百々目鬼(3)
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「――あんた、わざと手を抜いただろ」
先頭を歩いていた愁水が、振り返って言った。
盗賊の女頭目――百々目鬼の命令で、真澄が薪拾い、愁水が狩猟のために、雪の残る山中を歩きだしてすぐのことだった。
何のことかと思えば、それは真澄にではなく、監視としてつけられた久蔵――その正体は、火盗改だが――に、向けられた言葉だった。
先程久蔵が斬りかかり、愁水が太刀取りをした件について、言っているらしい。
「手ぇ抜いて、俺に何の得がある?」
不惑(*)になる男が静かに凄んでみせると、なかなか迫力がある。しかし、愁水は怯まなかった。
「杜撰な構えに見せかけていたが、構えないことが構え……柳生新陰流の、無形ってやつだろ?」
「何……?」
「上段から刀を振り下ろすのに、無駄な予備動作がなかった。ありゃ、一太刀で制圧する刀だ。だが、示現流ほど攻撃的でもない。一刀流でもねえな。円を描くような足捌き……一刀流なら、相手の正中線に沿って真っ直ぐ進むだろ」
真澄はつい聞き入っていたが、久蔵が遮った。
「何が言いたい?」
「わかってんだろ。柳生新陰流は将軍家の兵法指南役、御留流だ(*)。町道場で習えるもんじゃねえ。――あんた、武士だろ?」
愁水は最後まで言わなかったが、諸国まで盗賊を追う武士となれば、真っ先に思いつくのは火盗改だ。
「俺はただの絵師だ。化物絵専門のな。わざと捕まったのは俺も同じだが、あんたらの邪魔をするつもりはねえんだ。造酒に使われているスイカズラの、出所が知りたい。それだけだ」
ただの絵師、では語弊があると思ったが、太平の世では、武士が画業に就くのも珍しい話ではない。
「化物絵が専門、か。酔狂だな」
久蔵は呟いたが、声音がいくらか和らいでいた。
「愁水と言ったか。お前さん、出所を知ってどうする気だ」
「鵺の身体がこれ以上悪用されねえように、あるべき場所に戻してやる」
愁水自身が悪用しないという保証はどこにもないのだが、瞳は力強く、澄んでいる。
「ああ、それが出来るものなら、こちらも助かるな」
久蔵のその言葉が、了承の合図だった。束の間の、共同戦線だ。
「いいか、愁水。俺の役目は、百々目鬼と売人――スイカズラの株を売りに来る〈商人〉の捕縛だ。最終的には、製造者もな。その過程で鵺の体とやらが手元にくれば、処理はお前に任せよう」
警戒心の強さと苛烈な制裁で知られる男にしては、随分と甘い。
真澄は意外に思ったが、久蔵の下で動くのは今回の任務が初めてだ。噂よりも、これと思う相手には情に厚いのかもしれない。
「次に商人が来るのは、十日後だ」
久蔵が詳細を語る間に、冷たい雨が降りだした。
山の稜線は霞んで、遠景が灰色に沈む。周辺一帯は繭に包まれたように、外界から静かに閉ざされた。
凍えた両手に向けて、白い息を吹きかける。
三日目の朝、真澄は霙が降るなか、一人で山菜を採っていた。
盗賊とはいえ、山中での暮らしは自給自足に近い。百々目鬼が寝起きする盗賊宿を中心に、一定の距離を保って点在する庵を見ていると、小さな集落の一員にでもなったように錯覚する。
他の盗賊たちとは没交渉で、真澄と愁水の二人で一つの庵を使っているものの、愁水がさりげなく気を遣ってくれるおかげで、今のところ不自由はない。
しかし、真澄には一つ気がかりがあった。山中から時折、視線を感じるのだ。
幼い頃から化物を視ていた真澄には、それが化物のものだとすぐにわかった。
百々目鬼を警戒して、近づいてこないのか――その意図はわからない。
真澄は山菜の籠をぎゅっと握りしめた。
その時、木々の隙間に化物の姿が見えた。
