第3話 竜の王、セシオン・オブリステス
(side.セシオン)
美しく華やか、というのがこの国の印象だ。
武骨で飾り気のない自国とは正反対の国。
白に金を基調とした装飾の施された宮殿は、夜なお明るく、華美でありながらも下品なケバケバしさはまったくない。天井から吊るされたシャンデリアに、柱の一本一本にまで施された彫刻、あちらこちらに据えられた植物を模った曲線の美しい金の装飾、それらのすべてが繊細で優美だった。
夜会を開くので、ぜひ出席して欲しい。
友好を目的に訪れた国の王からそう乞われては、断ることはできなかった。
セシオンは胸の内に隠したまま、ひとつ深く嘆息した。
広間には喧騒が満ちている。しかしやはり、こんな風に華やかな場は性に合わない。
案内役の中年男の追従を右から左へと聞き流している間にも、あちらこちらから注がれる視線がどうにも居心地悪くてならないし。
竜の国ヒュードルの若き王、セシオン・オブリステス。
今夜の主賓が注目を集めるのは当然なのだが、それはそれとして。
いかにも貴族然とした男たちや、着飾った令嬢たち。竜族との縁を持ちたいと願う下心はどちらも同じだろうが、感じる眼差しの粘度が違う。
表情には出さず、セシオンは内心でもう一度溜息を吐いた。
彼らが求めるだけのものを、セシオンは差し出すことができない。申し訳ない、というのも違うのだろうが、その事実がどうにも少しばかり心苦しい。
今更ではあるが、やはり自分は為政者には向いていないのだろうと思う。
――まあ、ご覧になって。竜族は美形が多いというのは本当ですのね。
――わたくし竜族の方をお見掛けするのは初めてですわ。本当に皆さまお美しいこと。
ひそひそひそ、ひそひそひそと。扇の内に隠した囁きがすべてこちらに筒抜けだと令嬢たちは知らないのだろう。それもまた居た堪れなさに拍車をかけている。竜は耳がいいのだ。
――どなたかお声をかけてくださらないかしら。
――ええ、ほんとうに。一曲でいいからお相手いただきたいわ。
うっとりした声音で令嬢たちが頷きを交わし合っている。
人化した姿は仮初のものでしかないのに、竜本来の姿を人は好かないのだという。
妙なものだと思いつつ、こんなときばかりは表情筋があまり仕事しない己の性質がありがたい。
大陸に住まうどの種族よりも脆弱で、それなのに個体数ばかりが多い人という生き物の貪欲さを、多くの竜は決して嫌っていない。
セシオンもそうだ。特別に嫌いではない。
ただ少し、困惑させられることが多いだけで。
「いやぁ、それにしても、この貴重な式典に立ち会えたのは大いに喜ばしいことですよ」
「そうか」
「ええ、ええ。そうですとも! なにせ百年に一度ですからな。竜族の方とお目にかかるチャンスも、そうそうありませんし」
人間は竜とは違う。そういえば寿命が短いのだったなと、セシオンは宰相を名乗る男の上気した顔に、曖昧な頷きを返した。
百年などあっという間ではないかと思うのは、こちらが悠に千年を超えて生きる竜という種族だからだ。
思えば、時おり辺境伯領に顔を出すことはあっても、人の国、チェロヴィクの王都であるカロスに足を運ぶのは百年に一度きり。
今夜がその夜だったが、前回の訪問時に顔を合わせた人物は誰ひとりとして出席していない。
何故かといえば、彼らは皆、既に大地に還っているため。
なんとも儚いことだ。
そう思えばやはり、人というか弱い種族を嫌うことは難しいだろう。
と、思ったところで、またしても密やかな喧騒が耳に届く。
――わたくしはお隣の赤髪の方が素敵だと思いますわ。
――ヒュードルの宰相補佐様ですわね。竜王様とは幼馴染でいらっしゃるとか。
――アミ様ですわ。アミ・ドルーク様。男らしいのに色っぽくていらっしゃる。
――まあ! いまアミ様がこちらをご覧になったわよ!
きゃあ、と黄色い悲鳴が上がる。
ちらりと傍らに目をやれば、素知らぬ顔で赤髪の美丈夫が小さく肩を竦めた。
普段はガサツなくせに、それを隠して上手く化けている。
「ドルーク殿には、同じ宰相職ということで勝手に親近感を覚えておるのですがね。失礼ですが、大層お若く見える。実際のご年齢は、どのくらいでいらっしゃるので?」
「ああ、実際若いのですよ。とはいえ、貴殿らとは齢の数え方も違いますのでね。そうだな、人間の年齢で言えば三百八十歳くらいか」
「なんと……いやはや、それでは我々人間は皆、竜族の方々にしてみたら赤子に等しいわけですな。素晴らしい!」
大袈裟に驚いてみせる中年男の言葉は、おそらく本音が半分。残りの半分に含まれる感情は、羨望か嫉妬か、或いは哀切か、そのすべてか。
「さすがは竜族。叡智を蓄える種族だと言われるだけのことはある。これほどお若く見えるのに、軽く我々の数倍は生きておられるのだから」
「叡智はともかく、経験値だけならまあ多少は増やせているでしょうね。もちろん、友好国である貴国には我々の力で精一杯助力いたしますよ」
いかにも貴公子然とした佇まいでにこやかに応答しているアミだが、見事なものだと思う。彼は自分と違い、こうした場が苦手ではないらしい。
――あちらの国王はさっきからニコリともなさらないわ。噂通り冷たい方なのかしら。
――まさしく氷竜王ですわね。でもあのクールさがたまらないのではなくて?
