第2話 絶望のサバイバル
空中の魔法陣がある空間からポンッと放り出されるように現れたのは、現代の衣服に身を包んだ若い女性だった。
「っと!」
蓮は反射的に地面を蹴り、宙に現れた女性をふわりと抱きとめた。着地の衝撃を魔法で殺し、ゆっくりとシダの群生の上に降ろす。
彼女はスケッチブックの入ったトートバッグを肩にかけ、目を見開いて震えていた。
「大、型……トラック……?」
十九歳の美大生、襟島ナナである。彼女は横断歩道でトラックに轢かれる直前、突如として足元に開いた魔法陣に吸い込まれたのだ。
「大丈夫っすか? 怪我はないみたいっすけど」
蓮が優しく声をかけると、ナナはゆっくりと顔を上げ、蓮の涼しげな顔立ちを見つめた。トラックの恐怖から一転、見知らぬ森で自分を抱きとめてくれた謎の青年。命を救われたという強烈な事実が、彼女の心を一瞬で蓮へと強く依存させた。
「あ、あなたが……助けてくれたの?」
「まあ、そんなところっす。とりあえず落ち着いて……」
その時、シダの茂みがガサリと大きく揺れた。
鋭い鳴き声と共に飛び出してきたのは、全長二メートルほどの肉食恐竜、ヴェロキラプトルだった。後脚の鋭い鉤爪を振り上げ、無防備なナナに向かって跳躍する。
「ひっ!?」
ナナが悲鳴を上げてすくみ上がる。
「危ないっすよ」
蓮の態度は、散歩中に野良犬を追い払うかのように自然だった。
彼はナナの前に立ち塞がると、指先を軽く弾いた。
空間牽引。
見えない巨大な手がヴェロキラプトルを空中で鷲掴みにし、そのまま強引に後方へ数十メートル投げ飛ばした。ズドーンという地響きと共に、恐竜は太い木の幹に激突し、あっけなく気絶する。
蓮が魔法を発動するまで、わずか一秒。
「え……? なに、今の……」
信じられない光景に、ナナは言葉を失い、へたり込んでしまった。パニックと安堵が入り交じり、瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
そんな彼女を見下ろし、蓮は困ったように微笑んだ。
どれほど理不尽な状況でも、まずは相手の生存と安心を最優先する。それが彼のやり方だった。
蓮はウエストポーチから、先ほど畑で収穫したばかりのトマトを取り出した。
「とりあえず、これ食べます?」
採れたてでみずみずしいトマトを差し出されたナナは、呆然としながらも、蓮にすがるようにその手を取った。
しかし、蓮の苦労はこれで終わりではなかった。
垂れ下がったいびつな魔法陣が、再び眩い光を放ち始めたのだ。
次に放り出されてきたのは、スーパーのレジ袋を提げた主婦らしき女性だった。
「え? またっすか?」
驚く間もなく、一分後には女子高生が、さらに一分後にはスーツ姿の女性が、次々と空から降ってくる。
「ちょっと待って、これ、どういうことっすか!?」
止まらない召喚の光。
絶望の恐竜時代に、魔法を使える唯一の男と、空から無限に降ってくる現代女子たち。
休む間もなく一分に一人が落下してくる理不尽極まりないサバイバルが、今ここに幕を開けたのだった。
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「きゃあああああ!」
「ここはどこ!? スマホが圏外なんだけど!」
次々と響き渡る悲鳴。魔法陣からの光は一向に止む気配がなく、一分に一人の正確なペースで、現代の女性たちをこの恐竜時代へと吐き出し続けていた。
蓮は休む間もなく動き続けていた。落下してくる女性たちの真下に、すかさず魔法で柔らかいクッションを作り出し、着地の衝撃を和らげる。
「落ち着いてくださいっす! 怪我はないっすか?」
パニックに陥り、泣き叫ぶ者や状況を理解できずに立ち尽くす者たち。周囲を駆け回りながら、蓮は自身の体内を巡る魔力の流れに、ある致命的な異常を感じ取っていた。
(全魔力の約三十パーセントが、常に『予約』されたみたいに引かれている……?)
時空の裂け目に噛み込んで消すことのできない収穫魔法が、現代から女性を吸い上げるための『召喚』の維持費として、蓮の魔力を強制的に奪い続けているのだ。
文句を言っている暇はない。鬱蒼としたシダ植物の平原に次々と現れる女性たちを保護し、周囲の森から様子をうかがう小型恐竜の気配を魔法で牽制しながら、安全な場所へと誘導していく。
超絶お人好しな蓮は、パニックを起こす彼女たちを誰一人見捨てることなく、「大丈夫っすよ」と声をかけ続けた。
最初に空から降ってきたナナは、蓮のジャージの裾をきつく握りしめ、彼の背中にぴったりと張り付いて震えていた。トラックから命を救われた彼女にとって、蓮はすでに「自分の世界のすべて」であり、絶対に離れられない強い依存の対象となっていたのだ。
やがて、巨大な針葉樹の森の向こうに太陽が沈み、恐竜時代に初めての夜の闇が降りてきた。
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経過日数、一日目。
たったそれだけで、召喚された女性の想定人口はなんと約一千人以上に達していた。
「さすがの俺も、ちょっと骨が折れるっすね……」
限界の初日。魔力を酷使し、たった一人で千人以上のパニックに対応し続けた蓮は、大きく息を吐き出して額の汗を拭った。
周囲には、蓮が魔法で急造した土の防壁と、夜の冷気を防ぐための焚き火がいくつも灯っている。疲れ果て、身を寄せ合うようにして眠りに落ちた女性たちの寝息が、夜の森に微かに響いていた。
蓮の隣では、ナナが彼の腕を両手でしっかりと抱きかかえたまま、安心したようにすうすうと寝息を立てている。
そっとナナを起こさないように腕を抜き、蓮は一人立ち上がって夜空を見上げた。
澄み切った古代の星空。現代日本よりもはるかに多くの星々が瞬く、美しくも残酷な空だった。
その星空の片隅に、蓮の並外れた視力は『それ』をはっきりと捉えていた。
赤黒く、不吉な光を放ちながら迫り来る巨大な星。
「巨大隕石……」
女神が言い放った、地球規模の大量絶滅を引き起こすという絶望の象徴だ。この時点では、この世界でその存在を知っているのは蓮ただ一人である。
今の自分に、あの規格外の質量を打ち砕く魔力があるだろうか。いや、全魔力の三割を召喚プロセスに奪われている今の状態では、到底不可能だ。
「……女神様も、とんでもない置き土産をしてくれたっすね」
自嘲気味に笑いながら、蓮は再び眠る女性たちへと視線を戻した。
一分に一人。明日も、明後日も、この空から彼女たちは降り続ける。スマホも通じず、知能を持った恐竜が牙を剥く極限の世界に。
「来るもの拒まず……っすけど、これは気合いを入れないと、全員守りきれないっすねぇ」
絶滅のカウントダウンが迫る中、たった一人の大魔法使いと、無限に増え続ける現代女子たち。
理不尽な絶望の時代で、お人好しすぎる王による壮絶なサバイバルと建国の幕が、静かに上がった。




