第13話 新たな命
生と死は、常に隣り合わせで回っている。
蓮と愛莉が街に戻ると、診療所の前が異様な熱気に包まれていた。内政局の如月冴子が人払いをしており、中からはエマの鋭い指示と、女性の激しい苦痛の叫び声が響いている。
「どうしたんすか、冴子さん」
「蓮。……お産よ」
冴子が眼鏡のブリッジを押し上げながら、緊張した面持ちで答えた。
「数日前に召喚された女性です。こちらに来た時点ですでに臨月を迎えており、先ほどから陣痛が始まりました。エマたち医療班が総出で対応していますが……設備が何もないこの状況では、母子ともに危険な状態です」
「俺にできることは!?」
「お湯を!蓮、無菌状態の熱湯をありったけ用意してちょうだい!」
中から飛び出してきたエマの怒声に、蓮は即座に反応した。石のタライを空間牽引の魔法で精製し、清浄な水を満たして劫火の種火で一気に沸騰させ、適温に冷ます。さらに「生命の活性」の魔力を微弱に放ち続け、産婦の体力を底上げし続けた。
一分が一時間にも感じられるような、極限の緊張。
やがて――。
「オギャアアアアッ!オギャアアアアッ!!」
力強い、生命力に満ち溢れた産声が診療所に響き渡った。
「産まれた……っ!母子ともに健康よ!」
エマが涙声で叫ぶと、外で祈るように待っていた数千人の女性たちから、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。誰もが涙を流し、新しい命の誕生という「希望」に抱き合って喜んでいる。
エマに促され、蓮は恐る恐る診療所の中へと足を踏み入れた。
疲れ果てて眠る母親の横で、柔らかな布に包まれた小さな赤ん坊が、元気に手足を動かして泣いている。
「蓮、見て。……男の子よ」
エマが微笑みながら、赤ん坊をそっと蓮の腕の中に抱かせた。
「え……男の子?」
圧倒的な女性過多、いや、蓮以外の全人類が女性というこの異常な世界において、初めて誕生した同性の命。一分に一人、女性ばかりが降ってくる呪いのような街で産み落とされた、小さな小さな「男」だった。
蓮は、恐れ多くて魔法を使う時よりも慎重に、その小さな命を腕に抱いた。
温かい。驚くほど小さくて、柔らかい。
「……よく頑張って生まれてきたっすね」
蓮の目元が自然と和らぎ、大魔法使いの顔から、ただの青年のような優しい笑顔がこぼれた。
「この街は女の人ばっかりで、肩身が狭いかもしれないっすけど……」
蓮は赤ん坊の小さな手に自分の指をそっと添え、ウインクをして見せた。
「同じ男同士、仲良くするっす」
+++
街が新しい命の誕生に沸き立つ中、広場の一角からは食欲をそそる強烈な匂いが漂っていた。
「蓮さーん!試作品、ついに完成したよ!」
ふくよかな体型でエプロンをパツパツにさせた調理・保存食担当の野々村柚葉が、大きな木の皿を抱えて駆け寄ってきた。皿の上に山積みになっているのは、黒光りする肉の塊――『恐竜ジャーキー』だ。
「おっ、柚葉さん。いい匂いっすね」
「蓮さんの『乾燥・凍結魔法』を冷蔵庫代わりに使わせてもらって、血抜きと熟成を極限まで試したの!噛めば噛むほど旨味が出る、自信作だよ!ほら、あーんして!」
柚葉が満面の笑みでジャーキーを蓮の口元へ運ぶ。蓮が一口かじると、野性味あふれる肉の旨味と、香草の香りが口いっぱいに広がった。
「うまっ!これ、現代の高級おつまみレベルっすよ!」
「えへへ、でしょ!蓮さんの胃袋は、私がガッチリ掴んで離さないからね!」
「ちょっと待ったぁっ!」
