第22話 終焉
エルフの宮殿が阿鼻叫喚の渦に放り込まれる少し前、テュシアはぱちりと目を開けた。
「あれ?」
ここはどこだっけ? なにをしているところだったっけ?
束の間記憶が混濁し、すぐに思い出した。
「ミエーネ……」
そうだった。調合室でミエーネに首を絞められた。
でも、おかしい。
「私、生きてるよね? え、それとも四度目のやり直し……?」
慌てて自分の手足に目をやるが、それらはどう見ても大人のものだ。いままでのやり直しはすべて赤ん坊の姿からだったから、どうも違うっぽい。
ということは、ミエーネに殺されたわけではなかったわけだ。
どうしてだろう。テュシアを「いらない」と言った。ミエーネは、あの場でそうしようと思えば簡単にできたはずなのに。
「や、それより、ここはどこ……?」
真っ白な部屋だ。なんとなく神殿を思わせる静謐な空間は、ファトスの城ではないだろう。
問題なく身体が動くことを確認して、ひょいと起き上がる。寝かされていた寝台はいたく簡素なもので、少しばかり背中が痛むが、動くのに支障はない。
「あ、靴が」
なかった。裸足だ。しかも、着ている服も違っている。裾の長い簡素な貫頭衣みたいなものに、いつの間にか着替えさせられていた。
誰に裸を見られたのだろう……と恥じらっている場合では、きっとない。
ぺたぺたと白い石の床を踏み、そっと扉を開けてみる。きょろきょろと辺りを見渡すと、どこからか話し声が聞こえてきた。
「首輪つきなどと、聞いていないぞ」
「どうとでもなるだろう。あれくらい解呪できないとは、〝叡智の民〟が聞いて呆れる」
「下等な竜ごときがエルフを愚弄するつもりか⁈」
「生まれながらに竜珠の欠片を取り込んでいる人の娘だ。希少だろう? いらぬなら、持ち帰るが?」
「……いらぬとは言っていない。対価は――」
それきり条件交渉に入った声を聞き流すテュシアの背中に、たらりと冷や汗が伝った。
話の内容からして、ここはドライヤダリスだ。
どうやらミエーネは、テュシアを売るつもりで持ち込んだらしい。〝叡智の民〟というからには、相手はエルフで間違いない。
研究熱心で知られるチェロヴィク王城の魔法師たちよりも、よほど性質の悪い探求者として知られているエルフに囚われたら、どんな実験体にさせられることか。
生まれながらに竜珠の欠片を取り込んでいるというのがどういう意味なのかはわからないけれど、非常にマズい状況だということだけはよく理解できた。
とりあえず逃げよう。
即断して、テュシアはそっと声が聞こえてくるのとは反対の方向へと歩き出した。
ところが、行けども行けども似た雰囲気の真っ白な神殿のような宮殿のような建物のなかは予想外に広かった。ほとんど人気がないのが幸いだったが、外に出る道がなかなか探せない。
「本当に、ここどこ……?」
魔の十八歳の最後の一日は、やっぱり魔の十八歳だった。
今度はここで死ぬのかな、と考えたくもないことを考えてしまう。
無事に帰ってきてとセシオンと約束した。待っているからと。それなのにテュシアのほうが死んでしまったら、あのどうしようもなく臆病で優しい竜の王はきっと泣くだろう。
今度死んだら、もう一度やり直せる保証はない。
きっとこれで最後だという直感は生まれたときからのものだ。
竜の寿命を考えたら、テュシアが転生したときにまだ彼が生きている可能性もあるけれど、次のテュシアは彼のことなど忘れてしまっているのだろう。そしてセシオンも、真っ新になって生まれ変わってくるテュシアを待てはしない。
あの竜は、そんなに強くないから。
「帰ろう。ファトスに。頑張れテュシア」
帰る、と思う場所がチェロヴィクではなくファトスに変わっていることにも気づかずに、テュシアは気合を入れ直して白い廊下を踏みしめた。
それからどれだけ彷徨っただろうか。いい加減足も怠くなり、テュシアが逃げ出したことなどとっくに知られていそうだなと思う頃になって、ようやくぽこんと外に出た。
