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やり直し魔女と欠落の竜  作者: 中村ねり
【第一章】 三度目の魔女

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第4話 邂逅、その後

「うそでしょ? なんでよ! えぇぇぇー、なんでアイツがここにいるわけ⁈」


 宿泊している寮の一室、毛布のなかで枕を抱えてテュシアは繰り返し呟いていた。

 ここは王都カロスだ。竜族がしばしば飛来する辺境伯領じゃない。

 だというのに今度こそ関わりたくないと思っていた相手に、何故こうもピンポイントで遭遇してしまうのか。


「えぇぇぇぇー、じゃあ私やっぱりまたすぐ死ぬの⁈ 今世も? これでやり直せるのは最後っぽいのに? そんなのやだやだやだやだぁーッ!」


 抱え込んだ枕に、テュシアはボスン、ボスンと拳を打ち込んだ。

 今度こそあの男に関わらず、平穏に長生きできると思っていたのに。


「なんでだよぅー、油断したよぅー」


 テュシアはボスン、ボスン、と枕を殴り続けた。

 さすがは城の寝具だ。どれほど叩き込んでも、テュシアの拳くらいじゃびくともしない。

 柔らかく凹んだ枕を抱え上げ、ふかふかと形を整えながら毛布から這い出して、テュシアはひとつ深呼吸をした。


「あー、やっちゃったなぁ」


 あまりの驚きに思わず弾けマメをお見舞いしてしまったが、冷静に考えてみると、仮にも一国の王である初対面の相手に大層失礼なことをした。

 しかも詫びることなく、そのまま逃亡してきた。

 まあ初対面なので、相手が王様なのは知らなかったことにできるだろうが。

 それでも、ちょっとあれだ。人として善くない振る舞いだとは思う。

 その点は反省。


 ちなみに〝弾けマメ〟は、限界まで乾燥させ、ぶつけると弾けるように細工したテュシアのオリジナル発明品である。

 もうひとつちなみに、防犯によろしいと師匠からのお墨付きをもらい、地元の商店にいくらか卸してもいる。まあまあ売れているらしい。


 いや、そんなこと今はどうでもよくて。

 もう一歩冷静になって考えてみると、先ほどなんだかひどく危険な言葉を耳にした気がする。

 聞き間違いじゃなかったら、「見つけた」とあの男は言っていなかったか?

「ここにいたのか」と。


 それはマズい。

 非常にマズい。

 どうマズいのかと言うと、だ。


「前世でも前々世でも、偶然そこにいたから拉致られたんだと思ってたんだけど? え、違うってこと?」


 ヤツは最初からテュシアを探していたということなのか?

 辺境は竜に会いやすいから、偶々目を付けられたのだと思っていたけど違っていた?

 深く考えていなかったけれど、それはつまり、ヤツにとってはテュシアでなければならない理由があると……?


 いったい、どういうことなのだろう。

 どうしてあの男はテュシアを選び、そして見つけるのだろう。

 人なんて大勢いるのに。


「うわぁ、マズい予感しかしない……」


 言葉にするのは難しいのだけど、これって要するに『あの男に捕まって、最終的に死ぬルート』というのがテュシアの人生に刻み込まれている運命なのだ、ということになりはしないか……?


 一度目の人生の死因は、おそらく食中毒だと思う。

 直接の原因はお茶かお菓子のどちらかだが、あの時は数日前から体調を崩していたのも良くなかったのだろう。調子が悪いにも拘らず勧められるがままにお茶を飲み、お菓子を食べて、それで猛烈な吐き気と内臓を焼かれるような激痛と共に意識を失ったのが最期だった。


 二度目は事故死だ。が、あれはまあ仕方がなかった。

 一度目と同じように攫われて、ここで死ぬのはご免だと思ったから逃げ出そうとしたところで、助けてくれようとした別の竜の背中から転がり落ちて死んだ。

 これはしっかり背中につかまっていなかったテュシアが悪いので自業自得感があるが、だがしかし、である。


 いずれにしてもあの男に会い、なんだかよくわからないうちに竜の国へと連れて行かれたことが原因なのは間違いない。チェロヴィクの辺境で暮らしていたら、きっと食中毒にもならなかったし、転落死することだってなかったはずなのだから。

