第6話 執務室にて
(side.セシオン)
「セオ」
己の名を呼ぶミエーネの短い声のなかに詰問の調子を感じ取り、セシオンは内心で舌打ちをした。
「言ったはずだ。手違いだったと」
「信じられんな。おまえがあんな間違いを犯すか?」
「…………」
「隷属など、よほどの者にしか用いぬ魔法だろうに」
「俺は、それほど完璧な王か?」
「いいや。だが、完璧であろうとしている王だろう。人の女など連れ帰れば周囲からどう見られるか、想像できないおまえじゃあるまい」
それには答えず、竜化を解いたセシオンは王の塔へと足を向けた。背後から付き従うミエーネの視線が痛い。
「お帰りなさいませ、セシオン様」
「ああ」
「調印式は恙なく行われたと聞いておりますが」
執務室で待ち構えていた宰相が意味ありげにニヤリとする。
「妙な土産物を持ち帰られたとか」
赤銅色の長い髪を肩の横で緩く結び、愛用のモノクルを耳に引っかけている宰相は、彼の息子とよく似た風貌をしている。
カマラ・ドルーク。
年齢を感じさせない若々しい男で、妙な色気を醸し出しているところも息子と同じ。アミの父であり、順当にいけば、この国では珍しい親子二代宰相となる予定だ。
ピューイ、と谷が啼く。
「ああ、着いたようですな」
息子が土産を載せて。呟いたカマラは、相変わらず含みのある笑みを浮かべている。
「手違いだ。解呪でき次第、国に帰す」
「ほうほう。ま、今はそういうことにしておきましょうかね」
ニヤニヤする宰相と、それとは別の淡々とした視線のどちらも等しく受け流し、セシオンは無表情を保ったまま執務机に向かった。
こうなることを予想しなかったわけではない。
前触れもなく人の娘を連れ帰るわけにはいかなかったので予め伝令を飛ばしてあったのだが、見事なまでに城中が浮足立っている。
「しかしセシオン様、隷属とは少々手段を誤ったのでは? それでは相手に警戒されるばかりでしょう。女というのは情熱を込めて口説いてこそ――」
「カマラ」
「はい」
「黙れ」
「……なるほど、予想以上のヘタレだったか」
黙れと言われて黙る素直な気質の竜はいない。黙るどころか、普段は一応の体裁を保っている口調までも乱してカマラは鼻を鳴らした。
「王ともあろう者が、情けねぇ。首輪を嵌めなきゃ、女ひとり口説き落とす自信もないとはな」
「カマラ、アンブルーシュの治水工事の指示書を出せ」
ぴらりと一枚の紙が飛んでくる。が、カマラの喋りは止まらない。
「まずはにっこり微笑みかけてみたか? 花は贈ったか? プレゼントは? どこに惚れたかちゃんと口にしたか? おまえはただでさえ普段から仏頂面してんだ。照れてたって相手には伝わんねーぞ」
「シプレースの植樹の件は」
またしても、ぴらりと紙が飛んでくる。
「まさか最初からガツガツ押し倒そうとしたんじゃあるまいな? んなことしたら嫌われるどころじゃねぇぞ。――あ? まさか、おい。おまえ」
微かな動揺を隠しきれなかったらしい。カマラの声が非難の色を帯びる。
とんでもない。押し倒すどころか妙な勘違いをした挙句の暴走に、申し訳なさが募って膝をついた。
――など、一国の王としてあり得ない振る舞いを口に出すわけにはいくまい。
無言を貫くセシオンに、余計な誤解を煽られたらしいカマラがうるさく喚く。
「押し倒したのか? 初対面の女を? 冗談だろ⁈」
セシオンは、むっつりと黙り込んだ。
「信じらんねぇ……それで拒否られたから隷属させたってことか? おまえ、最低だな」
「違う」
そうじゃない。そうじゃないのだが、テュシアに首輪をつけたあの瞬間の激情を、何と説明すればよいのか。
彼女が逃げてしまうと思ったら、それは許せなかった。
自分から逃げるなど、ひどい裏切りだと、そう思ったのだ。
その瞬間に迷うことなく隷属の魔法を選んでいた。
