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やり直し魔女と欠落の竜  作者: 中村ねり
【第四章】メルー

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第18話 ミエーネ

 目覚めたときに窮屈な腕が巻きついていないことには、もう慣れた。

 寄り添う体温に慣れるよりも、それがなくなって元に戻ったことに慣れるほうが早く、だけど時おり無性に寂しいと感じてしまう自分の心にテュシアは頑丈な鍵をかけた。


「あれ……?」


 気づいたのは、いつだったろうか。毎日少しずつ変わっていく景色になんとなく気がついていたようでもあり、だけどはっきりとそれを知覚したのは、珍しく重たい雲が谷を覆う日の朝だった。


「湖が涸れかかってる……?」


 城の居館で一番眺めのいいテュシアの部屋、その窓から見えるプラタの湖の水位があきらかに下がっている。

 身支度を整えて、いつもみたいに調合部屋に急ぐ。


「おはようメルー」


 声をかけると、先に来て、窓の前で空を見上げていたメルーが振り返る。


「ああ、おはよう」

「ねえメルー、気がついてた?」

「湖だろ」

「あ、やっぱり知ってたんだ。よくあることなのかな? あんなに変化したら植生が変わっちゃいそうだけど」


 一度は振り向いたメルーが再び窓外へと視線を戻す。


「シア、こっちにおいで。そうだな……あの辺りか。いまのおまえなら、見ようと思えばハッキリ〝視える〟はずだ。あの雲の下辺りの竜脈を視てみな」

「見えるかな……」


 いつもみたいにぼんやりとしか見えないはずだと思いながらメルーが指差した辺りに目を凝らし、テュシアは「あ」と声を上げた。


「なにあれ? ぐるぐるしてる」

「ほう。やっぱり〝視えた〟ね」

「見えた。けど……」


 メルーの言う通り、いつになく鮮明に見えた。

 なんと説明すればいいのか、地中深くに流れているはずの竜脈が地面の近くまでせり上がってきていて、煮えたぎる鍋の中身のように渦巻いている。

 危うい。


 何故「今なら」と言われたのか、何故こうもはっきり視えたのか。気にするべきことはあったが、それよりも直感的に抱いた「危険」という感覚に意識が向く。


「なんか……ちょっと怖い。大丈夫なのかな……」


 ファトスは竜脈の活性が強い場所なのだとスウスは言っていた。けれど、それにしてもあれは少々強すぎやしないだろうか。

 いつからこうだったのだろう。ずっとこうだったのだろうか。

 焦るテュシアの横で、メルーは静かに窓の外に目を向けている。


「ねえメルー」

「どんな物事にも終わりはある。だが、それが未熟な若造のせいだと思うと些か業腹だな」


 呟いて、メルーがくるりと振り向いた。


「紅竜、いるんだろ。アタシとテュシアを王の塔に連れて行きな」

「へ? アミ? なんで王の塔?」


 戸惑うテュシアの前で、ぬっとアミが戸口から顔を覗かせた。


「どうするつもりだ、ばあさん」

「ふん。なんとかするのさ、アレを」


 窓の外を顎でしゃくってみせながら、メルーが言う。


「どうにかなるかと待ってみたが、そろそろ猶予がなさそうだからね。アレの中心は王の塔だろ。屋上でいい。さっさと連れて行きな」

「……責任は取れねーぞ」

「誰がおまえみたいな小僧にそんなもの期待するものか」


 渋い顔をしつつも、ひとつ溜息を零したアミがつかつかと歩み寄ってくる。


「んじゃ、行くぞ」


 そう言われた瞬間にはアミの腕に抱え込まれていて、そして更に次の瞬間には竜の鉤爪のなかにすっぽりと収まって上空にいた。


「ぎゃぁぁぁぁー⁈」


 内臓が浮き上がる感覚に思わず悲鳴を上げたのも束の間、数度の羽ばたきの後、テュシアは硬い石の上に尻餅をついていた。


「おまえ、ほんとに高いところが苦手な。あとその悲鳴。もっとこう、上品な感じにならねぇのかよ」

「そ、そうだけど、そうじゃなくて! うるさいし余計なお世話だし! ていうか、なんで急に! 飛ぶなら言ってよ! そもそも飛ぶ前に言ってよ!」


 心臓がバクバクしている。


「さあ、どうすっかな」


 食ってかかるテュシアを、アミがにやにやしながら躱した。


「シア。時間がない、おまえの首が絞まる前にお立ち」

「え? 首?」


 メルーの声にハッと辺りを見渡してみて気づいた。テュシアがいるのは王の塔の上部だ。


「おまえは塔に立ち入ることを禁じられてるんだろ? 首輪の命令に背いてるんだ。ぐずぐずしてると首が絞まるぞ」

「ひぃ!」


 さっと血の気が引く。そうだった、そういえばそんな命令をされていたんだった。思えばあの命令は撤回されていない。

 テュシアは弾かれたように立ち上がり、手招くメルーの元へと駆け寄った。


「ここだ。ここにお立ち」

「うん」

「いいかい、足元の竜脈を〝視る〟んだ。さっきのように渦巻いてるだろ?」

「うん」

「そっと、少しずつ、それを下へ下へと押しやるんだ。端のほうから、ちびっとずつでいい。無理に押し込めようとするな。いつも草木に網を伸ばす、あの要領でな。反発されないように、ゆっくりとだ」

