第21話 調印式
(side.セシオン)
ピリピリしている竜の一行に比べ、出迎えたエルフたちは落ち着き払っていた。それがまたいっそう気味が悪い。
「同じことを繰り返したらマズいってことくらいは、さすがに奴らも理解してるのか」
「そうだといいが」
式典を待つ間、控えの間にと貸し与えられた一室に入るなりアミが顔を顰めた。
「なんにせよ、気は抜けねぇな」
「ああ」
エルフが厄介なのは、魔法に秀でているところだ。他種族の侵入を阻む結界で国全体を覆っているのは、大陸広しと言えど、このドライヤダリスくらいだ。
いったいどれほど複雑な術式を使っているのか。多くの国にはそれほどの魔法使いはいない。
「これも魔法なんだろ。いったいどうやってんだろうな」
次々と異なる風景を映す壁面を熱心に見つめ、アミが言う。
ドライヤダリスの王が住まう白亜の宮殿は、チェロヴィクの華やかさとはまた違った趣の美しさがある。無駄な装飾を廃し、それでいて柱や天井には見事な彫刻が施されている。
セシオンたちが貸し与えられたのもそうした慎ましくも優美な一室だったのだが、その部屋の一面の壁だけは様子が違っていたのだ。ホログラムという魔法技術だという。
外界の風景を写し取り、それを魔法によって壁に映しているのだとか。奥行きのある映像はまるで実際の風景を眺めているようで、風にそよぐ梢の動きまでもが生々しい。
「ったく、こういう健全な方面にだけ頭を使ってくれりゃあいいものを」
よほど気に入ったらしく、先ほどからずっと壁の景色を眺めているアミが言うのに、セシオンはそうとも言えない、と応じた。
「考えようによっては、危険だろう」
「あ? そうか?」
「執務室の書類の内容まで丸見えになる」
「なるほど、そういう使い途があるか」
相手がエルフだというだけで、どれほど素晴らしくみえる技術にも裏があると考えねばならない。それほどエルフという種族は特殊なのだ。
「ったく、厄介な国だぜ」
「ああ」
自ら〝叡智の民〟などとのたまっているが、奴らが蓄えているものは叡智などではない。ただの傲りだ。
二百年前、この地で一体の竜が犠牲になった。ヒュードルの先王だった男だ。
初めから仕掛けられていた罠だった。式典の最中、王が調印に立つその足元に魔法陣が隠されていた。
エルフにとって、竜は貴重な研究対象である。
というよりも、素材、と言ったほうがいいか。
竜脈によって生きる竜の躰は魔力の源、その塊でもある。竜の血を飲めば不老不死に、鱗を砕けば輝く肌を作る美容薬に、肝を煎じれば死病も治す万能薬に。
いくつもの風説があるが、その多くは単なる妄言に過ぎない。
だが、その躯体が魔力の塊だという点だけは真実だ。そのためエルフは竜を欲する。
二百年前のセシオンは譲位されたばかりで、あらゆる面で未熟だった。咄嗟に仕掛けられた魔法への反応が遅れ、そこを先王に庇われた。
譲位した後の王は急速に力を失う。それも不運ではあったのだろう。無数の閃光に全身を貫かれて絶命した先王の姿はいまでも瞼の裏に焼きついている。
王としての命運を背負って生まれたセシオンを育ててくれた竜だった。
父のように、兄のように慕っていた相手だった。
王と呼ばれる者の未熟さがどんな悲劇を招くのか。それが、最期に彼が教えてくれたことだ。
「俺は……先王の――アートルの期待に応えられているだろうか」
ふと零れたその声に、振り向いたアミがあっさり答えた。
「まだまだだな」
つかつかと歩み寄ってくると、向かいの椅子に腰を下ろす。
「大体おまえは、顔に出ないくせに浮き沈みが激しすぎなんだよ。鬱々と閉じこもってたと思ったら、急に溌溂としやがって。ゲンキンすぎんだろ」
どれだけ心配したと思うかと問い詰められて、言葉もない。
「それに、だ。おまえさ、ファトスの竜脈が暴れかかってたのに気づいてたか?」
「いつだ?」
驚くセシオンに、やっぱりなとアミが息を吐く。
「つい数日前だよ。結構危ういところまでいってた」
「なんだと……⁈」
慌てて立ち上がりかけたのを、落ち着けと手振りで制される。
「いまはもう落ち着いてる。今朝も平気だったろ?」
「……あ、ああ」
急いで戻らねばならぬと焦ったが、たしかにそうだ。今朝は特に危険な兆候など感じなかった。
しかし。
「誰が」
「あいつだよ。魔女娘だ。それと、その師匠な」
「テュシアが……? 何故だ」
彼女は魔女であるが、純人族だ。竜脈に触れるどころか、感知することもできないはずではなかったか。それが何故……?
