げに笑った。見方によっては、痛みをこらえるように見えたかもしれない。何にせよ、人間味のある表情には違いなかった。


「過去の終わりが、新しい始まりへと繋がる……雪華からの言祝ことほぎだろう」


 そう言いつつ、朧自身がに落ちていない顔だった。


 愁水も何となくだが、違うだろうという気がしている。


 雪華が言いたくても、言えなかったこと。


 最期まで心残りにしていたことは――。


「――娘がいると、相手に伝えたかったんじゃねえか」


「うん?」


「雪華には娘がいる。孫娘もな。――流水紋だ。えにしは続いているって言いたかったんじゃねえか?」


 流水は、途切れることがない。意匠に用いるとすれば、それは縁やさちが続いていくことを意味するものだ。


「なるほど。依頼主は絵が怪事を起こすのは理由あってのことだろうと、雪華を酷く案じていたよ。雪華は――?」


「この春先に亡くなった」


「そうか。だが、君のおかげで吉報も伝えられるな。礼を言う」


「礼はいらねえよ。俺もここから出られなくて、困っていたからな。着物の柄がわかりゃ、何とかなる」


「……依頼主は公家だ。絵の修復、君が請け負うか?」


 ふと、朧が思いついたように言った。何故こちらを気にかけるのかと疑問に思ったが、それならばと、一つ頼むことにした。


「雪華の娘も絵師だ。修復なら、娘に頼んでやってくれ」


 愁水は懐の短冊に娘の住む長屋の場所を書き、朧に手渡した。


「わかった。任されよう。――さて、君もそろそろ帰れるようだ」


 朧が愁水の背後に目をやり、苦笑して言った。


 振り返れば、花妖があるものを抱えて、愁水の背後に立っていた。


 ――虎の足だった。





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