第20話 わかっちゃった
昨日やってきた時のやつれた様子が嘘みたいにすっきりした顔で部屋を出ていったセシオンの出立を、テュシアは部屋の窓から見送った。優雅に上空へと舞った白銀の竜が、テュシアが見ていることを知っているみたいに一度上空で大きく旋回して、それから北へと消えていく。
綺麗に晴れた空のなかで煌く銀色の竜の姿はやはり、惚れ惚れするほど美しかった。
「あ」
そういえば、ミエーネのことを訊くのを忘れた。
会えて嬉しくて、好きだと言ってもらえて嬉しくて。
好きだと言えて嬉しくて。それなのに危険なところへ行くというから心配になって。
そのせいで、ミエーネのことはすっぽり頭から抜け落ちていた。
本当に、テュシアは考えることには向いていない。
だけど、番と定めた相手から拒絶されることでも竜は狂うのだと聞いた。ミエーネがセシオンの本物の番だったら……そうしたら、どうすればいいのだろう。
「番かぁ」
番とは、なんだろう。生涯にたったひとり。それは人で言うところの夫婦となにが違うのだろうか。
今日、旅立つなかに黒竜もいたと思う。白銀の竜しか目に入っていなかったからたしかではないのだが、いつもセシオンの傍にいるミエーネだ。同行していないはずがない。
テュシアは留守番なのに、ミエーネはどこへなりとも共に行ける。セシオンと肩を並べて。それを思うと、どうにもモヤっとしてしまう。
いつまでも消えていった竜影を空の向こうへと探しながらそうぼんやりしていると、やってきたスウスに無言で抱き締められた。
「おはようスウス。え、なに?」
「ごめんなさい、でも……ありがとうございます」
涙混じりの声で言われて、きょとんとしてしまう。
「セシオン様が、あんなに晴れやかなお顔を……」
「ああ。元気になったよね、よかった」
「ええ、ええ。本当に」
そこでハッとしたように身を離し、テュシアの頭の先から爪先までをしげしげと眺めた。
「お身体は? 体調は平気ですか?」
またそれか、と苦笑した。
「平気。なんともないから」
ただやっぱりちょっとだけ肩が凝っているくらいで。
とは言っても、いくら説明したところでこの誤解は解けそうにない。
「お食事はどうされます? あたしが作ってきましょうか?」
どうしようかなと迷い、部屋でじっとしているのも落ち着かないしと自分で作ることにする。手伝うと言って、ついてきてくれるスウスと共に厨房へ向かった。
「キノコを入れて、オムレットにしようかな」
「じゃあ、あたしはパンを焼きましょうかね」
「うん、お願い」
それぞれ手分けして作業をしながら、テュシアはさり気なくスウスに声をかけた。
「ねえスウス。スウスはわかってたの?」
「はい。最初から」
スウスは即座にきっぱりと頷いた。
「セシオン様は、ご自身のことを全部諦めていらっしゃいました。ただ王としての義務を果たすことだけがご自身の存在意義なのだと言って。竜珠が欠けているからといって、番が存在しないわけではないと、どれほどお伝えしても聞いてはくださいませんでした」
やはりそうなのか、と思う。
セシオンは案外頑固な性質なのかもしれない。
「それ、アミも言ってた。見つけられない以上は存在しないのと同じだ、って」
「そうなんです。同じではないのに。だから、あたしたちは国中の竜を城へ呼びました。さり気なく、順番に」
何のためにかと訊ねようとして、閃いた。
「番かもしれない相手から見つけてもらうため?」
「ええ、その通りです。王の欠落はあまり大っぴらにできませんからね、もっともらしい理由をつくるのに苦労しましたよ」
「それはまた……」
思わず絶句してしまう。
テュシアは初めて、メルーがしきりに「おせっかい」と言っていた意味を理解した。
「それから、生まれた子竜たちは必ず一度、王へ挨拶に来るという習慣を作りました」
「あ」
そういえば少し前に、セシオンが子竜にじゃれつかれている現場を目撃した。
あれも、それだったのか。竜王陛下のお嫁さん探し。
「あ、あはは……いろいろやったんだねぇ」
頬を引き攣らせるテュシアには気づかぬ様子で、手を真っ白にして小麦を捏ねながらスウスが感慨深げに頷く。
「そうなんですよ。考えつくことは全部やりました」
「でもまだ見つかってないんだね?」
「ええ。――いいえ。見つかった、のだとあたしは思ってますよ」
スウスの眼差しで答えを悟る。
「でも……」
「テュシアさんは人ですから、番だとわからないのも無理はありません。ですが、セシオン様はちゃんとテュシアさんを見つけられた。竜珠が欠けていようと、ちゃんと見つけられたんです」
「そうかな……?」
あまりにきっぱり断言されるものだから、困惑してしまう。
するとスウスは声を強めた。
「匂いですよ」
「え? 匂い?」
「番と出逢うと竜珠が鳴る。だけどそれだけでなく、番からは特別な匂いを嗅ぎ取るんです。どこがどうと説明するのは難しいんですけどね、その匂いが特別だっていうことはすぐにわかるんですよ」
では、セシオンがしきりに言うテュシアの匂いというのがそれなのか?
