表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

第6話 太陽神

 巨大な防壁の一角に作られた土の長屋、「ハロー・ジュラシック・ラウンジ」の内部は、異様な静けさと微かな光に包まれていた。

 外の狂騒が嘘のように、ここには重く沈んだ空気が漂っている。

 召喚から四日目。現代日本のインフラから完全に切り離された女性たちが、いよいよ直面しなければならない現実があった。

 スマートフォンのバッテリー切れである。


「あ……」


 薄暗い長屋の隅で、一人の女子高生が絶望的な声を漏らした。

 彼女の手の中で、家族の写真を映し出していたスマートフォンの画面が、無慈悲な警告音とともにプツンとブラックアウトしたのだ。

 それは単なる機械の停止ではない。現代社会との、そして愛する家族との完全な断絶を意味していた。充電する手段のないこの恐竜時代において、真っ暗になった画面が再び灯ることは二度とない。


「う、うっ……お父さん……っ」


 女子高生が母親に支えられながら画面にすがりつくようにして泣き崩れた。

 その鳴き声に呼応するように、あちこちで「私のも切れた」「もう、何も見えない」というすすり泣きが連鎖していく。


「ねえ、泣かないで」


 不意に、女子高生の隣に座っていたスーツ姿の女性が、自分のスマートフォンを差し出した。画面の右上には、赤い電池マークが残り「三パーセント」と表示されている。


「私のも、あと数分で消えちゃう。だから……最後に、みんなで一緒に見ない?」


 女性がスワイプした画面には、あどけない笑顔の男の子の赤ん坊と、嬉しそうに微笑む夫の写真が映し出されていた。


「私の息子。今年で一歳になったばかりなの。可愛いでしょ?」

「……うん、すごく可愛い」

「私のも見て。実家で飼ってるレトリバーなの。すっごくお馬鹿なんだけど、甘えん坊でね……」

「なら、私の推しも見てよ! 先週ライブに行ったばっかりだったんだから!」


 一人の提案をきっかけに、バッテリーがまだ僅かに残っている女性たちが、次々と自分のスマートフォンを真ん中に寄せ合った。

 家族の笑顔、愛するペット、夢中になったアイドルのライブ画像。

 それらは、彼女たちが生きていた「平和な世界」の最後の証明だった。数分だけの、ささやかで切実な写真会。

 画面が一つ、また一つと暗転していくたびに、深い喪失感が彼女たちの胸を締め付ける。しかし、涙を流しながらお互いの最も大切な記憶を共有し合ったことで、見ず知らずだった女性たちの間に、確かな温度を持った絆が芽生え始めていた。


「……帰れないかもしれない。でも、私たち、ここで生きていこうね」

「うん。絶対に、生き延びて帰る方法を見つけてやるんだから」


 最後のスマートフォンの光が消えた時、暗闇の中で彼女たちは互いの手を強く握り合っていた。極限状態の絶望の中で、女性同士の強靭な連帯感が静かに、しかし確実に形作られた瞬間だった。


 +++


 一方、防壁の外にある広場の隅では、大魔法使いがささやかな休息をとっていた。


「ふう……さすがにぶっ通しで魔法を使いすぎたっすね。少し魔力が底をつきそうっす」


 桜豪千さくらごうちれんは、切り株の上に腰を下ろし、土の壁に背中を預けていた。一分に一人の召喚維持に全魔力の三割を奪われ続け、さらに数千人規模のインフラ整備と恐竜の警戒。超絶お人好しの彼であっても、疲労の色は隠せない。


「蓮さん、お疲れ様です」


 ふわりと、汗と泥に混じって、現代の微かな香水の匂いが漂ってきた。

 声の主は、先ほどまでハーベストゲートで完璧な交通整理を行っていた御子神みこがみ玲奈れなだった。彼女は数時間の過酷な受け入れシフトを別の女性と交代し、蓮の元へやってきたのだ。


