第8話 狩猟部隊と夜の誘惑
大浴場の完成によって衛生面とストレスの問題は劇的に改善されたが、一万人に膨れ上がった胃袋を満たすという、サバイバルにおける最大の課題が重くのしかかっていた。
「いくら俺でも、一日中魔法で肉を獲り続けるのは効率が悪すぎるっすね……」
防壁の外、シダ植物が鬱蒼と茂る森の中で、蓮は周囲を警戒しながら歩いていた。その後ろには、数人の逞しい女性たちが手製の槍や棍棒を持って続いている。
その先頭を歩くのは、ポニーテールに鋭い眼光を持つ元警視庁機動隊員、立花凛だった。彼女は武闘派の女性たちを率い、食料調達の自警団を自発的に結成していたのだ。
「蓮さん、右の茂みから三体! ヴェロキラプトルの群れです!」
凛の鋭い警告と同時、草むらから獰猛な牙を剥いた恐竜たちが飛び出してきた。
しかし、蓮は焦る素振りすら見せない。指先を軽く弾くだけで、空間牽引が発動する。見えない巨大な手が三体のラプトルを正確に鷲掴みにし、空中で激突させて一瞬で絶命させた。
一切の無駄がない、洗練され尽くした動き。それは、三十年間の異世界サバイバルを生き抜いた大魔法使いの真骨頂だった。
「……すごい」
凛は思わず息を呑んだ。元機動隊員として厳しい訓練を積んできた彼女だからこそ、蓮の動きがいかに理にかなった、極限の戦闘技術であるかが理解できた。
「いやあ、助かったっす。凛さんの指示が的確だったから、最小限の魔力で済んだっすよ」
「蓮さん……いえ、師匠と呼ばせてください!」
「へ? 師匠っすか?」
凛は目を輝かせ、蓮の前に直立不動で敬礼した。
「私に、その戦い方を教えてください! 私たちはただ守られるだけの存在じゃありません。師匠の手足となって、必ずこの街の食料を確保してみせます!」
その日以来、凛は蓮を「師匠」と仰ぎ、狩りの成果を上げるたびに「師匠! 今日は大型を五頭仕留めました! 褒めてください!」と、犬のように尻尾を振らんばかりの勢いで過剰なアピールをしてくるようになった。彼女の率いる防衛・狩猟部隊の台頭は、蓮の負担を大きく減らす第一歩となった。
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その日の夜。
土の長屋の一つで、蓮は疲れた体を横たえていた。防壁の外では恐竜の遠吠えが響いているが、この狭い空間だけは安全だった。
ふと、毛布の隙間から柔らかな体温が滑り込んできた。
最初に召喚された美大生、襟島ナナである。彼女は夜になると、極度の不安と蓮への強烈な依存心から、何度も彼に体を求めてくるようになっていた。
「蓮さん……ぎゅって、して……」
怯えた子猫のようにすり寄るナナの細い肩を、蓮は優しく抱き寄せた。
「大丈夫っすよ。俺はどこにも行かないっす」
拒むことなく彼女の温もりを受け入れる蓮。その超絶お人好しな態度は、極限状態にある女性たちにとって最強の精神安定剤であった。
しかし、その様子を入り口の隙間から見つめている影があった。
「あらあら。ナナちゃんだけずるいわね」
聖母のような微笑みを浮かべた元心理カウンセラー、雨宮結衣が音もなく入り込んでくる。彼女は色香を漂わせながら、ナナとは反対側の蓮の腕に体を密着させた。
「ナナちゃんに比べて、私みたいなおばさんじゃ嫌でしょ?」
「いや、年齢とか気にしてないっすけど……」
「ふふっ。蓮さんは本当に優しすぎるわね。でも、そういうところ……嫌いじゃないわ」
結衣の艶やかな指先が蓮の胸元をなぞる。一万人の頂点に立つ唯一の男を巡る、静かで甘い包囲網。
蓮は困ったように天井を見上げながら、いつもの口癖を呟いた。
「まあ……来るもの拒まずっす」
蓮が困ったように、しかし明確な拒絶を見せずにそう呟いた瞬間、結衣の切れ長な瞳が妖しく細められた。
「ふふっ……言質、取りましたよ」
結衣はそのまま蓮の首に腕を絡めると、熟れた果実のような甘い香りを漂わせながら、熱を帯びた唇を重ねてきた。
大人の女性特有の、深く、絡め取るような口付け。極限状態のサバイバルで張り詰めていた緊張を溶かすような、甘美で計算し尽くされた誘惑だった。
「んっ……ちょ、結衣さん……」
「いいの。蓮さんは毎日、一万人もの命を背負って頑張っているんだもの。夜くらい、私に癒されて英気を養って」
結衣の艶やかな指先が蓮の胸板を這い、男らしい筋肉の起伏を確かめるように撫で上げる。
その大胆な行動に、反対側で蓮の腕にしがみついていたナナが弾かれたように顔を上げた。
「だ、だめっ……! 蓮さんは、私の……私が最初に見つけたんだからっ!」




