第31話 魔法使いの限界
経過日数:80日目 約115,000人
容赦なく降り続く現代女子の召喚は止まらずにいる。
巨大な石の要塞城壁の内部に居住区が拡大し、食事の配給が安定する一方で、十万人を超える都市が抱える最も生々しく、かつ致命的な問題が限界を迎えていた。排泄物と生活用水の処理である。
「蓮さん、このままじゃ街中が汚水まみれになります! 至急、地下水路の構築を!」
板金屋出身で治水担当の水沢しずくが、泥だらけの顔で叫んだ。彼女は家々の屋根から雨水を集め、生活用水へと回す緻密なルートを設計していたが、それらを排出する先が足りていなかったのだ。
「分かってるっす! 空間牽引!」
蓮は街の地下深くから、佐藤小春が管理する農業区の地下プラントへと一直線に繋がる極太の地下トンネルを一気に掘り抜いた。さらにそこに、蓮が魔力を注ぎ込んだ『超・発酵分解魔法陣』を設置する。
集められた十万人分の汚物は、川へ垂れ流されることなく、無臭で栄養価の高い極上の肥料へと変換され、巨大農園の土壌へ自動で還元される完璧なサイクルが完成したのだ。
「大河内さん、これで水路は繋がったっす!」
蓮が声をかけた先には、元清掃会社経営者であり、公衆衛生・トイレ管理者である大河内薫の姿があった。彼女はマスクと手袋を二重に装着し、十万人分の排泄物を地下水路へ誘導するという、街で最も過酷で地味な部署を最前線で指揮していた。
「確認しました。各ブロックの汚水、滞りなく地下トンネルへ流れています……ふうっ」
薫は防臭マスクを少しだけずらし、安堵の息を吐いた。ぽっちゃりとした体型だが、その顔立ちは非常に整った美人である。
「大河内さん……いや、薫さん」
蓮は泥と汚水にまみれた彼女の前に歩み寄ると、深く、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうっす。あなたがこの汚れ役を引き受けてくれなかったら、この街は悪臭と伝染病で一日で崩壊していたっす。あなたがいないと街が崩壊する……本当に感謝してるっす」
「っ……! や、やめてください蓮さん。私はただ、慣れた仕事をしているだけで……!」
王である蓮からの最大級の賛辞に、薫は顔を真っ赤にして後ずさった。
「誰かがやらなければいけない仕事。たまたま私が向いてたってだけです」
「今回の功績なら、冴子さんが特大のポイントを発行してくれるはずっすよ」
しかし、薫は首を横に振った。
「私は、そんな大それた権利は望みません。……その代わり、そのポイントを使って、蓮さんと半日だけ付き合ってください」
「俺とっすか?」
「はい。……二人きりで、匂いのない綺麗な空気の場所で、美味しいご飯を一緒に食べてほしいんです。それが、私の願いです」
過酷な汚物処理の現場で働く彼女だからこその、あまりにもささやかで純粋な願い。蓮は目を丸くした後、優しく微笑み返した。
「了解っす。最高のデートをエスコートするっすよ」
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下水問題が解決し、街の外ではダイバーの海老名潮らの協力のもと、古代魚の養殖も開始された。大きないけすを整備し、恐竜の余った内臓を餌にすることで、安定したタンパク質源の確保がさらに進んでいた。
しかし、街のインフラが整えば整うほど、女性たちの「次なる欲望」は暴走を始めていた。
「ふざけないで! また大怪我じゃない!」
内政局の執務室に、医療班長のエマ・ウィリアムズの怒号が響き渡った。彼女の白衣は血で汚れ、目には濃いクマができている。
「冴子局長! 防衛局の子たちが、本来必要のない危険な大型恐竜にまで無茶な狩りを仕掛けているわ! 限界を超えた無謀な戦い方による怪我人が増えすぎているのよ!」
机越しに詰め寄るエマに対し、如月冴子は苦渋の表情で眼鏡を押し上げた。
「把握しています。……原因は、以前制定した『子を授かる権利』のポイント制度です」
「ええ! 蓮の子を身籠るためのポイントを稼ごうと、みんな命を削って狂ったようにポイントインフレを起こしているのよ!」
そこへ、防衛・狩猟局長の立花凛が包帯だらけの腕で入ってきた。
「エマ先生の言う通りです。ですが、彼女たちを止めることはできません。……明日死ぬかもしれない絶望の世界で、『彼の子を残せるかもしれない』という希望だけが、前線で槍を振るう彼女たちの唯一の生き甲斐になってしまっているんです!」
ルールの欠陥を突きつけられる冴子、命を救うために悲鳴を上げるエマ、そして部下の狂気めいた執念を代弁する凛。女たちの切実な願いと制度の歪みが激しく衝突し、女性たちの執着の強さを浮き彫りにしていた。
「……ごめんっす。俺が、不甲斐ないから……」
部屋の隅で、ふらつく体を壁に預けていた蓮が、かすれた声を漏らした。
彼は全魔力の三十パーセントを、一分に一人の強制召喚に常時奪われ続けている。それに加え、巨大インフラの維持構築、負傷者の絶え間ない治癒魔法、そして防衛と、休む間もなく働き続けていた。
達観した精神を持つ「超絶お人好し」の彼であっても、深刻な「魔力切れ」による限界はとうに超えていたのだ。
「蓮!? 顔色が真っ青よ!」
エマが血相を変えて駆け寄る。
「……平気っす。少し、目眩がしただけで……」
強がって微笑もうとした蓮だったが、その体からふっと力が抜け、その場にガクンと膝をついてしまった。




