第7話 襲われ……なかったけど
『――……ですか。冗談じゃありませんよ! あんなに若い娘さんに、どこまで非道なことをされるおつもりなんです? 隷属させただけでは、まだ不満なんですか?』
『そういうわけではないが……』
『籠の鳥として囲おうだなんて、どれだけ肝っ玉が小さいんですか、あなたは!』
『そんなつもりはない。ただ、極力部屋から出さないように』
『お断りですよ。そんな窮屈な思いはさせられませんからね。大体、こんな深夜に女性の部屋を訪ねてくるなんて、なにをするつもりなんですか』
『いや、それは……』
『昼間だって、理由もなくあんな風に怒鳴ったりして。怖かったでしょうに、可哀そうなことを』
『その件については謝罪しようと』
『だったら、明日になってから出直していらっしゃい!』
『しかし……』
ドアの向こう側で押し問答しているのが聞こえてくる。
スウスと、もうひとりはセシオンだとすぐにわかった。
部屋のなかは暗い。もう深夜だとスウスは言っていたが、部屋に戻ってきたのは昼過ぎだったはずだ。昨晩あまり眠れなかったせいで、ちょっと昼寝のつもりがすっかり寝入ってしまっていたらしい。
テュシアは暗がりに目を慣らしてから、ゆっくりと起き上がった。
昼間、スウスに案内されて王の塔にある執務室を訪れた途端に出て行けと怒鳴られた。テュシアに親切な侍女はそれを責めているようだが、実のところ、そのことに関してはなんとも思っていない。
感じが悪くて偉そうなのは前からそうなので、知っている。さすがに怒鳴られたことはなかったが、まあ、いまさらだ。
もっと口が悪くて粗暴な師匠と寝食を共にしているから、たいがいのことは気にならないというのもある。
それよりも驚いてしまったのは、ミエーネだった。
セシオンの側仕えとしていつも傍らに姿がある綺麗な黒竜。
前世、前々世と、わけもわからぬまま連れて来られたテュシアを慰めようとしてくれたのはスウスとミエーネだけで、結局失敗してしまったけれど、前世でここから逃げたいと訴えたテュシアを背に乗せて連れ出してくれたのはミエーネだった。
だから今回も、仲良くできたらと思っていた。
それなのに。
「なんか睨まれた。めっちゃ睨まれた……!」
正直、セシオンなんかよりよっぽど怖かった。
「警戒されてる、のかな……」
サバサバした物言いと、女性ならではの気遣いでかつてテュシアを慰めてくれていた彼女も、やはり竜なのだ。この国の王であるセシオンが隷属の魔法を使わざるを得ない状況に陥ったのは、テュシアのせいだと疑っているのかもしれない。
「私のせいじゃないんだけどなぁ」
客観的にみたら、そう思われても仕方がないのだろう。
当然と言えば、当然のこと。まるでテュシアを疑ってもいないアミやスウスの大らかさのほうが、きっとおかしい。
テュシアは溜息を吐き、ベッドから降りてランプを点した。
待っていれば諦めるかと思ったのに、ドアの外の押し問答がいつまで経っても終わらないからである。いい加減、鬱陶しい。
ガチャッとドアを開くと、弾かれたようにセシオンがこちらに首を回らせた。
「テュシア!」
「スウス、遅くまでごめんね」
「いいえ、いいえ! いいんですよ。それより起こしてしまいましたね……。うちの愚王がうるさかったでしょう?」
相変わらずスウスは自国の王に対して遠慮も容赦もない。
申し訳なさそうに眉尻を下げた彼女に大丈夫と言い置いて、テュシアはセシオンを見上げた。
「部外者なのに勝手にうろうろしていた私も悪かったし、気にしてないんで、どうぞお引き取りを。じゃ、また」
閉めようとしたドアが、すかさず伸びてきたセシオンの手によって阻まれる。
「テュシア、待っ……」
どこか焦った声だ。
「まだなにか?」
「っ!」
