第5話 風の都ファトス
空が高い。
高い空の上にいてもなお、空はもっと遥か先まで高く続いている。
半ば魂の抜けかかった状態で、それでも必死にテュシアは竜の背に据えられた鞍の引き綱を握りしめていた。
高いところは苦手だ。というよりも、得意なはずがない。否応なしに前回死んだときのことを思い出してしまう。
どんな風に重力に引かれたか。
どんな風に叫んだか。
どんな風に近づいてくる己の死を見つめたか。
まあ地面に激突するよりも先に気絶していたので、最期の瞬間の痛みを知らないことだけは救いと言えば救いだけれども。
そういえば、死んでしまったテュシアは仕方がない。だけどあの事故が乗せてくれていた彼女のトラウマになっていなければいいなと、今更ながらにそう思い至る。
彼女の名前は、そう。ミエーネだ。セシオンの側近だという黒い竜。いずれにしろ、現世の彼女とは別人なので、もうどうすることもできないが。
燃え立つ炎の色をした竜が、小さく「グルゥ」と鳴いた。身体に当たる風の勢いが弱まる。
目的地が近いのだ。徐々に徐々に、高度を下げていく躯体の前方に見覚えのある城の全容が見え始めていた。
「来ちゃったなぁ……」
石造りの要塞のようなその城は、巨大な竜が蹲っているみたいな形をしている。
ぐるりと張り巡らされた城壁の手前にあるのはこの国の王都だ。
「ファトス」
竜の国ヒュードルの、最も高地にある風の都。
今度こそはと思っていたのに、三度同じ地を踏むことになるとは。
しかも、どちらの前世よりも状況は悪い。なにせテュシアの首には隷属の魔法が嵌められているのだから。
そういえば、今テュシアを背に載せて飛んでいるのは紅竜である。白竜ではなく。
それは何故かと言えば、やらかした本人が逃げたためだ。
おまえを乗せてまともに飛べる自信がない、とかなんとか言って。
居た堪れなさに耐え兼ねたのだろうが、とんだヘタレである。王様のくせに。
暗澹たる気持ちで、それでも口には出せない悪態を胸のうちで遠慮なく吐きながら、テュシアは灰色の街を眼下に眺めた。
豊かな水の流れる渓谷を見下ろす凝灰岩の丘の上に、岩壁を切り出すようにして無数の住居が建ち並んでいる。多くが剥き出しの断崖と同化する武骨な造りの建物で、彩色が施されている建物や装飾などもほとんどない。王都だというのに、華やかさとは無縁の街だ。
ピューイ、と甲高く谷が啼いた。
竜の飛来で起こる風が渡ると、高い口笛に似た音が響く。ファトスが風の都と呼び習わされている由来だそうだ。
朝に夜に、この音を耳にした昔。あの頃は、誰かの悲鳴みたいだと思っていた。
「でも、結構綺麗な音かも」
こうして空からこの街を眺めるのも、初めてじゃない。一度目の前世でも二度目の前世でも、セシオンの背に無理やり乗せられて飛んだことが数回あった。まだ高いところを怖いと思ってはいない頃だったから、それなりに楽しかった記憶がある。
平地の多いチェロヴィクとは違い、起伏に富んだ地形がヒュードルの特長だと教えてくれたのは誰だっけ。
この国に住まう民の半数は竜族だけれど、残りの半数は他種の者たちだとも聞いた。
――種族の壁など、竜にとって大した問題じゃないんですよ。
来る者拒まず。図体が大きいからか、基本的に大らかな気質を持つ者が多いのだと笑っていた声が耳朶の奥に鮮明に蘇る。
まったく賛同はできなかったけれど、彼女自身は大らかなひとなのだろうなとは思った。
そうだ。侍女のスウスだ。
セシオンの乳母をしていたという朗らかな女性で、この国で過ごした二度の前世において一番たくさん話をした相手だった。
たぶん、すぐに会える。
風の抵抗が止んだ。紅竜が器用に翼を操りながら、ゆっくりと地面に降り立つ。正面に王の塔が見えた。
城に住まう竜たちが飛び立ち、また降り立つ場所はいくつかあるらしいのだが、前回も前々回も今回も、テュシアが地面に足をつけたのは同じ翼留地だった。
城郭内ですら人の足には厳しい高低差のあるファトス城の頂にある王の塔、矩形のその塔と、居館との間にある中庭だ。
剥き出しの岩が平らに均され、飛翔の邪魔にならぬようにだろう。庭木はほとんどなく、あっても低木ばかりがほんの数えられる程度に植えられている。転々と蕾を膨らませている見覚えのある小さな露草色の花だけが、殺風景なこの城ほとんど唯一の彩りと言っていい。
