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第27話 ジュラシック・ダービー

 如月冴子との一夜が明け、街は「子を授かる権利」のポイントを稼ごうとする女性たちの凄まじい熱気に包まれていた。防衛局の狩猟ノルマは跳ね上がり、農業区では我先にと土を耕す女性たちの姿が溢れている。


「みんな、めちゃくちゃ元気っすね……」


 圧倒的なエネルギーに少し気圧された桜豪千さくらごうちれんは、喧騒から逃れるように街の端にある静かな区画へと足を運んだ。

 そこは、最近整備されたばかりの「保育スペース」だった。召喚された時に偶然一緒に飛ばされてきた小さな子供たちや、この街で生まれ育っていく命を守るための場所だ。


「こらこら、走らないの。転んだら痛いわよー」


 柔らかく、よく通る声が響いた。

 元児童心理学者であり、保育・初等教育担当の長谷川はせがわ芽衣めいだった。彼女は泥んこになって遊ぶ子供たちの頭を優しく撫でながら、ふと入り口に立つ蓮に気づいて微笑んだ。


「あら、いらっしゃい。お疲れ様、新米パパさん」

「……え? パパ?」

「そうでしょう? ナナちゃんのお腹に、あなたの赤ちゃんがいるんだから」


 芽衣はエプロンで手を拭きながら、トコトコと歩み寄ってきた。

「それに見て。あそこで元気に走り回ってる男の子たち。妊娠状態で召喚されたお母さんたちから産まれた子なんだけど、もう数十人規模になったわ。あの子たちがいる限り、今後増えるであろうあなたの子供が大きくなっても、同世代の結婚相手やライバルに困って遺伝子が行き詰まる心配はないわね」

「確かに。俺と血の繋がらない男の子が一緒に育ってくれるのは、色んな意味で心強いっす」


 この街の女性たちの多くは、蓮を「絶対的な王」や「完璧な救世主」、あるいは「神聖な種馬」として特別視し、熱を帯びた瞳で見てくる。しかし、芽衣の瞳にはそうした執着や狂信は一切なく、ただの「近所の青年」を見るような、フラットで温かな親愛の情があった。


「あの……俺、正直まだ実感がないっていうか。三十年も魔法の修行ばかりで、父親なんて柄じゃないんすよ。ちゃんと生まれてくる子を守れるのか、少し不安で……」


 蓮がぽつりと弱音をこぼすと、芽衣はくすっと笑った。


「誰も最初から完璧なお父さんなんていないわよ。魔法で何でも解決できる大魔法使いじゃなくて、泥だらけになって一緒に悩んでくれる『ただのお父さん』になればいいの。私たちが、ちゃんとサポートするから」


 芽衣がポンと蓮の肩を叩く。その普通の、けれど力強い大人の女性の包容力に、蓮は張り詰めていた心の糸がふっと緩むのを感じた。


「……そっか。そうっすよね。俺、ただのお父さんになればいいんすね」

「ええ。子供たちにとって、あなたの存在はもう十分すぎるほど大きな安心なんだから」


 広場から聞こえるドロドロとした嫉妬や欲望の喧騒とは無縁の、穏やかで優しい時間。芽衣との交流は、蓮にとってこの異常な世界で唯一、普通の人間としての「父親の自覚」を育む、かけがえのない安らぎの場所となったのだった。


+++


 しかし、街全体の熱気はそんな穏やかな空気とは裏腹に、暴走一歩手前まで膨れ上がっていた。

 ナナの妊娠に触発された女性たちの「ポイント稼ぎ」は過激化し、無理な労働で倒れる者や、些細なことで派閥間の小競り合いを起こす者が続出していたのだ。


「このままじゃ、欲求不満で街が内側から爆発するね。ここは一つ、巨大なガス抜きが必要だよ」


 そう言って不敵に笑ったのは、プロギャンブラーの土屋つちや朱莉あかりだった。

 彼女はすぐさま畜産主任の滝川樹利亜と協力し、広場の外周に巨大な円形のダートコースを蓮の魔法で急造させた。


 数日後。街に地響きのような大歓声が轟いた。

 第一回『ジュラシック・ダービー』の開幕である。


「さあさあ、張った張った! 第一レース、本命はサバイバル派の剛腕騎手、対する大穴はファンクラブの刺客だよ! 賭け金代わりの労働ポイント、それから『貴重な化粧品』や『インスタントコーヒー』も受け付けるよ!」


 朱莉が特設の胴元ブースで、札束ならぬポイント木簡と現代物資を巧みに捌きながら声を張り上げる。

 ゲートが開き、土煙を上げて飛び出したのは、ダチョウのような姿をした足の速い小型恐竜「オルニトミムス」の群れだ。その背中には、各派閥の代表として選ばれた女性騎手たちが跨り、凄まじいスピードでコースを駆け抜けていく。


「いけえええっ! サバイバル派の意地を見せろ!」

「ファンクラブを舐めないで! ここで勝って蓮さんにアピールするのよ!!」


 観客席の女性たちは、日頃の不満や嫉妬をすべてレースの熱狂にぶつけ、文字通り喉を枯らして叫んでいた。

 これは単なる娯楽ではない。派閥のメンツを懸けた代理戦争であり、街の経済ポイントを強制的に循環させる、計算し尽くされた巨大エンターテインメントだったのだ。


「すごい熱気っすね……」


 特等席でレースを見下ろしながら、蓮が目を丸くしていると、隣でオッズ表を眺めていた朱莉がニヤリと笑った。


「人間、希望と欲望がないと生きられない生き物だからね。賭けの熱狂でアドレナリンを出させれば、ドロドロの嫉妬も健全な消費に変わる。これが私の『リスクと確率のコントロール』だよ、蓮さん」

「なるほど……朱莉さん、怒らせると一番怖いタイプっすね」


 歓声が最高潮に達し、第一着の恐竜がゴール板を駆け抜けた瞬間、割れんばかりの絶叫とため息が交錯した。


 しかし、その熱狂の陰で、観客席の薄暗い通路では、密かな思惑が交差していた。

 文明遺産管理部のソフィア・チェンが、ダービーで大勝ちした女性に近づき、艶やかな笑みを浮かべて囁いている。

「おめでとう。そのポイント、私の持っている『高級香水』と交換しない? 今夜、彼を誘惑するには最高の武器になるわよ……」

 消えゆく現代物資が、通貨以上の価値を持って闇で取引され始めていたのだ。


 希望と狂気、安らぎと熱狂、そして水面下でうごめく裏取引。

 第一子の妊娠という衝撃を起爆剤に、八万人を抱える巨大都市は、いよいよ国家としての複雑な欲望を飲み込みながら、次なるうねりへと突き進んでいくのだった。

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