狼狽えた様子のセシオンをまじまじと見つめると、ついと目を逸らされた。
あれだ。悪いことをしたと自覚している大型犬が、飼い主に見つめられてそっと目を逸らす、あれ。
「…………」
「…………」
呆れた顔でスウスが首を振る前で、大型犬がチラチラとこちらを窺ってくる。
「で?」
「…………その、昼間はすまなかった」
テュシアは、はぁ、と特大の溜息を落とした。
「昨日から謝られてばっかりなんだけど、あんまり誠意を感じないなぁ」
「うぐ……も、申し訳ない……」
溜息を、もうひとつ。
テュシアはドアを大きく開いた。
「まあいいや。スウスも休む時間でしょう。解放してあげなきゃ。とりあえず、入って。お茶でも飲みます?」
「ああ! 飲む!」
わかりやすくパッと顔を明るくしたセシオンに比して、スウスは心配顔だ。
「テュシアさん」
「平気。スウスはもう休んで」
「ですが……」
「うん、まあ……大丈夫」
やっぱりスウスはおかしい。テュシアのことばかり心配して、セシオンのことはまったく気にしていないようにみえる。
「なにかあったら叫んでくださいね。絶対ですよ」
「うん、わかった」
「竜は耳がいいんです。絶対に聞こえますからね」
「うんうん、ありがとう」
後ろ髪を引かれていることを隠しもせずにスウスが歩み去って行く間にも、セシオンは一心にテュシアを見つめている。視線で顔に穴が開きそうだ。
「どうぞ竜王サマ、オハイリクダサイ」
「テュシア……」
敢えて機械的な口調で言うと、セシオンの眉がへにょりと下がる。
「ここはあなたの城でしょう? ご遠慮なく。それとも、軟禁部屋になど入りたくないとでも?」
「な、軟禁など……っ!」
「そんなつもりはなかった? でも部屋から出したくないんでしょう?」
「それは……」
歯切れの悪いセシオンに、テュシアは溜息を吐いた。
「で? 入りますか、入りませんか?」
「……すまない」
またしてもしょぼくれた大型犬の顔で、セシオンがおずおずと部屋に入ってくる。
「薬草茶でいい?」
「ああ」
テーブルに向かってポットを取り上げたところで、気がついた。
「やっぱり水でいい?」
「構わないが……ああ、湯か。貸してみろ」
ポットを渡すと、包み込むようにセシオンが手を翳した。
仄暗い部屋の中にぽぅっと小さな光が浮かび、途端に蓋の隙間からふわりと湯気が立ち昇る。
「おお! 魔法だ!」
メルー以外の魔法を間近で見られるのは滅多にないことなので、テュシアは思わず食い入るようにセシオンの手元を見つめて目を輝かせた。
「この程度のものでも珍しいのか」
「人間は魔法が使えないからね」
おそらく他種族の血がどこかで混ざったことのある者だけが魔法を発現するのだろう、というのが人間界の常識だ。だから人間は基本的に魔法を使えないし、使えたとしても大したことはできない。
「わぁ、すごいなぁ! あちちッ」
ほら、と返されたポットを受け取り、感嘆の声を上げる。
「なんて無駄のない魔法! 一瞬でお湯になっちゃったよ」
前世でも前々世でも、おそらく竜人たちはこんな風に魔法を使っていたのだろうが。当時はさほど興味がなかったので、スルーしていたのがもったいない。
思えば、前の二度のときも、ここでの暮らしをもっと楽しんでみようとすればよかった。今回のミエーネだけはちょっとわからないけど、スウスはあの通り優しいし、アミも話してみたら結構いいヤツっぽかったし。
どうもセシオンはテュシアを閉じ込めておきたいようだが、そんなものは無視だ、無視。大人しく黙って食糧になんかなってやるものか。
そうとなったら、明日も探検だ。
行ったことのない場所ばかりだから、探索のし甲斐があるだろう。
そういえばチェロヴィクにはない珍しい草花なんかも生えていそうだし、ちょっと採取させてもらえたりしないか、明日スウスに聞いてみよう。