「到着だ。おい、生きてるか?」
テュシアを下ろし、紅竜がするりと人型になる。
背中に目でもついているみたいに、上空でテュシアの魂が抜けかかっていたのを察していたらしい。呆れ混じりに笑った彼はテュシアの背をポンポンと叩いた。
「か、辛うじて」
「ったく、大丈夫だって言ったろ? 竜は背中に乗せた荷物を絶対に落としやしねぇ。そんなヘマをやるのは、よっぽどのチビくらいだ」
「荷物……」
「あ、悪り。人な」
じとっとした視線を向けたテュシアに悪びれる風もなくサラリと答えて、改めてアミが気の毒そうな顔をした。
「いやぁ、しかしあんたも災難だったな。いろんな意味で」
「はい本当に。いろんな意味で」
万感の思いを込めて同意したテュシアの前に、人型紅竜――アミ・ドルークがしゃがみこんで背を向ける。
「まあ、とにかく部屋に案内するわ。ほれ」
「はい?」
「乗れよ」
負ぶってやる、とアミが言う。
「え⁈ いやいや、結構です」
「遠慮すんなって。歩けないだろ」
「や、遠慮しているわけではなく」
どちらかというと羞恥心の問題だ。
固辞するテュシアに、アミが不思議そうに首を捻った。
「さっきまであんたが乗ってたのも俺の背中なんだがな。なにが違うんだよ?」
なるほど。竜族の理屈では、そうなるのか。
一拍の間を置いて、テュシアはアミの肩に手を伸ばした。正直、腰が抜けてしばらく立てそうにない。
「……お世話になります」
「ほいよ」
軽々とテュシアを背負い、アミは大股に歩き出した。
「しかしまぁ隷属の首輪とはな。なにやってんだ、あいつ」
「まったくですね」
全面的に同意である。
「ったく、そいつが厄介なのは一度嵌めるとしばらく外せないとこだよな。星の廻り一周分か。窮屈だろうが、しばらく我慢してくれ」
「はあ。お世話になります……?」
帰りはチェロヴィクの王城ではなく家まで送ってくれるという。
親切なことだ。
本当にそうしてくれるのならば。
それでもセシオンの帰国にあわせて、テュシアが同行しないという案はなかった。
主の命令に背くと首が絞まる隷属の首輪だが、三日間、主の元から一定の距離以上離れていると首が落ちる。物理的に。
一定の距離というのが数字でどのくらいなのかは詳しく知らないが、とりあえずファトスとチェロヴィクにあるメルーの家では間違いなく遠すぎる。死にたくなければ、テュシアがファトスに来るしかなかった。
「平穏に長生きしたかったのに……」
「心配すんな。セオはあんたを死なせたりしないさ」
それはどうだろう。
なにせ相手はあの氷竜王だ。ありすぎるほどの因縁のある相手を前に、さすがのテュシアも楽観的ではいられない。
「あのぅ、つかぬことを伺いますが。私って、なんか匂います?」
「あん? そういやぁセオも匂いがどうのって言ってたな。――薬草? あんた魔女か」
すんすんと鼻を鳴らし匂いを嗅いでから、アミが応じる。
求めていた答えとは少し違ったけれど、セシオンのようにおかしくなったりしていないところをみると、特に気になる匂いがするわけではなさそうだ。
なんだったのだろう。
首を傾げながら唸るテュシアと同じ調子でアミも唸り、
「魔女か。人の魔女な。ああ、うん。そのせいか」
「なにがです?」
「あいつさ、魔女にトラウマがあんだよ。二百八十年くらい前だったか、俺たちがまだガキだった頃に妙な予言をされたことがあってさ」
ふらりと現れた魔女を名乗る人の女に、セシオンは「おまえは自ら番を殺すだろう」という不吉な予言を与えられたことがあるのだという。
「それは詐欺師では?」
「まさしく。その後しばらくして捕まった。そもそも人の魔女は予言はしないもんな」
「というか、できませんしね」
未来読みができるのなんて、エルフくらいだ。それだって大きく読めるのは星の廻りだけ。個々人の命運など誰にも視えやしない。
「予言つーか、呪いだよな。ま、どっちにしろ当たるはずがない予言なんだが」
「当たるはずがない?」
「ああ。だってあいつには――」
言いかけて口ごもり、アミは黙り込んだ。後ろからでは表情が窺えないが、なんとなく苦い顔をしていそうな雰囲気がある。
しばし沈黙が流れ、やがてなにかを振り切るようにアミが声を明るくした。