 となったら、こうしてはいられない。


「よし、逃げよう」


 マメをぶつけて逃亡するという無礼を働いたが、すたこら立ち去ってきたのが幸いした。城にいることはバレているにしても、テュシアの部屋を突き止めるまでには時間がかかるはずだ。

 その間にここを出てしまおう。


 そうだ、師匠に相談して、しばらくこの国を離れてもいいかもしれない。

 相手が飛行する種族だというのがこちらに不利なところだが、ヤツがこの国にいる間に国外へ出てしまえば、さすがに追いかけてはこられないのでは?


 テュシアは慌ただしくベッドから飛び降りた。

 箪笥から鞄を取り出して、多くはない手荷物を詰め込んでいく。

 本来なら明後日まで滞在する予定だったけれど、急用ができたことにして、師長様への言伝はエリサに頼もう。


「あ! そういえば、エリサ」


 今朝、食堂でなにか言いかけていた。あれはこのことだったのかもしれない。

 こんな時期に、とたしか彼女は言っていたが。

 荷造りの手を止めてしばし考え、ああ、とテュシアは頭を抱えた。


「調印式だ……」


 人の国チェロヴィクと竜の国ヒュードルとの和平協定は百年に一度、条件の見直しと締結が行われている。その百年に一度が、今年だった。

 短い人の一生では生きている間に一度立ち会えるかどうかという記念すべき大イベントだから、それに乗じて祭りを開催している町なんかもあったりした。

 登城するまでの間にも、そういう町を通ってきたじゃないか。

 それなのに、どうして気がつかなかったのだろう。


「うわーん、私のバカバカ!」


 ヒュードルとの和平協定なのだから、竜王自ら出張ってくるに決まっているのに。そしてそんな大事な行事なのだから、王城で行われるに決まっているのに。

 今度はどんな新しい薬草に出逢えるだろうかとそればかり楽しみにしていたから、一瞬たりとも調印式と竜王の存在を重ね合わせて考えることをしなかった。

 迂闊にも程がある。

 今更後悔したって遅いけれど。


「はあ……」


 溜息を吐きながら旅装に着替え、手早く荷造りを終えてフード付きのローブを羽織る。室内履きを脱ぎ、履いてきたブーツに足を通そうとした、そのときだ。

 前触れもなく、部屋のドアが開いた。


「どこに行くつもりだ?」

「ぎぇッ⁈」


 咄嗟に後退ったテュシアの前で、静かに室内へと足を踏み入れてきたのはセシオンだった。冷血な氷の色を纏った竜の王。ざわっと肌が粟立つ。


「な、な、なんでここに……⁈」

「匂いを辿ってきた」

「え、変態?」

「なんでだっ⁈」


 だって言い方。

 と思ったが、ぐわっと見開いた目で睨まれて、テュシアは大人しく口を噤んだ。

 それから内心でちょいと首を傾げた。

 あれ、こんなノリ突っ込みみたいなことするタイプだっけこの男、と思って。


 氷雪のようなパールブルーの髪に、紫水晶の瞳。瞬く間にすんと無表情に戻った、その怜悧な美貌は前世の記憶と寸分違わない。

 表情の窺えぬ縦長の瞳孔も。


「か、鍵……」

「ああ、これか。人の城は造りが脆いな。捻ったら壊れた」


 そう言って、セシオンがなにかを床に放る。カツンと音を立ててテュシアの足元に転がってきたのはドアノブだった。

 テュシアの顔から血の気が引く。


「バ……」

「なんだ? 化け物とでも言いたいのか?」

「バ……バカ力!」

「バカ、力……?」


 ほんの束の間虚を突かれたように瞬いて、セシオンが動きを止めた。


「城の備品だよ? 絶対高いに決まってるじゃん! 弁償しろって言われたらどうすんのよ⁈」

「あ、ああ、まあその……すまん」


 床に転がったドアノブに視線を走らせたセシオンが、バツの悪そうな表情で顔を背ける。

 あれ、とテュシアは再び首を傾げた。

 謝った? あれ、なんか……誰だ、こいつ?