ひたすら驚愕するセシオンを前に、アミは呑気に頭の後ろで手を組んだ。
「これ、おまえが部屋に閉じこもってる間のことな。うじうじ悩んでたんだろうが、おまえの力に引っ張られて竜脈が暴れかけてた。俺たちもなんとかしないといけねぇとは思ってたんだが、ババァに遅いって叱られちまったよ」
「それは……すまなかった。だが」
「魔女娘がどうして竜脈を視れるのかも、触れるのかも知らねぇ。やり方を教えたのはメルーだが、彼女はまあ、人じゃねぇからな」
「ああ……そうだったな」
「お、そっちは驚かねぇんだな?」
メルーという名の魔女が人でないことは初めから気づいていた。
「あれは……あの魔女は、エルフだろう」
「はぐれ者だって自分で言ってた」
エルフのなかにも、稀にそういう者がいる。
さすがに人の娘を拾い育てるほど酔狂な者も、それほどまでに彼らの暮らしに溶け込んでいる者も多くはないだろうが。
「メルーのあの姿も擬態だ。年食ってるみたいに見せかけてるが、エルフだからな」
実際は若々しい美女なのだろう。
「それとわかっていながら『ババァ』と呼ぶおまえもどうかと思うが」
アミらしいと言えば、アミらしい。淡く苦笑しながらも、「メルー」とエルフの名を口にした彼の、その声音に微かな違和感を覚えた。エルフの魔女がやってきた当初から感じていた違和感が、ようやく明瞭な形を持った気がする。
おそらくだが、そういうことなのではないだろうか。アミの竜珠は鳴ったのだ。あの魔女を前にして。
けれどそれをセシオンに告げないのは、いつかの夜、食堂で言っていた通りの理由なのだろう。セシオンをどうにかするまで自分は動かない、とアミは断言していた。
相変わらず、余計な気を遣ってくれる。
内心で苦笑しつつ、ほんのりした苦みを噛みしめた。
竜珠が鳴る。それはいったい、どんな音なのか。
セシオンには聴くことのできないその音を聴いたそのとき、彼はいったいどんな心持ちになったのか。
羨ましいと感じないわけがない。しかしその羨望も、以前ほど胸に痛くはない。
ともあれ、それについてはひとまず後回しだ。それよりもと、セシオンは横道にそれかかった思考を引き戻した。
「テュシアは人の娘、だろう?」
「だろうな。俺にもそう見える。し、メルーもそうだと言っていた」
では、何故なのか。考え込むセシオンを前に、うーん、とアミが唸る。
「これは俺の、というかメルーの推測なんだが。あんまり期待しないで聞けよ?」
どういうことだと眉を上げれば、アミが迷う素振りで頭を掻いた。
「余計な期待されると困るってことだが……まあ、いいか。メルーは、テュシアの魂には混ざりものがあるって言うんだ」
「混ざりもの?」
「俺さ、あの時、竜脈に触れてるテュシアから微かにではあるんだが、感じたんだよ。おまえの気配を」
「俺の……?」
「こっからはメルーじゃなくて、俺の推測な。ひょっとして、あの娘が持ってるんじゃないかと思うんだよ。おまえの欠け――」
言いかけたアミの言葉を遮り、ノックの音が響く。
式典の開始を告げる侍従の声に、ふたりは揃って腰を上げた。
「話は後だな」
「ああ」
テュシアがなにを持っているというのか。いやその前に、竜脈に触れたテュシアからセシオンの気配を感じたというのはどういうことなのか。
気になることはあるが、いまは式典に集中すべきだ。