ドンッ、と柚葉を弾き飛ばすような勢いで割り込んできたのは、農業主任の佐藤小春だった。彼女の手には、先ほど蓮の魔法で急速成長させたばかりのみずみずしいトマトやキュウリが抱えられている。
「肉ばっかりじゃ体に悪いっしょ!蓮くん、私が育てたこの特製トマトも食べて!ほら、あーん!」
「いや、俺は別に自分で食べられるっすけど……んぐっ」
有無を言わさず小春にトマトを口に押し込まれる蓮。
「どう!?魔法と愛情がたっぷり詰まってるから、甘くて美味しいでしょ!胃袋を掴むなら、やっぱり健康的で家庭的な野菜のほうだよね!」
「なによ小春ちゃん!過酷な労働には絶対、私のスタミナ満点ジャーキーのほうが蓮さんの力になるんだから!」
「野菜のほうが、体の調子を整えるんだから!」
豊満な胸を押し付け合いながら、バチバチと火花を散らす二人。
「いや、どっちも美味しいから喧嘩しないで……」
タジタジになりながら両方の料理を口に詰め込まれる蓮をよそに、女たちの静かで熱いアピール合戦はとどまることを知らなかった。
その狂騒から少し離れた日陰で、艶やかな笑みを浮かべている女がいた。文明遺産管理部のソフィア・チェンである。
彼女は後刻、配給の片付けをしている柚葉の元へ音もなく近づいた。
「柚葉ちゃん。あなたのそのジャーキー、素晴らしい出来ね」
「えっ?ソフィアさん?ありがとう、蓮さんも褒めてくれたんだ」
「ふふっ。ねえ、私の個人的な持ち物である『高級美容液』と、そのジャーキーを少しだけ交換しない?乾燥するこの世界じゃ、お肌のケアは命取りでしょ?」
「えっ!?び、美容液!?ほしい!絶対ほしい!」
ソフィアは妖しく目を細めた。この恐竜ジャーキーは、いずれ街の経済を回す『最高級の通貨』になる。彼女は誰よりも早く、したたかに裏取引のルートを開拓し始めていたのだ。
+++
夜。
白亜紀の空に満天の星が輝き、防壁の外から遠吠えが響く時間。
内政局長である如月冴子が、「最高重要資源の睡眠を妨げる者は容赦しません」と厳重な見回りをしている目を盗み、蓮の寝床である土の長屋に、音もなく滑り込む影があった。
最初に召喚された美大生、襟島ナナである。
「……蓮さん」
毛布にくるまって眠りにかけていた蓮は、胸元に潜り込んできた小さな体温に驚いて目を開けた。
「ナナちゃん?冴子さんの見回り、厳しかったんじゃないっすか?」
「あんなの、蓮さんに会いたい気持ちに比べたら全然平気……」
暗闇の中、ナナの大きな瞳が濡れたように光っている。昼間の小春や柚葉とのやり取りを、彼女はずっと物陰から見ていたのだ。
「ねえ、蓮さん……私のこと、一番好きだよね?」
ナナの細い腕が、蓮の首にきつく、呼吸が苦しくなるほど強く絡みつく。
「あのおっぱいが大きい人たちにご飯作ってもらってて、私寂しかったな……ダメだよ。蓮さんを一番最初に見つけたのは、私なんだから」
無垢だからこそ狂気すら孕んだ、重すぎる執念。
すべてを蓮に依存し、彼だけを世界の中心に据えている彼女の愛情は、時に刃のように鋭い。蓮はその重さに少しだけ背筋を冷たくしながらも、超絶お人好しな王として、彼女を拒絶することはなかった。
「大丈夫っすよ。ナナちゃんのことも、大切にするっす」
蓮が優しくその背中を撫でると、ナナは安心したように震えながら、蓮の唇を塞いだ。
「私だけを見続けて……蓮さん……っ」
一分に一人、際限なく増え続ける女たちの嫉妬と欲望。
そのすべてを受け止める蓮の夜は、恐竜との戦い以上に過酷で、甘く長いものだった。




