第16話 智能を持つ脅威
経過日数:25日目 約36,000人
白亜紀の強烈な日差しを遮る、鬱蒼とした巨大針葉樹の森。
盛大に膨れ上がった街の胃袋を満たすため、防衛・狩猟局長である立花凛は、精鋭部隊を率いてかつてないほど森の奥深くへと足を踏み入れていた。
(ここ最近、近場の獲物が不自然なほど消えている……)
凛は手製の槍を握り締めながら、周囲のシダ植物の茂みに鋭い視線を巡らせていた。元警視庁機動隊員としての勘が、肌に粟を生じさせるような嫌な予感を告げている。
「局長! 右前方の茂みに、小型の草食恐竜が数頭倒れています! まだ息があるようです!」
「待て! 不用意に近づくな!」
部下の報告に凛が制止の声を上げたが、食料確保の焦りからか、数人の女性が槍を構えて茂みへと駆け寄ってしまった。
次の瞬間、静寂に包まれていた森の空気が一変した。
バサァッ、と周囲の景色が「剥がれ落ちる」ような錯覚。
倒れていた草食恐竜の周囲に、保護色で完全に背景と同化していた約二十頭の肉食恐竜――ヴェロキラプトルの精鋭部隊が姿を現したのだ。
「罠だ! 円陣を組めっ!」
凛が叫ぶが遅い。手負いの獲物を装った完全なおびき寄せ。
恐竜たちは統率の取れた動きで部隊の死角に回り込み、後脚の鋭い鉤爪で次々と女性たちに斬りかかった。悲鳴と血しぶきが古代の森に舞う。
その群れの中央に、一回り大きな体躯を持つ異質な個体がいた。
通常のラプトルよりも黒みを帯びた鱗を持ち、冷酷な爬虫類の瞳で戦況を見下ろしている。ネームド恐竜、【静かなる処刑人】ファンキー・ラプトル。
「くそっ、囲まれた! 私が道をこじ開ける、負傷者を連れて撤退しろ!」
凛が先頭に立ち、槍を振るって応戦する。しかし、ファンキー・ラプトルの指示を受けた群れは、決して深追いをせず、一撃離脱の波状攻撃で確実に部隊の体力を削っていく。
「凛さん、伏せてっ!」
木々の間から、聞き慣れた声が響いた。
桜豪千蓮である。街での作業の手を止め、異常事態を察知して急行してきたのだ。
蓮は指先を弾き、空間牽引でラプトルたちを一網打尽にすべく魔力を練り上げた。
しかし――。
ファンキー・ラプトルが短く、鋭い鳴き声を上げた。
すると、ラプトルの群れは一瞬の迷いもなく、蓮の魔法の射程距離の「ギリギリ外側」へとクモの子を散らすように後退したのだ。
空振りに終わった見えない空間の手に、蓮がわずかに目を見開く。
(俺の魔法の有効範囲を……知っている?)
驚く間もなく、魔法の発動直後に生じるわずか数秒の「隙」を狙い澄ましたかのように、別働隊のラプトルが死角から凛たちに襲いかかった。
「きゃあああっ!」
「しまっ……! 生命の活性!」
蓮は咄嗟に治癒の魔力を放ち、致命傷を防ぐのが精一杯だった。
ファンキー・ラプトルは、蓮という規格外の存在を前にしてもパニックを起こすことなく、まるでチェスの駒を進めるように冷徹な軍事行動を取り続けている。
人間を狩るために進化し、魔法の法則すら学習する知能。ただの恐竜ではない不気味な脅威が、そこにいた。
「これ以上は危険っす! 俺が壁を作るから、全速力で街へ引くっすよ!」
蓮は万物拡充で土の防壁を急造し、ラプトルの追撃を物理的に遮断した。その間に、血まみれになった防衛部隊は、命からがら街へと撤退したのだった。
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街の端に急造された土の診療所は、帰還した防衛部隊のうめき声と血の匂いが充満し、さながら野戦病院と化していた。
「止血帯を持ってきて! この子は急いで傷口を洗浄しないと感染症を起こすわ!」
白衣を血と泥に染めながら、救急救命医のエマ・ウィリアムズが戦場の最前線のような陣頭指揮を執っていた。金髪を振り乱し、限られた医療器具で次々と運び込まれる負傷者の処置に当たる。
蓮も診療所の片隅で、魔力が許す限り生命の活性を使い続け、裂けた傷口を塞いでいた。しかし、彼の魔法は万能ではない。複雑な内臓の損傷や、恐竜の牙に付着した未知の細菌による感染症、そして何より、恐怖によって深くえぐられた「心の傷」までは治せないのだ。
「エマ先生……痛い、痛いよぉ……っ」
ベッドの上で、若い女性が熱にうなされながら涙を流している。
エマはその手を強く握り締め、もう片方の手で抗生物質の入った小瓶を見つめた。
残りわずか数錠。現代から持ち込まれた薬は、もはや底を尽きかけている。これを使い切れば、あとは古代の植物から作った気休め程度の軟膏に頼るしかない。
「大丈夫、私が必ず助けるから……!」
エマは気丈に振る舞いながら薬を投与したが、その直後、別のベッドから容体急変を知らせる悲痛な叫び声が上がった。
次から次へと押し寄せる命の危機。未来の設備の整ったER(救急救命室)であれば、確実に救えたはずの命が、指の間からこぼれ落ちそうになる現実。
数時間後、峠を越えた負傷者たちが疲労で眠りについた頃。
誰もいなくなった診療所の裏手で、エマは壁に背中を預け、ずるずると崩れ落ちた。
「……私の力だけじゃ、限界があるわ」
両手で顔を覆い、肩を震わせるエマ。彼女の脳裏には、苦痛に歪む女性たちの顔と、空っぽになりつつある薬箱が焼き付いていた。
「医療機器もない。薬もない。ただ傷口を縫い合わせるだけで……細菌感染が広がれば、私はあの子たちを見殺しにするしかない……っ!」
救命医としての強烈な責任感が、彼女の心を限界まで追い詰めていた。死と隣り合わせの絶望の世界で、命を預かる重圧はあまりにも大きすぎたのだ。
嗚咽を漏らすエマの前に、泥だらけになった立花凛が歩み寄ってきた。凛の腕も包帯で痛々しく巻かれている。
「エマ先生……」
「凛……ごめんなさい。私、医者なのに力になれなくて……」
凛は首を横に振り、血の滲む唇を強く噛み締めた。その瞳には、恐怖ではなく、燃え盛るような悔しさと決意が宿っていた。
「謝るのは私の方です。私たちが弱かった。魔法に頼り、力押しで勝てると思い上がっていたんです。奴らはただの獣じゃない……私たちを『狩る』ための戦術を持っていた」
凛は包帯の巻かれた拳を、壁に強く叩きつけた。
「師匠の魔法だけに頼っていては、この街はいつか滅びる。私たち自身の手で、戦闘員でなくても扱えるような強力な兵器を作らなければ……奴らを、あのファンキー・ラプトルを迎え撃つことはできない!」
その言葉は、絶望に打ちひしがれていたエマの胸に、小さな、しかし確かな火を灯した。
生き残るためには、嘆いている暇はない。魔法が届かないなら、科学と人間の知恵で抗うしかないのだ。
遠く防壁の外から、ファンキー・ラプトルの嘲笑うような遠吠えが響く。人間と恐竜、互いの存亡を懸けた知恵比べの死闘が、静かに幕を開けようとしていた。