生きて帰ると約束した。帰ってこなかったら泣く、とテュシアが言ったのだ。
話の途中で突然口を塞がれ、頬を引っ張られ、頭突きされた時には何事かと思ったが、突飛な行動があまりにも面白くてつい笑ってしまった。バカだの石頭だの、そんな風に怒鳴られたのは初めてだ。
冷血な氷竜王と呼ばれることはあっても、仏頂面の王サマと言われたのは初めてだった。彼女はいつもこちらの意表を突く。
欠けた竜珠をそんなものはいらないと、気にしないとあっさり言ってのけ、番じゃなくても構わないと言い放った。
――私も好き。竜王サマも好き。ほら、幸せだね。
そう言われて、ああこれが幸せなのかとようやく理解した。
番と出逢い、生涯寄り添うことこそが幸せなのだという竜の当たり前の価値観を、たった一言でテュシアは打ち壊した。
番じゃなくてもいい。
好きなら、それでいい。
とてもシンプルなその理屈は、妙にしっくり腑に落ちた。
彼女と寄り添える時間は決して長くはない。けれどテュシアは、そんなことは気にもしていないのだ。ならば短いその時間を、惜しみなく大切にすべきだろう。
今のセシオンは首輪のせいでテュシアの命までも握ってしまっている。彼女を危険に晒すことはできない。それだけでも、無事にこの国を出ようと思える原動力になる。
待っていると言っていた、彼女の元に帰るために。
「よし、気合は充分だな」
「ああ」
横目でこちらを窺い、にやりとしたアミに短く応じる。その瞬間に気づいた。
「ミエーネはどうした?」
「あ?」
会場の扉はもう目の前だ。式典が始まるというのに、ミエーネの姿がないのはおかしい。
不意に、猛烈に不穏な胸騒ぎがした。
「竜王陛下、どうぞご入場ください」
侍従の声と共に、扉が開く。
「どうする?」
「……探させろ。こちらは早急に式典を終える」
ヒュードルから連れてきた侍従に耳打ちをするアミを確認して、セシオンは式典の行われる広間へと足を踏み入れた。
今回はひとりでと主張するセシオンとカマラとの意見が真っ向からぶつかり、結局いつも通りの随行者をと押し切られる形で同意したのだが。
やはり連れてくるべきではなかったのかもしれない。二百年前からこの地はセシオンにとっての因縁の地であるが、ミエーネにとってもそうだ。
いやむしろ、セシオンの比ではなくこの国を、エルフたちを彼女は憎んでいるに違いない。
ミエーネには酷なことを強いた自覚はあった。しかし、当時の自分が考えていたよりもそれは遥かに残酷な要求だったのだと、今ならばわかる。
最愛を失うことが、どれほどの苦痛なのか。
それゆえミエーネの身か、それとも彼女がこの国になにを仕掛けるつもりでいるのか、どちらを案じるべきか迷う。
「これより調印式を執り行います。二百年の和平を」
淡い笑みを貼りつけたドライヤダリスの王が出迎えるのに、セシオンもまた気を引き締め直して頷きを返した。
エルフという種族は、見た目だけなら誰もかれもが美しく整った容姿をしている。神官のように純白の貫頭衣を纏い、艶やかに長く真っすぐな緑の髪を持つのが彼らの特徴だ。
この国の王が代替わりしたのは、二百年前の式典からすぐ後のことだったという。そのため王であることを示す月桂樹の葉紋を額に標した眼前の男とは、初対面ということになる。