「ま、とにかくあんたが魔女だってんで、あいつも目が曇ったんだろ。悪かったな。とりあえず、あんたのことは客人として扱うように伝えてあるからよ。のんびりしとけ」
「あ、はい。わかりました……」
昨晩の出来事を、当然のごとくセシオンはアミに伝えていないのだろうけれど。いったいどういう説明をしたのやら。少なくともアミたちはテュシアを食糧として扱うつもりはないらしい。
果たして生きてここを出られるのかどうか。
一応「太らせて喰う」というテュシアの推測が誤解であるとは聞いたが、いまいち本気で信じていいのかどうか疑問が残る。
この首に悪趣味極まりない枷がある限りは。
とはいえ、泣いても笑っても最期なら、その瞬間まで前向きに愉しむべし。そんな心積もりでいこう。
――と思ったのだが。
「ここですか」
「景色もいいし、あんたの足でも無理なく移動できることを考えたら、この部屋がいい」
案内された部屋の長椅子に降ろされて、再びテュシアの胸に暗雲が湧いた。
同時に、やっぱりなとも思う。運命という奴は、そうそう簡単に気を変えてくれることはないらしい。
見覚えがありすぎるくらいにある部屋だ。一度目も二度目も、この部屋がテュシアの終末期を過ごした場所になった。
今思い返してみても、あれは一種の軟禁だった。
「歩けるか? なら、こっちに来て見てみろよ」
窓を開けて呼ばうアミに、テュシアはまだ少々覚束無い足取りで歩み寄った。
「向こうに見えるのがブレの山だ。んで、あそこにあるのがプラタの湖。銀色に見えるのは湖畔に群生しているシルバーレースのせいだ。麓に小さく見える街はラーディケス。竜族はあんまりいないが、人口だけなら王都よりも多い」
あちらこちらを指差しながら、アミが教えてくれる。
彼とは今回初めてちゃんと話をしたが、意外と面倒見のいいタイプなのかもしれない。無駄に色気を振りまいているチャラい男かと思いきや、案外気取ったところもないし。
「ファトスもこの城も、人から見たら地味だし面白くもないところだろうけどな。この部屋は客室の中じゃ、一番眺望がいいんだ」
「一番……?」
「ああ。内装はまあ、この通りだが……せめて外の景色でも楽しんでくれや」
アミが肩を竦めてみせた通り、町や城と同じく、この部屋の中身も武骨で飾り気がない。質素と言ってもいいくらいに。
だけど窓の外に目を遣ると、思いのほか開けているのが清々として気持ちが良い。
「ちっと狭いが、人には充分だろ? 俺らの基準だと、どうにも色々デカすぎるらしいからな」
たしかに、狭いと言っても竜の国だけあってメルーの家が丸々入るくらいには広い。
窓辺にベッドが置かれ、部屋の中央には食事がとれるテーブルやテュシアが家で使っているのと同じくらいの大きさで座り心地のいい長椅子なども備えられているし、風呂もトイレもある。
「部屋自体なら、もっといいのもあるんだがな。それよりも眺めのいい部屋のほうが、あんたにはいいだろうって」
セシオンがそう指定したのだと聞いて驚く。
「え、王サマが?」
「まあ、あいつはあいつで、あんたに悪いことしたと思ってるんだろうよ」
「アミさんは疑ってないんですか?」
「アミでいい。そういうのはかったるいから、敬語もいらねぇ。普通に喋ってくれよ」
「そう? じゃあアミ。アミは、私が王サマになにかしたとは思ってないの?」
「ない」
即答したアミに拍子抜けするが、彼はにやりとテュシアの首を指差した。
「ソレがあるからな。仮にあんたがなにか企んでたとしても、どうにもならねぇだろ。それにな、俺は自分の見る目を信じてんだ。目的のために、簡単に命を懸けられる奴とそうじゃない奴がいる。あんたはどう見ても後者だろ。バカにしてるわけじゃねーぞ? まともだって言ってんだよ」
「むぅ……」
軽いだけの男かと思っていたら、結構いろいろと見抜いているらしい。
そういえば彼は宰相補佐だと言っていたっけ。案外頭脳派なのか。
「まあ珍しいことだとは思うがな。セオが判断ミスったってのは。いくら魔女に過剰反応したって、ソレはやりすぎだろ」
もう一度テュシアの首を指差してから、アミはガシガシと頭を掻く。
それから、ついと窓の外に視線を移した。