そんなことを考えつつ、心なし得意げな顔をしているセシオンには気づかず、テュシアは鼻歌交じりに薬草茶を淹れた。
「いい匂いだな」
「でしょ? 夜だから安眠効果のあるバレリアンとルナリスをベースにして、アステラもちょっといれてみたんだよね」
バレリアンの少し独特な香りを、ルナリスのすっきりとした透明感とアステラのほのかな甘い香りが包み込んでくれている。
さっき思いつきで配合してみたのだが、結構上手にできたと思う。
「なんか落ち着くよね。スウスもいい匂いだって――」
「あぁ本当に、いい匂いだ……」
「ひゃっ⁈」
不意に耳元で囁かれた声に、テュシアはびくっと肩を竦めた。
「テュシア……」
「ちょ、なに⁈」
ぐいっと引き寄せられてよろめき倒れ込んだテュシアの身体は、細くとも頑強な胸に危なげなく支えられる。
「いい匂いがする……」
すんすんと、髪に顔を埋めるようにしてセシオンが匂いを嗅いでいる。
テュシアはひぃ、と声にならない悲鳴を上げた。
「ちょっと! お茶の話じゃなかったの⁈」
「あぁ、テュシアの匂いだ……」
「やめてよ! 匂いを嗅がれるって地味に恥ずかしいんだけど……ッ!」
一応入浴はしたからそんなに臭くはないと思うのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
一体何の匂いがするというのか。
「おまえのこの匂いは……何なんだ。どうしてこんなに甘くて……旨そうな……」
「や、やっぱり太らせてから食べ――」
「喰わないと言ったろう! 俺を人喰い竜みたいに言うな!」
心外そうに顔を上げたセシオンの頭をぐい、と手のひらで押しやる。
「あ、髪サラサラだ。さすがイケメンは髪まで綺麗……じゃなくて! いいから! ちょっと離れて!」
「もう少しだけ……」
再び顔を埋めようとしてくるセシオンの頭を、もう一度ぐっと押しやる。
「離れろヘンタイ!」
「俺は変態じゃない!」
「ホンモノはたいていみんな『自分は違う』って言う」
ああやだやだ、とテュシアは鼻からフンッと息を吐いた。
それから、自分の腕の匂いを嗅いでみる。
「まったくもう。何の匂いがするんだろ……。やっぱり薬草? アミもスウスも、臭くないって言ってたのになぁ」
「アミ……?」
低い声に目をやれば、セシオンが剣呑な顔で目を眇めている。
「あいつに匂いを嗅がせたのか?」
「変態と一緒にしないで。今日ここまで送ってくれたときに聞いたの! アミに乗せてもらえって言ったのは竜王サマでしょ」
テュシアとしては、おまえがヘタレたせいだろうと言ってやりたいところだ。
「…………チッ」
「舌打ちした⁈」
「やっぱり俺が乗せるんだった……」
不貞腐れているのか、深く後悔しているのか。むすっと呟いて、セシオンの細く長い指がテュシアの髪をくるくると弄ぶ。
と、油断した瞬間にまたも背後から抱き締められ、セシオンの顔が肩口に埋まった。
「あぁ、旨そうだ……」
「ひぃっ! ほら、やっぱり!」
テュシアの反応を楽しむみたいに、ふっと吐息だけで笑った気配がする。
「テュシア……そうか、おまえの名はテュシアというのだな」
「はぁ?」
何を急に言い出すかと思えば。
名で縛る首輪まで嵌めたくせに。
むっとして口を開きかけたところで、不意にセシオンの声が震えた。
消え入りそうな声で、繰り返し繰り返し、テュシアの名を呼ぶ。
「テュシア……テュシア、会いたかった……」
「……っ!」
テュシアは咄嗟に言葉を詰まらせた。
湿り気を帯びた声で名を呼ばれた途端に、何故だか胸の奥がきゅうっと引き絞られたみたいに痛んだ。左胸の痣の辺りがカッと熱くなる。
「会いたかったんだ、テュシア」
「あ、の……それは……」
