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第39話 帰還

 片目が潰れた巨大なティラノサウルスは、大魔法使いが向かってきても一切の動揺を見せない。蓮が距離を詰め、空間牽引アトラクティブ・フォースの魔力を練り上げようとしたその瞬間――オールド・ワンは、絶妙なタイミングで大きく後退し、蓮の『魔法の有効射程』からギリギリ外れる位置へと身をかわした。


「……っ、やっぱり射程と発動のクールタイムを完全に把握してるっすね!」


 蓮が舌打ちした直後、魔法を放てず一瞬の『タメ』が生じた隙を狙い澄まし、オールド・ワンが爆発的な脚力で前傾姿勢のまま突進してきた。ティラノサウルス特有の、骨まで噛み砕く最強のあごが、蓮の体を真っ二つにしようと迫る。


(このままじゃジリ貧っす。なら……肉を切らせて骨を断つしかないっすね!)


 蓮は回避行動を取らず、わざと足をもつれさせたふりをして、無防備な背中をさらした。

 智将とはいえ、所詮は獣のごう。完全な隙を見せた最大の脅威に対し、オールド・ワンの残された片瞳が『勝利の確信』に歓喜の色を浮かべた。巨大な顎が、蓮の服をかすめ、その胴体を丸呑みにしようと大きく開かれる。


 しかし、それこそが蓮の仕掛けた、命懸けの致死の罠だった。


「かかったっすね! ……空間牽引アトラクティブ・フォース、最大出力で圧縮!」蓮が振り向きざまに、至近距離で極大の魔力を解放する。

 オールド・ワンの巨大な頭部そのものを、見えない空間の巨腕が万力のように締め付けた。

「ギァアアアアッ!?」

 予想外の至近距離での拘束に、智将が初めてパニックの悲鳴を上げる。

「からの、切断魔法……フルバーストっす!!」


 大魔王すら一刀両断にした極薄の魔力刃が、オールド・ワンの分厚いうろこと強靭な首の筋肉を、一切の抵抗を許さずに叩き斬った。


 ズドォォォォォンッ!!


 クレーターの底に、巨大な頭部が地響きとともに転がり落ちる。

 絶対的な恐怖の象徴であった総大将の死。その瞬間、統制を失った護衛の恐竜たちは蜘蛛の子を散らすようにパニックを起こし、クレーターから逃げ去っていった。


「……終わった、っすね」蓮は膝から崩れ落ち、荒い息を吐きながら、夜明けの冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 +++


 朝の光が、巨大な円形都市の石の城壁を黄金色に照らし始めていた。

 徹夜で防壁の上に立ち、祈るように森の奥を見つめ続けていた女性たちの目に、信じられない光景が飛び込んできた。


「あれ、見て……! 門の向こう……蓮さんだ! 蓮さんたちが帰ってきた!!」


 森の木々の間から、現地で即席に作った巨大な台車がゆっくりと姿を現した。

 その台車の上に鎮座しているのは、間違いなく、彼らを絶望の淵に追いやった【深緑の智将】オールド・ワンの巨大な首だった。


「門を開けええええっ!!」防壁から、割れんばかりの歓声が爆発した。

 重い石の門が開かれると同時に、二十六万人の女性たちの地鳴りのような歓喜の叫びが、恐竜時代の空をビリビリと震わせた。


「蓮さあああんっ!!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、大きくなり始めたお腹を抱えた襟島えりしまナナや、涙で顔をぐしゃぐしゃにした如月きさらぎ冴子さえこ、エマたちだった。彼女たちは泥だらけの蓮に泣きながらしがみつき、その無事と、訪れた平穏を全身で確かめ合っていた。


「みんな、ただいまっす。もう、大丈夫っすよ」


 蓮がいつものお人好しな笑みを浮かべた、まさにその時だった。


「世界を救った私たちの英雄には、最高の褒美が必要ね」


 群衆を掻き分けて現れたのは、文明遺産管理部のソフィア・チェンだった。彼女は妖艶な笑みを浮かべ、つややかな声で宣言した。

「管理部から特別に、とっておきの『現代の高級ベッド』と『最高級のインスタントコーヒー』をプレゼントするわ。もちろん……私が、極上のテクニックで添い寝してあげる」


「ちょっと待て抜け駆け女! 命懸けで戦ったのはサバイバル派も同じだ! 師匠の疲労は、私の鍛え抜かれた肉体美で癒やしてやる!」

 すかさず立花凛が豊満な胸と腹筋を見せつけながら割って入る。


「あらあら、汗臭い筋肉では蓮さんは癒やされませんよ? ここは私が、聖母のような包容力で……」

 雨宮あまみや結衣ゆい蠱惑こわく的な流し目で莲の腕に絡みつく。


「アイヤー! それならワタシのスーツケースに秘蔵の『極上マッサージオイル』があるアル! ワタシの部屋に来るヨロシ!」

 新入りのりん鈴花りんふぁまでもが、ちゃっかりとビジネススマイルで参戦してきた。


 二十七万人の歓喜の熱狂のど真ん中で、オールド・ワンとの死闘よりも恐ろしい、女たちのドロドロの「ご褒美争奪戦」が容赦なく幕を開けたのだ。


「いや……あの……」

 全魔力と体力を使い果たし、限界を迎えている大魔法使いは、四方八方から押し付けられる柔らかな肌と甘い香水の匂いに囲まれながら、完全に白目を剥いていた。


「頼むから……今は、一人で寝かせてほしいっす……」


 過酷な防衛戦を生き抜いた人類最後の楽園に、いつもの、そして過去最大級の騒がしくも温かい日常が戻ってきていた。

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