「俺は、どっちかっつーとあんたには疑いよりも期待を持ってる。意味は……まあ、そのうち教えてやるよ」
ニッと笑い、アミが踵を返す。
「んじゃ、またな。もうすぐ侍女が来るから、ちょっと待ってろ」
「ありがとう」
何気なく礼を口にすると、部屋を出て行きかけていたアミが足を止めた。
「あんた、いいな」
「へ?」
「俺に礼を言う必要はないだろ。迷惑をかけられてるのはあんたのほうなんだから」
「そうかもしれないけど、でもアミは背中に乗せてくれたし」
「それだって、こっちの都合でだ。別に礼を言われるようなことじゃない。――はは、やっぱあんたには期待してるよ」
じゃあなと手を振り、今度こそアミは振り返らずに部屋を出て行った。
ひとり残されて、テュシアははてと首を傾げた。
「……? なに、期待って?」
よくわからないが、「そのうち」と言っていたからいずれ教えてくれるだろう。
まあいいかと、テュシアは再び外の景色へと目をやった。
「一番眺めのいい部屋、かぁ。知らなかったな」
ファトスの城も街も、竜の巨大な体躯にあわせてとにかく一々スケールが大きい。テュシアにあてがわれたこの部屋は、そのなかではとても狭く小さな部屋だ。
嫌がらせなんだと思っていた。どうせ人間なんか小さいんだから、こういうところに押し込んでおけばいい、って。
けれど、違ったのかもしれない。
「もしかして前世でも……」
眺めがいいからと、そういう理由でここを選んでくれていたのだろうか。
だとしたら、何のために?
「太らせて食べる……ためじゃなかったのかな」
前世も前々世も、基本は放置だった。
部屋から出ようとするともの凄い勢いで阻止されたが、特に何かの労働をさせられたわけでもなく、かといって竜たちとの関りなんかも全くなく。
お陰で拉致犯の人となりすら、最後までわからないままだったのだ。
「わっかんないなぁ」
テュシアは何のためにこの国に連れて来られたのだったろう。
いやでも、そういえばマズいご飯を山盛りだされて、残すと睨まれたっけ。
「あれやっぱり太らせるためだったんじゃなくて……?」
どうやらテュシア以外は過去の記憶を持っていないらしいので、もう二度と答えがわからないのがなんともモヤる。
「ま、いっか。前向きに、前向きに、ね」
窓に向かってうーんと伸びをして、テュシアはある意味懐かしい風の匂いを嗅いだ。
「それにしても、この景色……。こんなに綺麗なのに、どうして前は気がつかなかったのかな」
考えてみて、ああそうか、と思い出した。
そうだった。前の二度は、ミエーネが窓辺に花を飾ってくれていたからだ。
城のあちこちで見かける露草色のあの花は、夜にだけキラキラと光りながら咲いた。閉じ込められたテュシアを憐れんで、せめてもの慰めにと毎日飾りに来てくれていたから、窓の外には目が向かなかったのだ。
「何ていう名前だったかな、あの花」
今世では、今日ここにやってきて初めて出会った花だ。
この国にはよく咲くみたいだけど、他国には出回っていないのだろう。
「ミエーネ、元気かなぁ」
今回はまだ顔を合わせていないが、王の側近としてこの城のどこかにはきっといるはずである。
昔は良くしてくれてありがとうと礼を言うことも、落ちちゃってごめんねと謝ることもできないけれど、今度はまたもう少し仲良くなれたらいいのにな、と思う。
しばらくして、コンコンとノックの音がした。
「失礼します。――あらまあ、可愛らしいお客様だこと」
まあまあまあ、と茶器の載ったカートを押しながら賑やかに入ってきたのは侍女のスウスだ。
「ひさ……じゃなくて、初めまして」
思わず久しぶり、と言いそうになった。自分でも意外なほど、彼女に会えたことが嬉しい。
笑みを零したテュシアに、スウスも大きく破顔した。
「はいはい、初めまして。あたしのことはスウスと呼んでくださいな。こちらにいらっしゃる間、テュシアさんのお世話をさせていただきますからね。遠慮なく、なんでも言いつけてくださいな」
「ありがとうございます」
「いやですよ、そんな畏まって。チェロヴィクと比べたらこの国は身分制なんてものもありませんし、いろいろ煩いこともないですけどね。テュシアさんはいずれ王妃となる方なんですから、もっと堂々としていてくださいな」
「……はい?」
今、なんて言った?