「違うって、おまえまさか」
まじまじとこちらを見つめるカマラをちらりと見やり、セシオンは冷たく首を振った。
「カマラ。知っているはずだ、俺には番が存在しない」
たしかに、テュシアに対する己の感情をセシオンは掴み兼ねている。
が、しかし、テュシアはセシオンにとって何者でもあり得ない。あり得るはずがないのだ。
「忘れたか。俺は〝欠落の王〟だ。知っているぞ。今でも噛みついてくる奴らはいるんだろう? 欠けた王に王位が務まるか、ってな」
「それは……」
苦い顔で口を噤んだカマラの傍らで、じっと黙して佇んでいたミエーネが表情の窺えない眼差しを向けてくる。
「話は終わりだ。仕事に戻れ」
しばし目を眇めてこちらを見つめていたカマラだったが、やがて諦めたように肩を竦めた。
「…………仰せの通りに。我らが国王陛下。で、どこから進めます?」
それには答えず、セシオンはミエーネに目をやった。
「ミエーネ」
「ああ」
「少し外してくれ」
ぴくり、と形の良い眉が動く。
と同時に、硬い声が答えた。
「断る」
「ミエーネ」
「何の話をするつもりかはわかっている。その上でだ。断る。わたしはおまえの側近だ」
アミとミエーネと。同じ時期に生まれた三人は自然と育つ過程を共にした。生まれながらに王になることが決まっていたセシオンにとって、ふたりは臣下であると同時にかけがえのない友人でもあったのだが。
ミエーネの考えていることがわからない。
二百年前のあの日からだ。自分はとうに彼女を失っているのではないかと、いつまで経っても消せない疑念を押し隠し、セシオンはそっとミエーネから目を逸らした。
結局逃げるしかできないのだなと、己の不甲斐なさを自嘲しながらも。
「……そうか」
意識的に王の顔へと切り替えて、セシオンは改めてカマラに向き合う。
「エルフの――ドライヤダリスからの返事は来たか?」
「……ええ、来ましたよ。来月ではどうかと」
なにか言いたげにしながらも、こちらもまた宰相の顔に戻ったカマラが答える。
「それでいい。日程を詰めておけ」
「承知しました」
首肯しつつ、カマラの視線が一瞬だけちらりとミエーネに向く。
それを見て、セシオンは二人に向けて宣言した。
「今回は俺ひとりで行く」
「しかし……!」
ハッと息を呑んだカマラにかぶせて、ミエーネが言う。
「私が同行する」
「却下だ。俺ひとりで行く」
「セシオン」
「ミエーネ。これは決定だ」
もの言いたげな沈黙に、セシオンは念を押すように同じ言葉を繰り返した。
「決定だ」
「……承知した」
渋々なのか、それとも意外とあっさり納得したのか。
その声音からミエーネの感情は窺えず、彼女が今どんな顔をしているのかも、やはり確かめることができなかった。
とんだ臆病者だなとセシオンは内心で皮肉に思う。こんな自分が完璧な王を目指そうなど、笑止千万だ。
「その件については、後日改めて検討しましょう。ひとまずセシオン様のお考えは理解しました。ですが、コトが外交である以上、ヒュードルとしての体面もありますのでね」
絶対に譲れないと言外に匂わせるカマラに、セシオンの眉間に皺が寄る。
が、こういう場面においてカマラには逆らえない。
「……わかった」
「よろしい。では、留守にした二日の間に溜まっている決裁をちゃっちゃと済ませていただきましょうかね、陛下」
少々雑な口調と、やたらと良い笑顔なのは今までのあれこれに納得がいっていないせいだろう。
とはいえ、藪をつついて蛇を出すつもりはない。セシオンは粛々とペンを取った。
平均して千五百年前後生きる竜のなかで、たかだか三百八十年程度しか生きていないセシオンはまだ若輩者だ。倍以上の経験を持つカマラに敵うはずもないと、それはもう骨身に染みて、よく知っている。