本当にぽこんと。思いがけず、唐突に出られていたのだ。
「うーん……」
しかし、そこで足を止めてしまう。辺りをぐるりと取り囲んでいるのは、森だ。
薄い貫頭衣一枚で、しかも裸足で、どちらに進むのが正解なのかも判然としない森を抜けられるだろうか。
「悩んでる暇はないよね」
誰の助けも得られないドライヤダリスの国で、どちらにしたって進んでみないことには仕方がない。
覚悟を決めて数歩足を進めたテュシアの足元が、唐突に崩れた。
「うぎゃっ」
魔法で土を抉られたのだと気づいたのは、派手に転んで目を上げた先に緑の髪をしたエルフの姿を見つけた時だった。
「ここまで逃げただけでも見上げたものだが、生憎だったな。この森は人の脚では抜けられまいよ」
竜の人化した姿も美形揃いだが、エルフも美形揃いだと聞いたことがある。それは真実らしい。テュシアを見下ろしていたのは、おそろしく整った顔立ちの男だった。静かに佇む姿はたおやかで、純白の貫頭衣を纏っていることもあって、いっそ神々しいくらいだ。
ただし、その眼つきだけはいただけない。テュシアを眺めている男の眼は、まるきり羽虫を眺めてでもいるかのようだった。
「家畜は家畜らしく、大人しくしておれ」
言いながら、エルフがひょいと指を振る。
細長く光るなにかが飛んできたと思った瞬間、パチン、と目の前でそれが弾ける。
「面倒な。首輪のせいか」
「首輪……?」
唖然とするしかできないテュシアの前に、エルフが舌打ちをしながら膝をついた。
「隷属は所有の証でもある。先に解呪しないと他の魔法を受け付けぬ」
「へえ、そうなんだ」
独り言だったのだろうか。思わず相槌を打ってしまうと、嫌な眼で見られた。
「立て」
無造作に腕を掴まれる。
そうだこういうときこそ、あれだ。弾けマメ。そう思ってポケットを探ろうとして、着替えさせられてしまっていたことを思い出す。
せっかく作り直したのに、肝心のところで役に立たないなんて。
「先に解呪だ。それができなかった折には、対価は支払わぬぞ」
振り向いたエルフの視線の先に、ミエーネがいた。
反射的に腕を掴むエルフの手を振り払う。
「っ!」
ちょうど爪で抉れたのか、エルフの頬に赤い線が走る。白皙の美貌が憤怒に染まった。
力任せに頬を張られる。
悲鳴を上げる間もなく、テュシアの身体は打たれた衝撃で地面に叩きつけられた。
「う……」
「立て。面倒をかけさせるな」
もう一度腕を掴まれ、引きずり起こされる。
打たれた頬がじんじんと痛み、叩きつけられた衝撃で息が苦しい。
じわっと涙が浮いた。
「対価だが」
おもむろに、ミエーネが口を開いた。
その視線は何故か、空を向いている。
「必要ない。私は、私の番を殺したこの国が沈むところを見たいだけだ」
「なんだと……?」
エルフが訝し気に眉を寄せた、そのときだ。
リィン、と微かな音が聴こえた。
カッと胸の痣が熱くなる。
ほとんど間を置かずに、地面がぐらぐらと揺れた。
リィン、と鳴る小さな小さなその音は、テュシアの胸の内から聴こえた気がした。
「なんだ……⁈」
狼狽えるエルフとは裏腹に、静かに空を仰ぐミエーネはうっすらと微笑んでいる。
「やはり鳴るのだな」
「え……?」
ミエーネの呟きに呼応するかのように、轟音が辺りを包んだ。
嵐の夜の、風の唸りのような音だ。森の木々がざわざわと音を立てて揺れる。
パリン、パリン、と何かが激しく割れる音が響いた。
「竜の……」
すっと青褪めたエルフが声を震わせると同時に、それを感じた。
セシオンが来る。
「おまえからセオの気配を感じたときに気づいた。セオだけが『感じる』と言っていた甘い匂いとやらは、証なのではないかと」
「ミエーネ?」
「今、鳴ったのだろう? おまえの胸の内にある竜珠の欠片が」
竜珠。さっきのあの音は――あの音が、竜珠の鳴る音だった……?