「玲奈さん。いや、本当に助かったっすよ。あのまま俺一人だったら、間違いなくパニックで怪我人が出てたっす」

「ふふっ、元グランドスタッフの意地ですよ。でも……さすがの私も、少し足が棒になっちゃいました」


 玲奈はそう言うと、蓮の隣の切り株に腰を下ろし、スらりとした脚を投げ出した。

 そして次の瞬間、普段の完璧なプロフェッショナルの顔から一転、コロンと甘えるように蓮の腕に自分の体を密着させてきた。


「ちょ、玲奈さん? 近いっすよ」

「いいじゃないですか。私、何千人も相手に、泥だらけになって自ら志願して頑張ったんですよ?」


 玲奈は上目遣いで蓮を見つめ、内緒話でもするように顔を寄せると、その細い指先で蓮のジャージの袖をツンツンと引っ張った。


「文句一つ言わずに私たちを守ってくれる蓮さんの無尽蔵の体力、本当に尊敬します。でも、たまには私のお願いも聞いて、思いっきり褒めてくれてもいいんじゃないですか?」

「いや、めちゃくちゃ褒めてるっすけど……」


 困惑して顔を逸らす蓮の耳元で、玲奈は甘い吐息を吹きかけるように距離を詰める。極限の世界で最も価値のある「絶対的な守護者」の隣の席。有能な女性ほど、そのポジションの重要性を本能で理解し、行動に移すのが早かった。


「……あのおっぱい女、絶対に許さない」


 少し離れた長屋の陰から、ギリッと歯ぎしりをする音が響いた。

 最初に召喚された美大生の襟島えりしまナナが、蓮にすり寄る玲奈を射殺さんばかりの鋭い目で睨みつけている。その横では、雨宮結衣が口元だけ微笑みながら、目は全く笑っていない表情で玲奈を観察していた。

 蓮を巡る女たちの静かでドロドロとした牽制の炎は、着実に温度を上げている。


 蓮が玲奈の甘い攻撃にタジタジになっていると、不意に広場の中心、ハーベストゲートの魔法陣がひときわ強く発光した。

 ぽよんっ、と巨大な植物トランポリンの上に、新たな女性が落下してくる。


「あ、交代した人が誘導を――って、あれ?」


 蓮が目を丸くした。

 落下してきたのは、本格的な登山用のアウトドアウェアに身を包んだ女性だった。しかし、周囲の視線を釘付けにしたのは彼女自身ではない。彼女が背負っていた、巨大なリュックサックに取り付けられた見慣れない装備だった。


「ちょっ、あれ……!」

「嘘でしょ、太陽光のパネル!?」


 リュックの背面には、燦然さんぜんと輝く「折りたたみ式ソーラーパネル」と、大容量のモバイルバッテリーがしっかりと固定されていたのだ。


 スマートフォンのバッテリーが切れ、現代の光を失って絶望の淵にいた女性たちの目の色が一瞬にして変わった。

 ラウンジから数千人の女性たちが、まるで血に飢えた恐竜のような凄まじい勢いで飛び出してきた。


「そ、それは……太陽光充電器!?」

「神だ! 太陽神様が降臨したわ!」

「お願い! 私のスマホを三分でいいから充電させてぇぇぇっ!」


 ポカンとしているアウトドア姿の女性の足元に、何千人もの女性たちが土下座の勢いで群がり、文字通り「太陽神」として熱狂的に崇め奉り始めた。


「えっ? な、何? ちょっと、引っ張らないで!」


 もみくちゃにされる太陽光パネルの女性を遠巻きに見つめながら、蓮は呆れたように肩をすくめた。


「……いや、俺に対する扱いと全然違うっすね。現代人、スマホへの執着が怖すぎるっす」


 蓮の的確なツッコミは、狂喜乱舞する女性たちの歓声にかき消され、白亜紀の空へと虚しく吸い込まれていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