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第17話 癒やしと分析

 夜の静寂が降りた診療所。壁に背を預けて泣き崩れるエマ・ウィリアムズの言葉を、背後から静かに聞いていた影があった。

 桜豪千さくらごうちれんである。彼は音もなくエマの隣に腰を下ろすと、泥と血にまみれた彼女の細い肩を、温かい大きな手でそっと抱き寄せた。


「……蓮」

「エマさん、自分を責めないでほしいっす。今日の防衛部隊が全滅しなかったのは、間違いなくエマさんが死に物狂いで命を繋ぎ止めてくれたからっすよ」


 エマは蓮の胸に顔を埋め、首を横に振った。


「でも……私には薬を作ることも、魔法で病気を治すこともできないわ。ただ切り刻まれた体を縫い合わせるだけの、無力な……」

「そんなことないっす」


 蓮はエマの言葉を遮り、さらに強く彼女を抱きしめた。


「俺の魔法だけじゃ、みんなを救えない。怪我を治せても、心の恐怖や絶望までは取り除けないんすよ。でも、エマさんが血だらけになって最前線で戦ってくれるから、俺も、街のみんなも安心して明日を生きられるっす。エマさんは、間違いなくこの街の命綱っすよ」


 その真っ直ぐで嘘偽りのない言葉は、エマの張り詰めていた心を溶かす究極の治癒魔法だった。

 張り詰めていた糸が切れ、エマは蓮の胸で声を上げて泣きじゃくった。三十歳の有能な救急救命医が、ただの一人の弱い女性に戻って涙を流し続ける。蓮は何も言わず、ただ優しく彼女の金髪を撫で続けた。


 やがて涙が枯れ果てた頃、極度の疲労状態にあるエマは、熱を帯びた潤んだ瞳で蓮を見上げた。


「……蓮。私、もう限界みたい。体も、心も……」

「今日はもう休むっすよ。見張りは俺がしておくっすから」

「ダメ。一人じゃ、さっきの恐竜に引き裂かれた子たちの顔を思い出して……眠れないわ」


 エマは甘い吐息を漏らしながら、蓮のジャージの胸元を強く握りしめた。


「お願い……今日だけは、特別扱いして。私を、一人にしないで……っ」


 それは、多忙を極める彼女が初めて見せた、痛切なまでの甘えだった。蓮は困惑することなく、「了解っす」と微笑み、診療所の奥にある彼女の簡素な仮眠用ベッドへと二人で倒れ込んだ。

 エマは蓮の体温を貪るように彼の上に乗り、その首筋に顔を埋める。


「エマさん、あんまり無理すると……」

「いいの。あなたが私を肯定してくれたから……もっと、あなたを感じていないと安心できないの」


 エマの柔らかな唇が、蓮のそれに重なる。極限の死地を潜り抜けた夜、血と消毒液の匂いが微かに残る空間で、二人は互いの存在を確かめ合うように深く肌を重ね合わせた。エマは激しい波に身を委ねながら、蓮という唯一無二の安らぎの中で、ようやく絶望から抜け出すことができたのだった。


 +++


 一方、防壁の裏手に設けられた解剖室では、むせ返るような血と内臓の匂いが充満していた。

 氷室ひむろ涼子りょうこは、返り血を浴びた白衣のまま、無表情でメスを振るっていた。解剖台に乗せられているのは、防衛部隊が辛くも持ち帰った数頭のヴェロキラプトルの死骸である。


「……非常に興味深い検体ですね。頭蓋骨の容積、特に大脳皮質に相当する部分が、化石の記録よりも異常に発達しています」


 涼子の呟きに呼応するように、背後から「カタカタ」という音が響いた。

 大きめのパーカーのフードを深く被ったトップゲーマー、七海ななみ千秋ちあきである。彼女は涼子が計測した恐竜の骨格データや、部隊の戦闘記録を現代から持ち込んだノートに書き込み、ゲームのパラメーターのように分析していた。


「千秋さん。凛たちの証言と照らし合わせて、どう見ますか?」

 涼子が冷たく尋ねると、千秋はクマの目立つ瞳を細めてポツリと答えた。


「ただの獣の群れじゃないよ。完全に『ヘイト管理』されてる」

「ヘイト管理、ですか」

「うん。ゲームの基本戦術。取り巻きの雑魚にわざとヘイト(敵意)を稼がせておびき出し、一番火力の高い蓮さんの魔法を使わせる。奴らは、蓮さんの魔法の『射程距離』と、一度魔法を撃ってから次に撃つまでの『クールタイム(隙)』を正確に計測してるんだよ」


 千秋の言葉に、涼子はメスを置き、血塗られた手袋を外した。


「つまり、彼らは死に物狂いで襲ってきているのではなく、意図的な軍事行動を取っているということですね」

「そう。少し大きな黒いラプトル……そいつが司令塔の『レイドボス(ネームド)』だね。あいつを落とさない限り、何度でも連携攻撃ウェーブが来るよ」


 単なる獣ではなく、高度な知能と戦術を持って人間を「狩る」存在。蓮の圧倒的な魔法すらも分析の対象とするその不気味な事実に、涼子は感情の乏しい瞳の奥で微かに戦慄を覚えた。

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