テュシアは呆然とミエーネを見上げながら、胸の痣へと手をやった。
「さあ来るぞ。あの王は、おまえの声ならばどこにいても聞き分ける。娘よ、呼ぶがいい。おまえの半身を」
うっすらと微笑みながら、空を見上げたミエーネが目を細める。
テュシアはこくりと唾を飲みこんだ。彼女の言葉は本当だ。だってテュシアも感じているのだから。
セシオンが来る。番を迎えに。
ミエーネが眺めている方角の空へ、テュシアは思い切り声を張り上げた。
「セシオン、助けて!」
直後、突風が吹く。
あ、これ吹き飛ぶ。そう思ったのと同時に身体が浮き、けれど次の瞬間には憶えのある匂いにすっぽりと包まれていた。
「シア! また……またおまえを失うかと……ッ!」
ああ来てくれた。
安堵と共に見上げれば、紫水晶の瞳が焦りを宿してこちらを見下ろしている。
えへへ、とテュシアはだらしなく頬を緩めた。
「お帰りなさい、セシオン。ていうか、私が来ちゃった」
「おまえは……」
脱力したように眉を下げたセシオンが、ゆるりと微苦笑を浮かべた。
「やはり共にいるべきだった」
「平気。まだ生きてるし」
「まだ、では困る。――痛むか?」
打たれた頬が赤く腫れているのに気づいたセシオンの顔が歪む。
「ちょっとだけ。でも大丈夫」
「大丈夫なわけがないだろう」
苦しそうに応じたセシオンの眼が急に鋭くなる。
「おまえか、エルフ」
セシオンが睨み据える先では、先ほどのエルフが地面に尻餅をつきおろおろと辺りを見回していた。セシオンの眼が自分に向いていることに気づき、「ひっ!」と悲鳴を上げる。
テュシアはセシオンの腕のなかにいるお陰でまったくなにも感じないが、地面はまだ揺れているらしい。尻餅をついているにも関わらず、エルフは不安定によろめいていた。
「わ、私ではない! その竜が……っ!」
「ミエーネ」
揺れる足元を気にする素振りもなく、黙然とミエーネは佇んでいる。
「セオ。もういいか?」
「すまなかった、ミエーネ」
どうしてだか彼女に謝罪して、一拍の間を置いたセシオンはゆっくりと頷いた。
「許す」
ひどく苦い物を呑み込むみたいな声でセシオンが言う。それを聞いたミエーネは、ふわっと淡く微笑んだ。
そうして、テュシアに目を合わせた。
「娘。おまえが泣き暮らすだけの弱い者なら殺してやろうと思った。だが、案外アミやスウスが楽しそうにしていたからな。それを奪うのも忍びないと思い直した。乱暴にして悪かった。セオを頼む」
「待って……待って、ミエーネ!」
「いいんだ、シア。行かせてやれ」
ミエーネはたしかに過去の二度、テュシアを殺したのかもしれない。だけど優しくもしてくれた。彼女に慰められたこともたくさんあったのだ。
今世ではテュシアを殺さなかった。なのに今度はミエーネがどこか遠くへいってしまう。そんな焦りに咄嗟に手を伸ばしかけたテュシアを、セシオンが押し留めた。
「セオ。おまえの欠片はその娘のなかにある。残りを与えてみろ。そうすればおそらく――」
そこから先は聞こえなかった。あっという間に真っ黒な竜へと姿を変えたミエーネが、さっきセシオンがやってきた方角へと羽ばたいた。
「シア。いいか、飛ぶぞ」
「え、飛ぶ? 今?」
「今だ。この大地はじきに竜脈に呑まれる」
「呑まれる? なんで?」
セシオンとミエーネのやり取りの意味もわからなかったし、欠片がどうのという話の意味もわからない。それに、竜脈に呑まれるって?
目まぐるしく変わる展開にテュシアはついていけなかった。
ぽかんとしていると、セシオンが片手に抱いたテュシアの頬をそっと包んだ。
「説明は後でしてやる。おまえは空が苦手だろう? だが、今は飛ばねばならない。いいか、シア。俺は絶対におまえを落さない。だからじっとしていろ」
「う、うん……わかった。それはつまりセシオンを信じていればいいってことだね? それなら大丈夫」
「まったく、おまえは……」
どうしてそう可愛いんだ、というセシオンの声は、聞こえたのか聞こえなかったのか。気づくとテュシアは白銀の竜の鉤爪のなかにいた。
さっきまで目の前にあったはずの森が遥か下のほうに見える。
その森は、燃えていた。
「グルゥ」という声にきょろきょろすると、紅竜が隣に並び羽ばたいていた。
見覚えのある紅い瞳がテュシアを覗き込んでいる。アミだ。
大丈夫かと訊かれている気がして、テュシアは小さく手を振った。安心した顔で紅竜が一度首を上下させ、ついと離れていく。
風の音に混ざり、大地がうねる音がする。
おそるおそる爪の隙間から見下ろしてみれば、眼下で竜脈が暴れているのが見えた。火柱が上がり、白亜の宮殿が崩れていく。燃え盛る炎のなかに漆黒の竜の姿を見つけた気がしたけれど、見間違いだったかもしれない。
その日テュシアは、そうとは知らないままに、ひとつの国の王都が沈む光景を見た。