黙々と書類を捲っている間にアミが戻り、テュシアがひどく空を怖がったという話を聞くともなしに聞きながら各々の業務をこなしている間に昼を過ぎた。
「そろそろ休憩しようぜ」
真っ先に音を上げたのは、アミだ。
元々書類仕事の嫌いな彼にしては、よくもったほうだろう。息子の気質を熟知しているカマラも頃合いと見て取ったのか、すんなり許可を出した。
「では一時中断とし――」
父の言葉が終わるよりも早く腰を上げたアミが足を踏み出す寸前のこと。執務室の扉がノックされるよりも先だった。セシオンの鼻がそれを嗅ぎ分けていた。
ふわりと甘く思考を乱す匂いが鼻腔を擽る。
「失礼しますよ」
勝手知ったる気安さで扉を開いたスウスの背後で柔らかな金髪が揺れる。
「どうした、スウス」
訊ねたカマラに、スウスが朗らかに応じる。
「テュシアさんに城のなかをご案内しようと思いましてね」
「ああ、そちらが噂のお嬢さんか。ちょうどいい、いまから休憩しようと話していたところだ。彼女も一緒に――」
「出て行け!」
断りもなくテュシアを招き入れようとするカマラの声を封じて、セシオンは鋭く叫んだ。
スウスに促されておずおずと、けれど興味深そうに辺りを見回しながら足を進めかけていたテュシアがびくっと身を竦めて固まる。
「客人として扱いはするが、自由を与えるとは言っていない。塔への出入りは禁じる。即刻立ち去れ!」
「おい、セオ!」
非難の声を上げたアミに構わず、もう一度叫ぶ。
「さっさと出て行け!」
好奇心に輝いていたテュシアの眼からすっと表情が消える。無言のまま、こちらに一瞥もくれずに踵を返したテュシアがすたすたと部屋を出て行く。
「あ、テュシアさん!」
その後をおろおろとスウスが追っていくと、途端に居心地の悪い沈黙が漂った。
「おいセオ。なんだよいまの?」
やがて、絞り出したような低い声でアミが言う。
重ねて口を開いたカマラの声は、顔を見なくてもわかる。ひどく呆れた気配を滲ませていた。
「あれはひどい。相手はまだ子どもじゃないか。可哀そうに、怯えちまって」
紅竜の親子から口々に責められながら、セシオンはきつく奥歯を噛みしめた。
「彼女はたしかに魔女だが、疑いは晴れたんだろ? 客人として扱うって言ったよな?」
「ああ」
「なら聞くが、いまのあれが客人に対する扱いか?」
失敗したのはわかっている。
ただ、耐えられそうになかったのだ。
ここにいる誰のこともテュシアの目に入れたくなかったし、ここにいる誰にもテュシアの姿を見せたくないと思ってしまった。
自分の感情が自分で制御できない。
そのことに内心で酷く狼狽えつつも、セシオンは沈黙を貫いた。
「おい……セオ、おまえ一体どうした?」
責める口ぶりから一転、アミの声音に心配が滲む。
「構わない。あれは人だ」
「はぁ? 待てよセオ。彼女が人間だから? だから粗雑に扱っても構わないってことか? 他種族を下にみるのはエルフの専売特許だろうが。おまえ、そんな考え方する奴じゃなかっただろ」
「俺は王だ。王として守るべきは我が国の民のみ。それのなにが悪い?」
「……それとこれとは話が違うだろうが」
自分でも支離滅裂だとは思う。
大陸の覇者と呼ばれる竜族の頂点に立つ重責に身の引き締まる思いをすることはあれど、他種族を下にみるつもりなど毛頭なかった。そんな風に考えたことすらない。
それでも、もっともらしい理由をつけるにはそれしかなかった。
「休憩は終わりだ。始めるぞ」
信頼し合っていたはずの友人、兼・腹心との間に微かな亀裂が走ったことを認識しつつも、成すすべなくセシオンは淡々と執務の再開を告げた。
テュシアのこととなると乱れに乱れる己の思考と感情に振り回されるばかりのセシオンはだから、とうとう気づかなかった。やってきたテュシアを、凍り付きそうなほど冷ややかな眼差しで見据えていた者がすぐ傍らにいたことに。