「セシオンだ。セオと、呼んではくれないか?」
テュシアの頬を片手で包み、セシオンが背後から覗き込んでくる。
吐息の触れる距離。
こちらを見つめる瞳にキラキラとランプの灯りが反射している。
気のせいだろうか。
かつては一度たりとも感情の揺らぎを見つけたことのなかったその瞳が、とろりと甘く潤んでみえる。
氷のように冷たくもないし、人とは違う縦長の瞳孔だって今は少しも怖くない。
ゆっくりと唇が近づいてくる。
魅入ってしまいそうになっていたことに気づき、テュシアはハッと顔を背けた。
「テュシア……」
哀願の響きを込めて、強請るみたいに。セシオンが囁く。
「いい、匂い、だ……」
「うひゃっ!」
ぐっと身体に重みがかかり、支えきれずテュシアは押し倒されるようにしてソファに倒れ込んだ。
「ちょ、あの、竜王サマ? そろそろ離れ……」
ぐいぐいと肩を押すが、細身のはずのその身体はびくともしない。ひたすらずっしりとテュシアの上にのしかかってくる。
よもやこのまま喰われる羽目に……⁈
と肝が冷えかけたところで、ふと気づいた。
「ん? んん?」
まさか、だけども。
「え、寝てる?」
「……すぅ……すぅ」
耳を澄ませば、大層健やかな寝息が聞こえてくる。
それはもう、まるで長い旅の末にようやく安息の地を見つけたかのような、深く穏やかな寝息が。
「えぇぇぇ」
どうしたらいいのだ、この状況は。
「ちょ、あの、苦しいんだけど。ねえ、自分の部屋で寝なよ。ねえってば」
声をかけてみても起きない。
揺すってもダメ。
これっぽっちも、ちっとも、起きる気配すらない。
むしろ、離れようとすればするほど、がっちりと固く腕が巻きついてくる。
お気に入りの抱き枕を取られまいとでもするみたいに。
「はぁ」
溜息をひとつ。テュシアは諦めて肩の力を抜いた。
「このまま王サマの明日の朝ごはんになるってことは……ない、と思いたい」
だってまだ全然探検だってしてないし、採取のお願いもしていない。
「明日の朝ごはんは、どうか美味しくいただけますように。私が」
誰にともなく祈って、テュシアは目を閉じた。
そして思った。
セシオンは無臭だな、と。
なんでだ? 竜だから?
自分ばかり匂いを気にさせられて、なんかちょっとズルい。
そんなことを思いながらいつしか眠りに落ちていた翌朝。
就寝前の祈りは半分叶い、半分は叶わなかった。
幸いなことに目覚めたときには既にセシオンの姿はなく、自らが朝食になることはなかったものの、残念ながら美味しい朝食にありつくことはできなかった。
「むぐぐぐ……」
口の中で次第に獣臭が増してくる固い肉を懸命に咀嚼しながら、テュシアはなんとはなしに遠い目になった。
これもある意味、とても懐かしい。できれば二度と味わいたくなかったヒュードルの味だ。
「むぐぅ……」
言葉を選ばずに言えば、この国の食事はマズい。それはもう、とんでもなく。
ひょっとして前世も前々世も奴隷扱いだったからマズい食事を与えられていたのかと思ったが、今回は一応客人扱いだと言われている。
それで出てきたのがこの食事なのだから、これはもうそういう食文化の国なのだろう。
最後まで噛み切ることは諦めて、まだまだ大きな肉の塊をごくんと無理やり呑み下したテュシアは大きな溜息を吐いてスプーンを置いた。
「……ご馳走様でした」
ぶつ切りにされた肉だけがゴロゴロと入ったスープの味付けは塩のみで、明らかに煮込み時間が足りていないため嚙み切れないほど肉が硬い。そして、身体中が岩塩に生まれ変わりそうなくらいに塩辛い。
これだけはかつても美味しいと思った冷たい水をぐびぐびと飲んで、テュシアは口の中と喉を洗い流した。
それからひとりこっそり呟いたのだった。
「やっぱり恐るべし竜の国、ヒュードル」
とってもワイルドである。