――ええ、ええ。本当に。あの紫水晶の瞳ですげなく見下ろされたら、きっとぞくぞくしてしまうわ。
パールブルーの髪が表すセシオンの種は、白竜。竜体に戻れば、同族の誰もが見惚れる躯体は青みを帯びた白銀に輝く。
しかし「氷竜王」と呼ばれる度に、これもまた居た堪れなさに似た違和感を覚える。
表情筋が動きにくいのは生来の性質だし、その上で弱みをみせまいと気張った結果、「冷血」と評される呼称だけが独り歩きしたからだ。
――ねえ、氷竜王様の後ろにおられる黒髪の方はどなた? とても綺麗な御髪だわ。
――ミエーネ・ファイント様ですわね。側仕えの方だと聞きましたわよ。
――騎士服が凛々しくていらっしゃるけど、ミエーネ様は女性ですのよ。
――まあ、女性なの? でもあれだけお美しい方ですもの、わたくし女性でも構わないわ。
――あらいやだ、はしたなくてよ。けれど……ふふ、そうね。ミエーネ様は素敵よね。それに、聞きまして? どなたも番はお持ちでないそうよ。
ますますお近づきになりたいわと令嬢たちが色めき立つ。
咄嗟に背後のミエーネを振り向きたくなるのを抑えて、耳に届く無数の囁きを意識的に遮蔽する。セシオンは、目顔で赤髪の宰相補佐に話を切り上げるよう促した。
ぺこぺこと頭を下げながら目の前から中年男が消えたところで、
「もういいだろう。切り上げるぞ」
「バカ言え。舞踏会だぞ? ダンスの前に主賓が抜けてどうする」
「踊るつもりはない」
「おまえな……」
言いかけて、アミは不審そうに首を傾げた。
「どうした?」
隠しているつもりだったのに、幼馴染みの目は誤魔化せない。わずかに歪んだ眉に気づかれた。
そうなのだ。実は先ほどから、ひどく気にかかる匂いが鼻先を擽っているのだ。
「アミ、この匂いはなんだ?」
「あ? 香水だろ。人の女が好んで使うそうだからな」
鼻がバカになりそうだと、表情だけはにこやかに保ちながらも声音には嫌悪を滲ませるという器用なやり方でアミが答えた。
「違う。もっと甘い匂いだ」
「んじゃ、あっちに並んでるデザートか?」
旨そうだよなと一瞬にして注意をそちらに逸らしたアミを横目で睨む。
「おまえは感じないのか?」
「なにをだ?」
きょとんと見返してくるアミは本当にわかっていないらしい。
決して鈍い男ではないはずなのに、どうしたことか。セシオンの眉間に今度こそ隠しきれない皺が寄る。
それを見てようやく冗談ではないと悟ったのか、アミも真顔になった。
「どういう匂いなんだ?」
「甘い……花の香りに似ているような」
食物のものでもなく、人工的な香りとも違う。なんと説明すればよいのかわからないが、胸の底をざわめかせる匂いだ。
竜は耳がいい。だけでなく鼻も利く。
数刻前に国境を越えたときから薄っすら感じていた。それが王城に近づくにつれて気のせいではなくなり、今は時おりハッとするほど濃く香っている。
どこまでも甘く、理性の下に押し込めている竜の本性を刺激する蠱惑的で、かつ危険な匂いだ。表皮の隙間から染み入ってきて、ふつふつと静かに強く血を滾らせる。
「おまえそれ、もしかして――いや、んなわけないか」
なにかを言いかけてやめたアミに代わり、ミエーネが口を開いた。
「似ている、のではなく花の匂いではないのか? チェロヴィクは植物の栽培が盛んだ。この王城にも魔法師たちが管理する相当な広さの薬草園があるらしい。ヒュードルにはない、珍しい花でも咲いているのだろう」
「ミエーネも感じるか?」
「これがセオの言うそれなのかはわからないが、たしかに甘い匂いはする」
「ミエーネにもわかるのに、俺にはわかんねぇって……ちょっとショックだわ」
すんすんと鼻を鳴らし、次いで諦めた様子で肩を落とす。
そんなアミには取り合わず、セシオンはひとり踵を返した。
「後は頼む」
「あ? マジかよ⁈ ちょ、待てセオ!」
「あいつの鼻は特に敏感なんだ。休ませてやれ」
「ふざけんなよ、俺の鼻だって敏感だぞ!」
「そうか、それはよかったな」
見当外れの方向に文句を言うアミを適当に宥めるミエーネの声を背に、さり気なくも堂々とセシオンは広間を抜け出した。
匂いの元を突き止めよう。
そう決めた途端に、何故か気が急いた。
一刻も早く見つけなければ。どうしてだか、そんな気になった。
知らず、セシオンは足を速めた。
人気のない廊下から中庭を囲む回廊を進み、迎賓棟へと向かうと次第に匂いが強くなっていく。
何とも言えない焦燥感に、気を抜くと人化が解けそうだ。
