第37話 絶望の総攻撃
経過日数:181日目 約260,000人
夜明け前の冷たい静寂を、地獄の底から響くような咆哮が切り裂いた。
深緑の智将、オールド・ワンの鬨の声だ。そのただ一度の咆哮を合図に、巨大な石の要塞城壁を囲む深い森が、不気味な地鳴りとともに波打ち始めた。
「来るぞ! 総員、迎撃態勢!」
防衛・狩猟局長の立花凛が、防壁の上から裂帛の気合いを飛ばす。しかし、朝靄を突き破って姿を現した『敵』の全貌を目にした瞬間、防壁の上に並ぶ数万の女性たちは、一様に息を呑み、血の気を失った。
「嘘だろ……なんで、草食恐竜と肉食恐竜が一緒に走っているんだよ……!」
凛が手製の槍を握る手を震わせる。
それは、白亜紀の生態系を根底から覆す、あり得ない光景だった。
先陣を切って突進してくるのは、正面からの突撃においてティラノサウルスすら凌駕するトリケラトプスの重装甲部隊と、頭頂部をドーム状に隆起させたパキケファロサウルスの群れだ。彼らは自らを破城槌のようにして、防壁へと一直線に向かってくる。
その側面を固めるのは、長さ七十センチにもなる巨大な爪を振り回すテリジノサウルスと、巨大な腕を持つデイノケイルスの異形部隊。彼らは防壁の前に仕掛けられた障害物を、その巨腕と爪で薙ぎ払いながら進んでいた。
さらに恐ろしいのは、その後方だ。頭に長いトサカを持つパラサウロロフスが、低周波の音を響かせて群れ全体の足並みを揃える通信兵の役割を果たし、そのさらに後ろから、アジアの王者たる肉食恐竜タルボサウルスと、史上最大級の肉食恐竜スピノサウルスが、部隊を指揮する将軍のように睨みを効かせている。彼らの足元には、機動力に優れたヴェロキラプトルの精鋭たちが遊撃隊として縦横無尽に駆け回っていた。
本来なら互いに殺し合い、捕食し合うはずの多種多様な恐竜たちが、一切の敵対行動を取らず、一つの『軍隊』として統率されている。
生態系の頂点に君臨する知能。オールド・ワンというたった一頭の老いたティラノサウルスが、この狂気の多国籍軍を完全に支配し、人類を殲滅しようとしているのだ。
「ビビるな! トラップ起動!」
インフラ局長の熊谷カンナと、鍛冶班長の堂島鉄子の合図で、防壁の前に仕掛けられた無数の落とし穴が火を吹いた。地盤が崩れ、落下したトリケラトプスたちを、恐竜の筋線維の張力を利用した炸裂槍が下から串刺しにする。
「今だ! 放てぇぇぇっ!」
凛の号令とともに、防壁の上から巨大バリスタが一斉に射出された。丸太のような矢が空気を引き裂き、後続のパキケファロサウルスやテリジノサウルスを次々と大地に縫い付けていく。
悲鳴と地鳴りが交錯する。しかし、数百頭という圧倒的な質量の暴力は、トラップの死骸を踏み台にして、ついに防壁へと到達しようとしていた。
「ここは通さないっすよ!」
防壁の中央で、桜豪千蓮が両手を高く掲げた。
彼の背後、街の中心にある巨大な温水プールが、眩い魔力の光を放つ。昨日、十数万人を超える女性たちが遊び、笑い、発散した『生のエネルギー』。それを溜め込んだ数万トンの温水が、蓮の空間牽引によって一気に上空へと巻き上げられた。
「水鏡の防御魔法陣、最大出力っす!!」
空を覆うほどの巨大な水の塊が、硬質な魔力の防壁となって城壁の前に叩きつけられた。
ズドォォォォォンッ!!
突撃してきた恐竜たちの先陣が、水の防壁に激突し、凄まじい衝撃波とともに次々と後方へ吹き飛ばされていく。強固な水圧の壁は、何十トンもの質量を持つ恐竜たちの突進を完全に弾き返し、恐竜軍団の強襲を無残に粉砕した。
「やった……! なんとか、退けたぞ!」
防壁の上に立つ女性たちから、地鳴りのような歓声が上がる。
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しかし、その歓喜は、数秒と持たなかった。
「……喜んでいる場合じゃないよ! 蓮さん、次が来る!」
学生プロゲーマーの七海千秋が、血相を変えて叫んだ。
彼女の視線の先、吹き飛ばされた第一陣の砂煙の向こうから、無傷のまま温存されていた第二陣の軍勢が、地響きを立てて突撃を開始していたのだ。
「そんな……間髪入れずに!?」
法医学者の氷室涼子が、青ざめた顔で推論を口にする。
「第一陣は、こちらの罠と魔法の魔力を使い切らせるための『捨て駒』だったんです! オールド・ワンは、被害を最小限に抑えつつ、私たちの防御の要である蓮さんの息切れを狙った……!」
これが、深緑の智将と呼ばれる所以。単なる獣の突撃ではなく、犠牲を前提とした冷徹な二段構えの陣形だったのだ。
プールに蓄積した魔力はすでに底をつき、蓮自身の魔力出力も限界に近い。
バキィッ!
第二陣の先頭を走るアンキロサウルスが、骨のハンマーを振り回して防壁の石垣に激突する。難攻不落を誇った石の城壁がミシミシと悲鳴を上げ、亀裂が走った。




