夢見草(4)
「――うちの寿命はとっくに尽きとった。雪華が鵺の血朱でうちを描いたから、ここまで生き永らえとっただけ」
桜の花妖は、愁水の腕にそっと虎の足――鵺の一部を預けた。
「鵺の血を通して、愁水のこと、ずっと見とったんよ。うちも、雪華みたいに懸想してみとうて。……愁水、うちを描いた絵、捨てたらあかんよ?」
花妖の指先から、姿形が崩れて、桜の花弁へと転じていく。
「お前――」
死期が近いようではあったが、それは今日ではなかったはずだ。
愁水は腕に残った鵺の体を見遣り、憤った。
どういう経緯か知らないが、雪華の手に入れた鵺の一部を、この花妖が己の宿る絵に隠していたらしい。
――いつか、愁水に渡すために。
鵺の体には並みの化物とは比べ物にならないほどの穢れが溜まっている。
陰陽五行に当てはめることができない混沌の象徴、数々の逸話。
そんな体を一部とはいえ、身の内に隠し続けてきたのだから、寿命を縮めるのは当然のことだった。
礼を言う気になどなれなかった。何故、という疑問ばかりが頭に渦巻いている。
「探しものかい? 見つかって良かったじゃないか」
仕方がないな、と言いたげな顔で、朧が愁水の肩に手を置いた。
「……てめえを犠牲にするやり方が、良いわけねえだろうが」
愁水の言葉に、朧は蛇のように目を細めた。何が朧の《《尾》》を踏んだのかはわからないが、やっとこの男の素の顔が垣間見えたようだった。
「幸せはそれぞれだ。例え、他人からは不幸せに見えたとしてもね。その願いを否定する権利は、誰にもないはずだろう?」
「他人に迷惑かけなけりゃな。だが、そういうわけにはいかねえだろ?」
「――違いない」
朧が、低く声をあげて笑う。
「それでも、己の〈終わり方〉を選べるのは幸いだと思うが。君とは、気が合わないみたいだ」
「奇遇だな。俺も同じことを考えた」
ふふ、と毒のある笑みを浮かべた朧が、愁水の額に二本の指先を押し当てた。
「何を……」
「――鵺はお前に預けておこう、愁水」
起きろ、という声が、聞き慣れた声と重なった。
「――起きろ、愁水」
肩を揺すられたあと、胸倉を捕まれて首が締まった。
「てめえ、もうちっと穏やかに起こせねえのかっ?」
「何度も起こした。帰って来ないと思えば……こんな所で眠るのは獣だぞ」
顔を覗き込んでいた嗣巳がぞんざいに手を離し、愁水は体勢を崩して背中から倒れた。
毒づきながら体を起こせば、空は黎明の菫平色で、愁水は雑草の生い茂る平地に寝転がっていた。
「……夢、じゃねえな」
愁水の腕には、虎の足があった。周囲に民家はないが、通りかかる者があれば騒ぎになっただろう。
天を仰げば、葉桜となった古木が最後の花弁を散らしていた。
「この桜、根が死んでいるな。……何があったか、全て話せよ。鵺の体なんて、どこでどんな無茶をして見つけた?」
全てと言われても、愁水にとっては夢のなかの出来事に等しく、例えば狩衣姿の男の名や会話などは、思い出そうとすると曖昧にぼやけてしまう。
愁水は面倒になって、嗣巳の小言を片手で遮った。
「わかってる。それよりせっかくだから、花見でもしていこうぜ」
葉桜でか、という言葉は呑み込んだらしく、嗣巳は愁水が庵に置いてきた羽織を頭の上に落としてきた。
黙って桜を見上げていると、ややあって嗣巳が口を開いた。
「酒もないのに花見とは……」
「肴なら、これで充分だろ」
嗣巳の手に押しつけた虎の足が、体に吸い込まれて消える。
「――これで、体は全部揃ったな。感想はどうだ?」
愁水がにっと笑いかければ、嗣巳は苦い顔で応じた。
「ああ、感動して泣けてくるな」
嗣巳の渋面をひとしきり笑って、愁水は立ち上がった。上向けた手で桜の花弁を掴んだが、手を開くと雪のように溶けてなくなっていた。
「帰るぞ」
短くそう言って、嗣巳が鵺の姿に転じた。
「なんだ、乗せてくれるのか」
「……お前に合わせて歩くのは面倒だ」
おそらく遠回しな礼なのだと察して、愁水は笑いを噛み殺してその背に飛び乗った。
四肢を取り戻した鵺が大地を蹴り、飛翔する。広大な地を眼下に、鵺と共に朝焼けの空を駆けてゆく。
愁水はふと、覚えのある感覚だと思った。もっと幼い頃、こんなふうに獣の背に乗って、空を飛んだことがあったような気がする。
思ったまま嗣巳に話してみたが、気のせいだろうと鼻で笑われた。
また、はぐらかされたような気がする。
愁水は嗣巳の〈嘘〉に気づいていたが、それ以上何も問わなかった。
今は、まだ――。
第一部:呪物編 了