先ほど到着時に挨拶だけは交わしたが、エルフらしいエルフだという印象を受けた。セシオンよりもいくらか――百年ほど年長らしい。
「かつての悲劇は我が国の不徳の致すところ。深く謝意を示すと共に、此度も和平の儀に応じてくださったヒュードルの慈悲深さに感謝いたします」
澄んだ声が玲瓏と広間の高い天井に響く。
それに応じてセシオンが口を開きかけた、そのときだ。
リィン、と微かな音が鳴った。
息を呑み、セシオンはぴたりと動きを止めた。
訝し気な面持ちでこちらを見つめるエルフの王の前で、セシオンは耳を澄ます。
リィン、ともう一度。それはたしかにセシオンの耳朶を震わせた。
「竜珠が……鳴った……?」
欠けていたはずの、決して鳴らないはずの竜珠が鳴った。
ごく微かにではあるが、それはたしかに竜珠の鳴る音だった。
「どうなされた、ヒュードルの――」
王よ、と呼び掛けられるよりも早く、それを感じた。
テュシアがいる。この国に。セシオンの近くに。
そして彼女の身に危険が迫っている。
誰が。どうして。何故彼女がこの国に。
様々な疑問を塗り潰し、湧き上がってきたのは激しく身を灼く怒りだった。
「始めましょう」
動かぬセシオンに痺れを切らした様子でエルフの王がさっと腕を振る。緑に光る魔法陣が目の前に浮かびあがった。
「こちらに調印を」
促す声は、耳に入らなかった。瞼の奥にチリッと痺れを感じる。
隷属の首輪が魔法を弾いたのだ。
エルフの魔法だった。それがテュシアを襲った。
この国は、また奪うのか。大切な者を、二度までも。
世の安寧を望むからこそ、二百年前は拳を収めて和睦を受け入れた。均衡を崩さぬために、そうせざるを得なかった。「和平を」と最期の力を振り絞って告げた先王の一言を、その遺志を守るためにも赦すしかなかった、あの時。
それがどれほど耐え難い苦痛だったことか。
高邁を気取る傲慢なだけのエルフどもは微塵も理解してなどいない。彼らにとって「素材」でしかない竜の心を、その在り方を、その力を。
「……るな」
「ヒュードルの……?」
出逢えるはずがないと諦めていた唯一。それでも惹かれ合った最愛だ。
自分以外の誰にも触れさせたくなどない。
ましてやエルフになど。
許さない。彼女を傷つけることなど決して許さない。
「触れるなッ!」
耳を劈く咆哮が広間に轟く。
大地が揺れた。
パリン、パリン、となにかが割れる尖った音が響いた。
「結界が……」
「王よ! ヒュードルの王よ! どうか落ち着かれよ!」
エルフの王が何か叫んでいるが、セシオンの耳には届かない。
「ダメだ、国の結界が割れた!」
「竜脈が……! 国が沈みます……っ!」
慌てふためくエルフたちの前で、セシオンの身体が見る間に白銀の鱗に覆われる。
圧倒的な王の激情に引きずられ、傍らに控えたアミまでもが竜と化した。
苦し気に身悶えながら、王の叫びに同化して吠える。
「鎮まれ! 鎮まれ竜の――……っ!」
エルフたちが魔法を発動させようと試みるが、セシオンのほうが速かった。
「テュシアに触れるな! それは俺の――俺の番だ!」
びりびりと空気を震わせる咆哮に、エルフの王が吹き飛ばされる。
祭壇が壊れ、柱頭に罅が走った。彫像が砕け散り、破片を浴びたエルフたちが悲鳴を上げる。
「いったい、何が……」
茫然と倒れ伏したエルフの王が見上げる前で天井窓を突き破り、氷雪の竜が飛翔した。