「そうでしょう。あたしたちには、テュシアさんの匂いというのがわかりませんからね。セシオン様だけが嗅ぎ取られている。それは番の証だと思うんですよ」
「そうなのかなぁ」
「セシオン様もご理解されていなかったみたいですけどね。そういうことでしょう。それに、竜珠が鳴らなくても、あの方はテュシアさんを愛された。初めは匂いで、それからはきちんと心で恋をされた」
そう言って、スウスが目を細める。
「竜にとっては短い間でもいいんです。生涯の孤独を約束されてしまっているなんて、そんな切ないことはありませんよ。番を探し求め、見つからずに絶望して死んでいく。そういう同胞を、あたしたちはたくさん見送っています。それだけ孤独というのは重く冷たいものなんです。それと比べるなら、たとえ短くても、愛し、愛される喜びを知っていただきたかった。王である前に、あの方もただの竜であっていいんですから」
ああそうか、と思った。
「スウスたちは、セシオンのことがとても大事なんだね」
「そうですね。あの方は、息子みたいなものです。生まれた時から知ってるんですから」
「愛されてるね」
「もちろんです」
パンは後で食べることにして、遅めの朝食としてオムレットと適当に選んだ果物でひとまずの腹ごしらえをする。
スウスは甘酸っぱくつぶつぶしたボワの実が気に入っているらしく、ちびちびと摘みながら、それでもかなりの勢いで平らげていた。
初めはほとんど何もなかった厨房も、今ではすっかり調理器具や食材で充実しているし、食堂にもいつでも喉を潤せるように水やお茶の用意がされるようになった。
愛されてるのはセシオンだけじゃないな、とテュシアは内心で思う。
テュシアも、最初から皆に大事にされていた。
どうしてこの優しさに、昔は気づけなかったのだろう。閉じ込められたからといって縮こまるばかりだったあの頃の自分をひっぱたいてやりたい。
簡単な食事を終えてから、テュシアは調合部屋へと向かった。
今日一日も、普通に過ごそうと思う。いつもと違うことをして、何かあったらずっとそれを悔やんでしまいそうなのが嫌だから。
メルーのレシピを見ながら〝魔女の軟膏〟を作ろうとファルマの葉をすり潰し、そうしながらだけどやっぱり考えてしまうのはセシオンのことだ。
今頃、どこにいるのだろう。
あれほど警戒していたエルフの国に行っているのだ。
無事なはず。
だけど、本当に無事なのだろうか。
気づくとぼんやりしてしまっていて、魔力を練り込んでいた粉末がボンッと跳ねたところで我に返った。
「あー、やっちゃった……」
テュシアはどうも、この魔力を練り込むという作業が苦手だ。せっかく魔力を持って生まれ直したのに、細かい制御がいくら練習しても上手くならない。
「駄目だ。こういうときは、あれだ」
作り慣れたものを作ろう。じゃないと危ない。
なんにしようかなと部屋を見渡して、決める。
「これにしよう。痴漢撃退弾けマメ」
テュシア考案、テュシア作の初めての薬――ではないかもしれないけれど、とにかくメルーのところで初めて作ったのがこれだった。
なんでこんなものをとメルーには呆れられたが、きっと無意識のうちに、今度攫われそうになったら相手にぶつけてやるのだと考えていたのだと思う。昔のことすぎて、あまり覚えていないが。