ぽかんとするテュシアの首元に目をやり、スウスが眉を顰めた。
「まったく、なんでしょうねぇ。そんな嫌なものをつけて。いくらテュシアさんを逃がしたくなかったからって、ほかにいくらでもやりようはあるでしょうに」
「ままま、待って! これはそういう意味じゃ……」
あわあわするテュシアには取り合わず、わかっている、とスウスが深く頷く。
「ええ、ええ。そんな魔法をかけられて、求婚されたって信じられませんよねぇ」
「きゅうこん……」
球根、ではないと思う。
では求婚? 何故? 隷属の首輪を嵌められたことが、どうしてそうなる?
「うっかり間違えて魔法をかけてしまったんですって?」
「え、えぇと……まあ、そんな感じ……?」
「そんなわけないじゃないですか!」
あやふやに応じると、スウスは声を強めた。
「セシオン様に限って『間違えた』なんてことはあり得ませんからね。間違いなくわざとですよ、わざと。テュシアさんを捉まえておきたくて、そんなことをしたんでしょう。本当にあの方は困ったものですよ。昔からヘタレなんだから」
「そ、そう、なのかな……?」
相手は冷血な氷竜王と呼ばれている男だ。
それを、こうも堂々と「ヘタレ」呼ばわりするとは。
いやたしかに昨日の様子を思い出すと、しっかり「ヘタレ」な雰囲気はあった気がするし、さっきテュシアも心の中でそう思ったばかりだけれども。
唖然とするテュシアの背を長椅子へと押し、スウスはおもむろにお茶の準備を始めた。
「テュシアさんは魔女さんなんですってね?」
「あ、はい」
「普通のお茶でもいいんですけど、魔女さんだったらこういうのもお好きかと思って。あたしがブレンドしたハーブティーなんですけどね」
「わ、嬉しいです!」
スウスが淹れてくれたのは薬草茶だった。
湯気を立てるお茶の香りを吸い込むと、ほっと肩の力が抜ける。その様子をスウスはニコニコと見守っていた。
「ネトルにエルダーフラワー、それとミントが少し。レモンバーベナとタイムと……あ、バードックとアイブライトも入ってますね?」
「まあ! さすが魔女さんだわ、よくおわかりになること! テュシアさんはあたしたちと同じくらい鼻がいいんですねぇ」
貴族が飲むのは紅茶だが、庶民の口にはあまり入らない。代わりに飲むのが薬草茶で、メルーの家でももちろん毎日飲んでいる。自分の手で育てている薬草も多いし、自然と嗅ぎ分けくらいはできるようになった。
それでも手放しで賞賛されれば嬉しくないこともなく、テュシアは「えへへ」とはにかんだ。そして、思う。やっぱりスウスのことは結構好きだ。
我ながらチョロい。
「これ、リラックス効果のある薬草茶ですよね。私のために?」
「遠いところを大変だったでしょう。少しでも疲れが取れたらと思いましてね」
うん、やっぱりいい人――竜だ。
「しばらく休まれたら城のなかをご案内しようかと思うんですけど、どうでしょう? 今日はお部屋でゆっくりされます?」
「え? 外に出てもいいの?」
「どうして駄目なのです?」
きょとんとするテュシアに、スウスも同じ顔をして瞬く。
「あ……」
そうか、客人として迎えると言われていた。だから前回までとは待遇が違うのだ。
「行きたい! 案内してください。ぜひ!」
「もちろんですとも。ただ、ちょっと歩きますからね。しっかり身体を休めてから行きましょう」
優しく微笑むスウスに、ふとメルーを思い出した。チェロヴィクを発つ前に手紙を託してきたが、彼女の元に届くのはまだ先だろう。
優しくもなく、口が悪く、人使いの荒いメルーだけれど、テュシアを十三年育ててくれた養母だ。竜を忌避していたテュシアがヒュードルにいると知ったら心配するだろう。たぶん、ちょっとくらいは。
あー、いや。どちらかというと叱られそうな気もするけれども……まあとにかく。
このまま二度と会えないなんていうことにはなりたくない。
「うん、そうだ。やっぱりなんとしても帰ろう。目指せ、長生き!」
決意も新たに、テュシアはぐいと薬草茶を喉に流し込んだ。




