第40話 ジュラシック・ブラックマーケット
経過日数:240日目 約345,000人
【深緑の智将】オールド・ワン率いる恐竜軍団との死闘から、数ヶ月が経過した。
大陥没要塞の殲滅によって街の安全は飛躍的に高まり、一分に一人の正確なペースで降り注ぐ現代女子たちの受け入れも、完全にシステマチックなものとなっていた。上下水道から巨大農園まで、インフラは盤石の体制を築き上げている。
生存の危機が完全に去ったことで、女性たちの欲求は「明日を生き延びること」から「現代の嗜好品と娯楽」へと、急速かつ猛烈にシフトしていた。
桜豪千蓮が構築した巨大な地下水路の、未承認の空き区画。
そこに、ネオンサインの代わりに壁一面に植え付けられた発光苔が、妖しくも魅惑的な緑色の光を落としている場所があった。
そこは、正規の配給ルートから外れた品々が取引される影の経済圏――通称『ジュラシック・ブラックマーケット』である。
「さあさあ、本日の目玉アルよ! 泣く子も黙るフランス製、高級ブランドの真紅のルージュ! 残量は三分の一だけど、発色の良さはワタシが保証するヨ!」
スーツケースを即席のショーケース代わりにして、派手なブランド服を着崩した林鈴花が、小さな口紅を高く掲げて声を張り上げた。
「買うわ! 労働ポイント三ヶ月分出す!」
「私は半年分! 蓮さまとの一夜をかけた『くじ引き』で当たった時のためよ。絶対に可愛いって思われたいの!」
血走った目をした女性たちが、現代の化粧品を求めて札束の代わりにポイントが記録された木簡を握りしめ、鈴花に群がっていく。
その狂騒から少し離れた特等席。恐竜の革で覆われた豪奢なソファに深く腰掛け、長い足を組みながら妖艶に微笑んでいるのは、文明遺産管理部長のソフィア・チェンだった。
「ふふっ……いいわね。生存の危機が去った今、女たちを支配するのは『恐怖』じゃない。『美』と『虚栄心』、そして……愛する男への渇望よ」
ソフィアは手元にある小さな瓶を揺らした。中には、彼女が職権を乱用して『廃棄扱い』にして横流しした高級美容液や、医薬品の鎮痛剤、さらには極めて貴重な生理用品の予備までが揃っている。
「ソフィアの姉御、こっちのチョコレートの欠片や、インスタントコーヒーの粉も、飛ぶように売れてるアル」
木簡を扇子のように仰ぎながら、鈴花が隣に座る。
「ええ、ご苦労様、鈴花。私たちが管理するこの闇市こそが、今やこの街の真の中枢。……どんなに鉄の女が規律を叫ぼうと、人間の欲望までは統制できないわ」
二人の狡猾な笑い声が、発光苔の怪しい光の中に溶けていった。
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一方、地上にある内政・資源管理局の執務室。
分厚い石のデスクの上に山積みにされた帳簿を睨みつけ、内政局長の如月冴子は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「……やはり、間違いないですね」
冴子は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷たい声で呟いた。
「第三区画の居住者たちを中心に、労働ポイントが不自然な速度で消失しています。それに反比例するように、一部の『特定口座』……ソフィア・チェン周辺のポイントが異常に膨れ上がっている。……ただの物々交換の範疇を超えた、組織的な『闇取引』が行われていると見て間違いありません」
執務室の前に直立不動で立つ数名の内政局の女性警備隊員たちが、ゴクリと息を呑む。
そこへ、防衛・狩猟局長の立花凛が呼ばれて入ってきた。
「冴子局長、防衛局の精鋭五名、連れてきました。……で、どこへカチ込むんです?」
凛の言葉は、完全にマフィアの抗争に向かう鉄砲玉のそれだった。
「ターゲットは、地下水路の未承認拡張区画、B-4ブロック。そこに大規模な闇市が形成されているという情報が入りました」
冴子は立ち上がり、普段の隙のないスーツ姿の上に、恐竜の漆黒の革で作られたロングコートを羽織った。
「街の規律と統制は、蓮が私たちに託した信頼の証です。それを個人の欲望で食い物にすることは、決して許されません。……一切の抵抗を許さず、証拠物件をすべて押収しなさい」
「了解です。……でも局長、まさかあなたも最前線に出る気ですか? 危険です、ここは私たち武闘派に任せて……」
凛が引き留めようとするが、冴子は冷たく鋭い視線でそれを制した。
「勘違いしないでください、凛。私は元財務省の官僚。巨悪の汚職を暴くマルサの真似事など、日常茶飯事でした」
冴子は革手袋をゆっくりとはめ、その細くしなやかな腕を軽く回した。
「それに……ただ机に向かっているだけの女だと思われたら、心外ですからね。官僚時代に護身用として身につけた『合気道』、少しばかり実践で試させてもらいます」
その言葉と同時に、冴子の全身から常軌を逸した「冷たい殺気」が放たれた。数々の死線を潜り抜けてきた凛でさえ、思わず背筋を伸ばすほどの圧倒的なプレッシャー。
マフィア映画の主人公さながらのハードボイルドで冷徹な出で立ちで、如月冴子率いるガサ入れ部隊が、闇夜に紛れて地下への階段を下りていく。
街の影に巣食う欲望の園に、鉄の女の容赦ない鉄槌が下されようとしていた。
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地下水路の未承認拡張区画、B-4ブロック。
発光苔の怪しげな緑の光が漏れる重厚な石の扉の前に、如月冴子率いるガサ入れ部隊が音もなく到着した。
冴子は隣に立つ立花凛に視線で合図を送る。凛が力強く頷き、恐竜の骨で作られた強靭なブーツで、石の扉を勢いよく蹴り開けた。
「内政局です! 全員、その場を動かないでください!!」
ドォンッ!という轟音とともに、冴子の冷徹でよく通る声が地下空間に響き渡った。
「ヒッ……! テ、鉄の女だわ!」
「逃げろ! ポイントを没収される!」
闇市に集まっていた女性たちが悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。現代の化粧品や嗜好品が床に散乱し、欲望の園は一瞬にしてパニック状態に陥った。
「出入り口を封鎖! 証拠物件をすべて押収しなさい!」
冴子がロングコートを翻して指示を飛ばしたその時、奥のVIPスペースへと続く通路の前に、筋骨隆々の体格の良い女性たちが数人、壁のように立ち塞がった。ソフィアたちが労働ポイントで雇った、闇市の用心棒たちだ。
「悪いが局長さん。ここから先は通せないよ」
用心棒の一人が、太い丸太のような腕を組みながら凄む。
「凛、彼女たちを……」
と、冴子が指示を出そうとした瞬間、用心棒の拳が冴子の顔面に向かって容赦なく振り下ろされた。
「局長! 危ないっ!」