 テュシアの記憶にある限り、いつもむすっとした顔をして、偉そうに「俺に従え」とか言ってるだけの男だったはずなんだけど。


 ぽかんとするテュシアを冷たい紫水晶の瞳が真っすぐに見据え、つかつかと歩み寄ってくる。

 テーブルに置いたランプの光がセシオンの巨大な影を床の上に浮き上がらせた。


「おまえは魔女か? その匂いはなんだ?」

「へ? 匂い?」

「おまえの目的は何だ? ヒュードルに何を仕掛ける?」

「いや待って、何のこと⁈」


 矢継ぎ早に問われるが、意味がわからない。

 あたふたするテュシアを冷ややかに見据え、セシオンが目を細めた。


「とぼけるつもりか? その甘ったるい匂いは俺を狙ってのことだろう。答えろ、魔女。誰の依頼で、何をするつもりだ?」


 ずんずんと歩み寄ってきたセシオンに押されてテュシアの背が壁についた。頭ひとつ分高い位置から鋭く見下ろされる。

 低い声と温度のない眼差しに、びくっと身体が竦んだ。


「しまった……」


 逃げるなら、さっきの一瞬がきっと最後のチャンスだったのに。


「なんだ? もしかして俺から逃げるつもりだったか?」


 顔を顰めたテュシアを見下ろすセシオンの顔色が急激に変わった。


「許さない……許さないぞ。俺から逃げようなど……!」


 縦長の瞳孔が大きく広がり、真っ黒な目が激しい怒気を湛える。

 唇の端から鋭く尖った牙がググッと牙が伸びた。

 竜だ。美しい男が凶暴な竜へと変わりかけている。


「ひぃぃ……っ!」


 喰われる、と思った。と同時に、すとんと理解できた。

 そうか。二度の前世も、いずれテュシアを食べるつもりで城へと攫ったのだったか。

 さっきから匂いがどうのと言っているし、この男にとって、テュシアはきっと極上の餌なのだ。


 なんてこった。竜が人を喰うものだとは知らなかったけれど、たしか、竜族の嗅覚は人の数十倍は優れていると聞いたことがある。そりゃあ狙いを定めて追いかけてもくるだろう。なにせテュシアは珍味なのだろうから。