これに使うには、適度に乾燥しやすく、硬すぎず、脆すぎないスフェラという植物の若い種がいい。普通にマメのスープにしても美味しいスフェラだが、チェロヴィクでは主に家畜の餌として知られている。
美味しいのに。スフェラ。
莢に入った種をひとつずつ地道な作業で取り出していく。地味な作業に思いがけず集中していたので、ここまでで昼を過ぎた。
もう少ししたらスウスが呼びにくるだろう。それまでに第一陣を仕上げてしまおう。
さっと洗った種の水気を取ったら、専用の容器に入れて乾燥させる。
実はもうこれで最終工程なのだが、ここでは弾ける直前の、ギリギリの見極めが大事だ。じっと魔力を凝らして限界を見極め、程よいところで取り出した種を冷ます。
そうしている間に第二陣用に仕分けておいた種を洗い、水気を切っておく。
そういえばこちらに来てから交換していなかったなと思い出し、いつも持ち歩いている巾着のなかのマメを新しく作ったばかりのものと入れ替えた。マメというのはどうしても湿気を吸うから、長く持ち歩いていると弾けマメがただの萎れマメになってしまうのだ。
第二陣の乾燥を終えたところで、そろそろ時間だろうと一旦手を止めた。ちょうど、部屋の扉が開く。
「スウス、今……」
顔を上げて、テュシアは息を呑む。
そこにいたのはスウスではなく、ミエーネだった。
ドライヤダリスに同行していたのではと訝るよりも先に、自分に向けられる眼差しを見て、数日前に抱いた疑惑が蘇る。
「ミエーネはセシオンが好きなんだね? セシオンの本物の番なの?」
考える前に口を衝いた問いに、ミエーネは驚くほど激しい反応をみせた。
「私の番はあいつだけだ!」
それは肯定なのか否定なのか。どっちだろうと首を捻る間にも、ミエーネの顔に浮かぶ歪んだ笑みに背筋が寒くなる。
わかっちゃったな、と内心で呟く。
ミエーネには、テュシアが邪魔なのだ。
「それでも私が必要だと言うから仕方なく留まった。砂を噛むような毎日だ。こんな世に生きる意味などないと知っていながら、あいつと同じ場所に還ることすら許されない。私ばかりが耐えている、そんな不公平なことはないだろう? だから――」
逃げられるはずなどないとわかっているみたいに、ゆったりとした足取りでミエーネが距離を詰めてくる。テュシアはじりじりと後退った。
「王の傍に、おまえはいらない」
「ぁぐっ!」
狭い部屋では逃げ場などほとんどなく、薬草棚に背中をつけたテュシアの首にミエーネの手がかかった。
「だが、首が落ちるのを待つよりも、もっといい使い途を思いついた。王の力を宿した娘をあいつらにくれてやる。それまで――眠れ」
気道を塞がれ、あっという間に薄れていく意識のなかで、今世のテュシアはあまり悲嘆してはいなかったから、そのせいで初めから睨まれていたのだろうなとぼんやり思った。
前世も前々世も、テュシアは泣いてばかりだった。だからきっとミエーネもそんなテュシアを憐れんで、表面上だけとはいえ優しくしてくれていたに違いない。
だってミエーネは、とても悲しんでいる。
どうしようもなくテュシアにとっては物騒なことを口にしながら、なのにそんな彼女はずっと綺麗な黒い瞳からハラハラと涙を零していた。
たぶん、本人も気づいていないのだろうけれど。




