エピローグ
「テュシア、これを」
そっと差し出された手のなかにある歪な形の白銀の鱗。それがなにか、言われなくてもすぐにわかった。
「竜珠」
「ああ。おまえのこの痣と」
セシオンの細く長い指が、テュシアの左胸にある痣をつぅと撫でる。
「重なって、ちょうど一枚だ」
ぴったりだった。テュシアの胸にある半月型の痣と、欠けた竜珠を繋げばちょうど一枚の綺麗な鱗の形になる。
「まさかおまえが、おまえのままで生まれ直しているとは思わなかった」
「え、でも昨日迎えに来てくれたとき、『また』って言ってたよね?」
「ああ。あのときは何故か、そう感じたんだ」
テュシアと違い、セシオンは過去を記憶していたわけではなかったのだという。
「初めておまえを目にしたときもそうだった。名前を呼ぼうとして、知らないことに気づいた。初めて会うはずの娘なのに知っている気がして、『見つけた』とだけ感じた。おまえが」
蕩けるように甘い眼差しでセシオンが微笑む。
「おまえが俺の番だったから」
昨日――もう、昨日なのだ。ドライヤダリスの宮殿が崩れるのを見守り、暴れる竜脈をセシオンがあっさりと大地の下へと押し戻してからファトスへと戻ってきた。
テュシアが連れ去られたとおろおろしていたスウスに無事戻ったことを号泣され、いつまでもテュシアを抱き締めて離さないスウスにセシオンが不機嫌になり。
呆れ顔のアミに宥められながら部屋に入り、もつれあうようにしてベッドに倒れ込んだ。そしての、今だ。
いつ眠りに落ちたのかもわからないくらいぐっすりと眠り、そう言えばお茶も淹れなかったねと起き抜けに言って、セシオンの腕から抜け出そうとして抜け出せないままの、今だ。
ミエーネは……やはり戻ってこなかった。
そうじゃないかなとは思っていたが、遣る瀬ない。彼女はきっと竜脈に還ってしまったのだろう。二百年前にエルフの国で亡くなったという先王は、ミエーネの番だったのだという。
最愛の番を唐突に亡くし、復讐することも、後を追うこともできなかったのは自分のせいなのだとセシオンは言っていた。
まだ未熟な王である自分には彼女が必要だからと、必死で止めたらしい。それがどれほど残酷なことなのか当時はわからなかったのだとセシオンは言っていたが、テュシアだって止めると思う。
どっちが正しいとかじゃなく、大事な友達だったら、やっぱり亡くすのは哀しいし。
同じ場所で還りたかったのだろうと、セシオンだけでなく、アミもスウスも悲嘆に暮れながらもどこか納得した顔で彼女を悼んでいた。
「受け取ってくれるか、テュシア」
どことなく改まった調子の声音に、テュシアは伸ばしかけていた手を止めた。
目を上げると、真剣な面持ちでセシオンがこちらを見ていた。
「これは求婚だ。テュシア、今度こそ俺と生涯添い遂げてくれるか?」
一度受け取ってしまった竜珠は、もう二度と持ち主の元には戻らない。
永遠の誓約だ。
紫水晶の瞳の奥に微かな不安が見え隠れしているのを見て取って、テュシアはさっと差し出された竜珠を奪い取った。
「もう返さないよ? セシオンこそ、いいの?」
「ああ! もちろんだ!」
パッと破顔するセシオンの前で、テュシアはしげしげと歪な竜珠を見つめた。
セシオンは記憶がないと言っていたから詳しくは話さないけれど、テュシアの胸にこの欠片がある理由は、前世でも、前々世でも、死の直前にセシオンが自身のそれを砕いてテュシアの口に含ませたからだ。
――俺を置いて逝くな!
昨晩眠りに落ちかけた時、意識が暗転する間際に耳にした悲痛な声を思い出した。
待っているから戻って来い、と泣きながら叫んでいたセシオンの声だ。
前世でも前々世でも、どうしてテュシアが急に攫われたのか。長い時間をかけて、やっとその答えが知れた。テュシアがセシオンの番だったからだ。
竜珠が鳴って、テュシアの居所を報せた。だから迷わずパン屋の厨房や、八百屋の店先へとやってきたのだ。
「いただきます」
躊躇いなく、テュシアは手にしていた竜珠を口に放り込んだ。
硬そうだけど、どうやって食べるんだろう。齧って呑み込めばいいのかなと思っているうちに、口に含んだ途端、竜珠はサラッと溶けた。
それと共に、左胸の痣がぽぅっと青白く発光する。
「あ、鱗」
痛みも熱も、なにも感じなかった。ただ胸の痣が光り、ゆっくりとその形を変えて完全な形の鱗を模った。
「竜紋、か」
セシオンも驚いた顔をしている。
「普通はこうならないの?」
「ならない。というよりも、竜珠を呑むことでの目立った変化はないはずだ。寿命こそ延びるが、それ以外は」
「ふぅん」
と相槌を打って、テュシアは変化に気づいた。遠くの音が、いやにはっきりと聞こえる。
「竜って、耳がいいんだっけ」
「そうだな」
「鼻もいいんだよね」
「ああ」
すん、と匂いを嗅いでみる。
「私、竜になったかも」
「……は?」
ぽかんと口を開けるセシオンを横目に、竜体になれるかもと唸ってみるが。
「あ、駄目だ。竜にはなれそうにないや」
「テュシア……」
当たり前だろうと言わんばかりの顔つきでセシオンがこちらを眺めている。
ひょっとしたらと一瞬わくわくしてしまったのに、残念だ。
だけど鱗が浮かぶと同時に、番に執着する竜の気持ちがおそろしくよく理解できた。
セシオンのことを好きだと思う気持ちの強さはもとのままで変わらない。
嬉しくて、幸せで、愛しくて、でも――ちょっと怖い。失ってしまったらどうしようと考えるだけでも涙が出そうなこの苦しみを、セシオンは二度も耐えたのだ。
そう思うと、愛おしさは底なしになる。
「大好きだよ、セオ」
心のままにそう口にすれば、セシオンの顔がとろりと蕩けた。
「テュシア」
そっと屈みこみ、セシオンがテュシアの竜紋に口づける。
「これで、おまえと同じ時を生きられる」
深い歓びを滲ませるセシオンの声に、なんだか照れ臭くなってテュシアはセシオンの肩へぐりぐりと額を押しつけた。
普段は現れないという竜紋がどうしてテュシアに浮かんだのかは、なんとなく想像がつく。きっと、十八年の間にテュシアの身体にセシオンの欠片が沁み込んでいたからだ。
それが残りの欠片をもらって、嬉しくて花開いたに違いない。
一生に一度の恋――ではなかったけれど、三度やり直してようやくきちんと恋をした。お互いに。そうしてたったひとりの最愛がすぐそこにいたことに気がついた。
生涯でたったひとりのテュシアの番。
「愛してるよ、セオ」
耳元で囁けば、氷雪の竜の頬が見る間にポッと紅を孕んだ。