 咄嗟に首を竦め、ぎゅっと目を閉じたテュシアは絶望と共にそう悟った。


「答えろ、魔女。おまえの名は、なんという?」

「……シア」

「シア?」

「テュシア。テュシア・ジェヴァルト!」


 狼に狙われる子羊の気持ちが、ありありと想像できる。

 問われるがままに震える声で答え、けれどやはり、せめてもと思って叫んだテュシアと、セシオンの声がぴったり重なった。


「テュシア・ジェヴァルト、俺に従え!」

「な、生はよくないと思う……ッ!」


 せめて死んでから食べてくれればいいのに。

 痛いのは嫌だ。

 いっそスパンと殺して、それからなら煮るなり焼くなり、好きに食べてくれたらいい。


「なま……?」

「あれ、首……? 切れて……は、いない……?」


 眩しさに目を開けてみると、光の輪が首に巻きついている。一瞬の発光の後、がっちりと冷たいなにかが絡みついた感覚がした。


「ん? んんん? 切れてはいない、けど……え? これって、もしかして」


 使ったことも、もちろん使われたこともないが、知識としては知っている。


「隷属の首輪……?」


 人には使えない魔法だ。けれど魔女ならば、学びはする。

 その名の通り相手を隷属させるための首輪。主に逆らえば、首が絞まって死ぬ。

 師匠からは、最悪の魔法だと習った。

 そんなものを使うのは卑劣な奴隷商くらいだと。


 両手で触れた首元に自分の肌以外の手触りはない。

 ないのだが、首に巻きついた輪を感じる。


「うわぁ、最低。卑劣な奴隷商と同じくらい最低」


 思わず、ヘドロでも見るような眼を向けてしまった。

 途端に狼狽えた様子でセシオンが一歩下がる。


「あ、いや、その……」


 おろおろと視線を彷徨わせるその瞳は大人しい縦長のものに戻り、口元の牙もしゅるんと消えた。


「すまない……おまえが逃げようとしたから、つい……」

「なんでよ! どうせなら一思いにやってくれればいいのに! ハッ⁈ まさか、どうしても捕まえたい理由って、それ? もっと太らせてから食べるつもりで……⁈」

「ま、待て待て! 何の話だ⁈」


 うろたえるセシオンに、テュシアはじっとりした視線を向けた。


「美味しそうな匂いがして追いかけてきたんでしょう? もう捕まっちゃったからしょうがないけど、がんばって食べるから、今度こそ食中毒になりそうなご飯はやめてよね。あと、せめて生で食べるのもやめてほしい。痛くないように一気に殺して、それからなら、まあ生でもいいけど」


 言いながら、どんどん気持ちが落ち込んできた。


「私……死ぬのか……そっか、やっぱり死ぬんだ……食糧として」


 じわっと瞳に涙の膜が張る。

 それを見て、セシオンが慌てた様子で首を振った。


「いやいや、待て待て。どうしてそうなる⁈」

「平穏に長生きしたかったなぁ……」

「ま、待て。大丈夫だ、その首輪じゃ死なない。だから泣くな」

「だって、だって……うわーん……」

「頼む、泣かないでくれ。おまえに泣かれると、妙な気持になる。困るんだ。――ああ、くそっ! いったい何なんだ!」


 いつだって冷ややかで、無表情の仮面を外したことのなかったセシオンがひどく狼狽している。隷属なんていう非道な魔法を使っておきながら、彼のほうが混乱しているように見えた。


「わ、悪いようにはしない。だから俺の質問に答えろ。な?」


 唇を噛みしめて仰ぎ見れば、驚くほど柔らかい声音でセシオンが言った。


「いいか、ちゃんと答えるんだ。おまえの使った魔法はなんだ?」

「……魔法なんて使ってない」

「そんなはずはない。誰かに俺を篭絡するよう依頼されたのではないのか?」

「されてない」


 力なく答えると、セシオンが顔を強張らせた。

 けれど首輪は反応しない。

 当たり前だ。テュシアは本当のことしか言っていないのだから。

 深々と息を吐いて、セシオンが疲れたように項垂れた。


「……最後だ。テュシア・ジェヴァルト、嘘を吐かずに答えろ。おまえのその匂いは、何だ?」


 少し考えて、テュシアは小首を傾げた。


「体臭?」

「……そうか」


 無意識に触れた首に変化はない。

 どうやら主の意向に反した答えではない、と見なされたようだ。


「すまない」


 項垂れたまま、セシオンがもそっと呟いた。


「うん……」

「その首輪は外せない」

「……うん」

「だが、俺は奴隷商じゃない」

「…………うん」


 しばし、気まずい沈黙が漂った。


「すまない」


 ゆるゆると、セシオンの膝が床についた。

 美しい氷雪のような髪がサラリと揺れる。


「我々の帰国は明日だ」

「……うん」

「ヒュードルとチェロヴィクは……遠い」


 たっぷりと息を吸い込んで、テュシアは答えた。


「だよね。知ってる」

「その……」


 何かを言おうとして口ごもった挙句、竜の王は大層しょんぼりした声でもう一度、同じ言葉を繰り返した。


「……すまない」


 仕方がない。

 これはもう仕方がないのだ。


 深く俯いた王の頭頂部を見下ろしながら、テュシアはありったけの胆力を振り絞り、告げた。


「行くよ。ヒュードルに」



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