今は隠れているはずの鱗の一枚一枚がぐつぐつと熱に炙られているようで、胸を掻きむしりながら咆哮をあげたくなる。
ミエーネの言う花の匂いなどではないと思う。
本能がそう察知している。
けれど正体がわからない。
「まさかと思うが」
なにか仕掛けられたか。
考えられるとすれば、魔法だろう。
「狙いは俺か」
アミもミエーネも、なにも感じていない様子だった。
異変を察しているのは己だけ。となればターゲットはセシオンなのだろう。
よもやチェロヴィク内で狙われるとは思いもしなかったが、良くも悪くも貪欲な人間という生き物の国である。なんらかの目的を持って暴挙に出たとしても不思議はない。
が、そうだとしたら面倒だ。
単純な武力で人間に後れを取ることはないが、妙な魔法を使われている場合はどうなるかわからない。
そもそも友好の証として調印を結んだその日に、相手国の王をどうこうしようと思う輩がいるのならば、ことはセシオンひとりで収められる事態で済まない可能性が高い。
両国間にヒビが入ることで得をするのは、誰か。
竜族にちょっかいを出したい者は、誰か。
どうしたって嫌な単語が脳裏を過る。
エルフ。
同じ大地に棲まう生き物たちの中で、決して相容れることのない種族。
もちろん、竜もエルフもその個々人の性格や資質によるところは多いのだが、国、そして種として大きな括りでみれば、対立構造になるのは否めない。
「どうするか……」
今回の訪問の目的である調印式は既に終わっているから、すぐにここを発ってしまっても問題はない。
むしろ一国を双肩に負う身としては、罠を疑うなら速やかに撤退するべきだろう。
わかっている。わかっているのだが……。
「……くそッ!」
どうしても、匂いの元を突き止めたいという衝動を抑えられない。
それが既に危険な状態なのだと己に警鐘を鳴らす冷静な自分と、この匂いはそういうものではないと根拠もなく感じる自分とがせめぎ合う。
探さなくてはならない、この匂いの元を見つけなくてはならないと本能が叫ぶ。
迎賓棟に向かっていたはずの足がいつしか匂いを辿るように行き先を変えていたことにも気づかぬまま、セシオンは大股に中庭を横切った。
いくつかの歩廊を渡り、明らかに質素な意匠に変わった建物を通り抜け、土を踏みしめ歩くうちにハーブの生い茂る庭園に辿り着く。煌々と光の灯されていた宮殿とは違い、辺りは闇に沈んでいる。いまや全身に絡みつくほど密度を増している匂いが、一段と濃くなった。
「……ッ⁈」
見つけた。
無意識に思った。
ああ見つけた、と。
なにを、と自問しても明確な答えは出なかったはずだ。
ただ、見つけた、とだけ感じた。
逸る心のままに歩を進め、淡い月明かりのもと、セシオンは枝折戸を潜った。
ほどなく、草木の合間に動き回る人影が目に入る。
ほっそりしたシルエットからして、女性だろうか。人影はまるで踊っているみたいに、楽し気にくるくると動き回っていた。
強い風が吹き、さっと雲が晴れる。
「……ッ!」
セシオンは、思わず息を呑んだ。
月の女神が舞い降りたかと思った。
或いは、神話に語られる精霊か。
月の雫に蜜を溶かし込んだような金色の髪に、仄白く月光に冴える肌。瞳の色は見えない。けれど、緩やかに弧を描いた口元が柔らかそうに色づいていることだけはわかった。
若い娘だ。辺りの暗さなど気にした風もなく、溌溂とした動きでハーブを摘んでいる。
しばしその光景に見惚れ、セシオンは無意識に己の胸元をぎゅっと握り締めた。
何故だか、胸の奥がぎゅっと引き絞られるように痛んだ気がした。
やがて吸い寄せられるようにふらふらと彼女に歩み寄ったセシオンは、おもむろに手を伸ばし、娘の細腕を掴んだ。
「きゃっ!」
驚いたように目を見開き振り向いた娘の手から、摘んだばかりのハーブがばさりと地面に落ちる。
「見つけたぞ。ここにいたのか、……――」
続ける言葉に迷い、と同時にハッとして口を噤む。
今、彼女の名を呼ぼうとした。
見知らぬ娘だというのに。よく知る相手である気がした。
驚きと戸惑いに硬直したセシオンを呆然と見上げていた娘の口元が不意に戦慄いた。
「……んで」
月明かりを宿して濡れたように光る娘の瞳がじわじわと表情を変えていく。
驚愕、呆然、困惑、そして――憤怒へと。
「……んで……なんで、あんたがここにいるのよーッ⁈」
闇を裂く絶叫に続いて、顔面に衝撃が走る。
「うわっ!」
「くらえ、痴漢撃退弾けマメーッ!」