巨大な、継ぎはぎの体――。
それは、鵺だった。
スイカズラの気配に引き寄せられたのか。いま鵺に場を荒らされては、お役目に支障が出る。
真澄が善戦すれば、一時退けるくらいはできるはずだが――。
実際には恐怖で力が抜けて、真澄はぬかるみに膝をついていた。
真澄は、化物が恐ろしくて、仕方ない。
「――おい、どうした?」
愁水の声がして、真澄はなぜか、心底安堵した。
力強い手が、真澄の腕を引っ張り起こす。触れられた場所が熱く、真澄は詰めていた息を吐き出した。
「あそこに、化物が……」
「大丈夫だ。悪さ……は、するかもしれねえが。危ない目に遭いそうになったら、すぐに呼べ。いいな?」
愁水がそう言って、真澄に背を向けてかがんだ。抵抗を感じる前に、真澄は愁水の首に腕を回していた。
「あんた、妹か弟でもいる?」
深入りするつもりなどなかったのに、真澄は思わず尋ねていた。
「……妹だ。何でわかった?」
「わかるよ。なんとなく」
愁水の動作があまりにも自然で、こんな風に何度も誰かを背負ってやったのだろうと、容易に想像がついたのだ。
そして真澄にとっても、怪我をして背負われるのは、ほとんど体に染み込んだ記憶だった。
――真澄、泣くな。俺が連れて帰ってやるから。
「私も、兄がいたんだ。双子だけど――いや、だからかな。背伸びして、兄らしく振る舞っていたよ」
「奇遇だな。俺も双子だ」
そこで流れた沈黙が、真澄には〈双子の扱い〉を物語っているように感じられた。
武家や大店の商家は、双子というだけで酷く忌むが、それが男女となると、心中者――大罪人の生まれ変わりと蔑まれる。
来世で結ばれることを祈って心中することが、半ば流行化したせいだ。
世間の好む因果応報論で、差別を正当化する面もあっただろう。
「私の兄は同心だったんだよ」
つい口が滑ったが、止められなかった。
外界から閉ざされた雪山で、唯一自分に危害を加えないとわかっている、兄の面影を感じさせる男――に、真澄はそうと気づかないまま、寄りかかっていたのかもしれない。
「それで、兄の代わりを務めているのか」
愁水は、真澄が密偵――もとい、同心であることも見抜いていた。
「男装で周囲を欺く……なんて、一、二年が限界だけどね。お役に立てるうちに、出来ることはやっておきたい」
女の同心など、許されるはずもない。それでも、真澄がやらなければならなかった。千載一遇の、《《好機》》だったのだ。一人二役が可能な、中性的な顔立ちの真澄だからこその。
「それが本心からの願いなら、やるしかねえよな」
真澄は小さく頷いた。誰かに背を押されたかったのだと、言った後で気がついた。
「――あんたたち、そうやってると兄弟みたいだね」
盗人宿の前で、百々目鬼と鉢合わせた。百々目鬼の目が、真澄の汚れた着物を見ている。
そこへ、雨足が強まった。
「……腹が減った。あんたたち、どっちでもいいから何か作んな。食材は好きに使っていいからさ」
百々目鬼が返事も聞かずに、盗人宿に引っ込んでしまう。
――弱ったな。
愁水の背から下りたものの、すぐには動けなかった。
真澄は男装する前から、女の仕事など、何一つ教わってこなかった。
この数日の飯と言えば、愁水の狩ってきた野生動物を丸焼きにしただけだ。
さすがに口が飽きてきたため、山菜は採ってきたが、調理は野草に詳しそうな愁水に丸投げするつもりだったのだ。
「愁水、あんた料理は……?」
「出来るように見えるか?」
真澄と愁水は顔を見合わせてから、重たい足取りで、百々目鬼の後を追った。
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*不惑:四十歳。
*御留流:門外不出、他藩への伝授禁止。




