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第9話 チョコレート

 ナナは大きな瞳に涙をいっぱいに溜めながら、結衣に負けじと蓮のもう片方の腕を胸元に強く抱き込んだ。彼女にとって蓮は、トラックから命を救ってくれた絶対的な世界の中心だ。大人の余裕を見せつける結衣への激しい嫉妬心と、自分だけを見てほしいという無垢な執着心が、十九歳の彼女を大胆にさせていた。


「ナナも……蓮さんのこと、癒やせるもんっ! だから、私の方も見て……!」


 背伸びをするようにして、ナナが蓮の頬に、そして不器用ながらも唇にキスを落とす。純粋でまっすぐな好意の塊。

 右からは結衣の蠱惑的こわくてきな大人の誘惑。左からはナナの純真で一途な情熱。

 二人の女性の柔らかな肌と、甘い吐息、そして全く異なるベクトルの強烈な感情に挟まれ、蓮は深く息を吐き出した。


(これは……物理的な戦闘よりキツいっすね)


 三十年の異世界修行で培われた大魔法使いの精神力は、魔王の威圧すら跳ね返す。しかし、自分を必要とし、愛してくれる女性たちの大きな熱量に対しては、彼のお人好しな性質が完全に裏目に出てしまうのだ。


「……仕方ないっすね。二人とも、同時に面倒見てあげるっす」


 蓮はついに観念したように、結衣とナナの腰にそれぞれ腕を回し、二人を同時に自分の胸へと抱き寄せた。

 その瞬間、二人の女性から安堵と歓喜の入り交じった熱い吐息が漏れた。

 現代の常識も法律も通用しない恐竜時代。いつ死ぬかもわからない極限の恐怖の中で、圧倒的な力を持つ唯一の男と肌を重ね、その庇護下に入ること。それは彼女たちにとって、本能に刻み込まれた生存のための最大の安心感だった。


「蓮さん……好き。大好き……っ」

「ええ、全部私に預けて。もっと、私を感じて……」


 暗い土の長屋の中で、互いの体温を確かめ合うように重なる影。

 蓮の無尽蔵の体力と、極限突破リミット・オーバードライブによって強化された身体は、二人の女性の激しい情念と渇望を、一晩中どこまでも優しく受け止め続けていた。


 +++


 翌日の昼下がり。広場では、これまでにない異様な熱気に包まれた巨大なイベントが開催されていた。

 召喚された女性の一人が持ち込んでいた手荷物の中から、奇跡的に『本物のチョコレートのひとかけら』が発見され、提供されたのだ。

 現代の甘味など絶対に手に入らないこの恐竜時代において、そのひとかけらは文字通り黄金以上の価値を持っていた。極限のストレスを抱える一万人の女性たちは、その小さなチョコを懸けて、血で血を洗うような大じゃんけん大会を繰り広げていた。


「最初はグー! じゃんけん、ぽんっ!!」

「っしゃあああっ! 勝ったぁぁっ!!」

「嘘でしょおおおっ! 私のチョコがあああ!」


 悲喜こもごもの絶叫が響き渡る中、勝ち残った一人の女性が、震える手で小さなチョコレートの欠片を天に掲げた。敗者たちの羨望と嫉妬の眼差しが、彼女の一挙手一投足に突き刺さる。

 その異様な執着ぶりを見かねた蓮が、ふと前に出た。


「あの、もしよかったら、俺が魔法でそれを大きくするっすよ。それなら、全員で分け合えるんじゃないっすか?」


 その提案に、広場が水を打ったように静まり返り、次の瞬間、割れんばかりの大歓声が巻き起こった。


「蓮さん! 神! 一生ついていきます!!」

「早く! 早く大きくしてぇぇっ!!」


 一万人の熱視線を浴びながら、蓮は得意げに指先を弾いた。


万物拡充マグナ・スケールっす!」


 ぽんっ!という軽快な音とともに、指先ほどのチョコレートが、なんと軽自動車ほどの巨大な塊へと膨れ上がった。


「うおおおおおっ!!」


 女性たちは歓喜の雄叫びを上げ、巨大チョコレートに群がった。手で割り、口の周りを真っ黒にしながら、待ちに待った現代の甘味を貪り食う。

 しかし――数秒後、広場の空気がピタリと止まった。


「……なにこれ」

「味が……しない。っていうか、パサパサ……?」


 チョコレートを口にした女性たちの顔が、一様に引きつっていた。

 無理もない。魔法で物理的に体積を引き伸ばしたため、成分や風味が極端に間延びし、チョコレート特有の口溶けの滑らかさや濃厚な甘みが完全に消え失せてしまったのだ。それはまるで、ほんのりカカオの匂いがする無味乾燥な発泡スチロールだった。


「まっず……!」

「これなら、ひとかけらでも本物を食べたかったわよ!!」

「蓮さんのバカァ! 余計なことしないでよおおおっ!!」


 一万人の女性たちから、一斉に凄まじい大ブーイングが巻き起こった。


「えっ!? いや、みんなで食べられた方がいいと思って……良かれと思ったんすけど!?」


 雨あられと飛んでくる非難の声に、大魔法使いはタジタジになって頭を抱えるしかなかった。

 失敗に終わったチョコレート騒動。しかし、この狂騒は蓮に一つの確信を抱かせた。一万人に膨れ上がった女性たちの欲望や不満を、もはや自分ひとりの力と善意だけでコントロールすることは不可能だという現実である。


「……そろそろ、本気で街の法律や組織を作らないと、恐竜に襲われる前に内部崩壊するっすね」


 パサパサのチョコをかじりながら、蓮は決意を新たにした。

 生存のためのルールと、それを統制する厳格な組織。来るべき巨大な国家の形成に向け、物語は新たなフェーズへと進もうとしていた。

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