「うん」


 その場に立ってみたから、より理解できた。地中に渦巻くそれが、どれだけ危うく、どれだけ脅威的な力の塊なのか。テュシアは返事をするのももどかしく、足元へと目を凝らした。

 端のほうから紙縒こよりを作るみたいに糸を練り上げて、それを少しずつ下へ、地面の奥へ。

 じっと目を凝らし、魔力を練るテュシアをアミとメルーが真剣な面持ちで見守っている。じわりと額に汗が滲んだ。途方もない力の塊を相手にするには、集中力が必要だった。

 とてもじゃないけれど、全部一度にはできない。渦巻く塊の端がいくらか削れたところで息が苦しくなってきた。


「メルー」

「紅竜、急げ!」


 呼ぶと、それだけで察したメルーに呼ばれたアミがさっきと同じようにテュシアを片腕に抱き上げて飛翔する。中庭に降り立つと、テュシアはぜえぜえと呼吸を整えた。


「ど、どうかな?」

「ふん。まあ初めてにしては上出来だな」


 目を細めたメルーがテュシアと同じように竜脈を〝視ている〟ことはもう間違いがないけれど、それについては訊ねないことにしておく。メルーが人ではなかったとしても、なにも変わりはしない。メルーはメルーだし。

 そんなことを考えていると、メルーは再びしれっと口を開いた。


「さ、落ち着いたらもう一度行くよ」

「えぇ⁈」


 悲鳴を上げはしたが、テュシアもアレが一度きりでどうにかなるものでもないことは重々承知していた。


「せめてこの首輪の命令、解除してもらえないかな……」

「それを頼めるくらいだったら、今あんたがこんな苦労してねぇよ」


 恨めしく見上げると、アミが顔を歪めた。


「最強のはずの竜王サマは、どうしちゃったの?」

「悪い。いまのあいつはダメだ。じきにドライヤダリスの調印式も控えてるっていうのにな。部屋に閉じこもって出てこねぇ。カマラはギリギリまで待つって言ってたんだが」


 歯切れの悪いアミに、メルーが鼻を鳴らした。


「ふん。いまがそのギリギリだろうが。竜ってのは、図体がデカいせいで大雑把が過ぎていけないよ。取り返しのつかないことになってから慌てたって遅いんだ」


 いつでもメルーには敵わないアミが大人しく口を噤む。

 テュシアは頬を叩いて気合を入れた。


「わかった。しょうがないよね、頑張ろう。……でも、死んじゃう前に連れ出してよね」


 それからメルーが「とりあえずはこんなもんでいい」と頷くまで、どれだけ塔と中庭を行き来したか。朝だったはずなのに、気づけば陽の位置はとっくに中天を過ぎていた。


「もう駄目……」

「ああ。よくやったよ、魔女娘」


 最後に降ろされた中庭でへたり込んだテュシアの頭をアミがぽんと優しく叩く。


「悪かったな、ほんとは俺たちがなんとかしなきゃならなかったのに」

「まったくだね。いまのところはまだいいが、このままだと王を変えろと突かれるぞ。たとえばドライヤダリス辺りからな」


 エルフと竜の折り合いが悪いらしいことは有名な話だ。

 というか、エルフはニンフ以外の種族のことは認めていないのだろうし、認める気もないのだと思う。


「わかってるさ。たぶん……セオもな」


 苦い顔で言って、アミが言葉を継ぐ。


「こんな風に制御を失くすなんてさ、まるで番を亡くしたみてぇだ」


 アミの眼差しに探る気配を感じる。それにテュシアは困惑した。


「だけどセシオンの番は……」


 見つからないのではなかったのか。

 それとも、欠けた竜珠でも誰かと巡り合えたのだろうか。そしてその誰かを亡くしてしまった?

 戸惑っているうちに、アミの視線が和らいだ。


「部屋まで送ってくか?」

「ううん、いい。ちょっとここで休んでから戻るよ」


 ぐったりしたテュシアに気を遣ってくれるアミに、首を振って断った。


「わかった。んじゃ、果実水でも持ってきてやるよ」

「ありがとう」


 立ち去るふたりを見送り、テュシアは中庭の縁に座って空を見上げた。あれほど分厚く立ち込めていた雲は、竜脈が落ち着くと共に驚くほど綺麗に晴れている。


「番、か……」


 セシオンの番はテュシアじゃなかったのか。わかっていたはずなのに、どうしたって胸が痛む。

 愛されなくても愛する覚悟はあるかと問われた時には、ないと自答したくせに。

 同じ城郭内にいて、もうどれくらいセシオンの顔を見ていないだろう。

 アミは、部屋に閉じこもっていると言っていた。彼は今、どうしているのだろうか。

 重たい溜息を吐いたテュシアの頭上に、不意に影が差す。

 見上げた先の予想外の顔に、テュシアは目を見張った。


「ミエーネ……!」

「おまえだな?」

「え?」


 気づけば、ミエーネの鋭い眼差しに見据えられていた。


「おまえたちがなにかしているのは気づいていた。竜脈に触れたのはおまえだろう? 何故だ? 人の娘が何故、竜脈を扱える?」

「え、えっと……それは私にもわからないんだけど」


 目を眇めたミエーネがおもむろにテュシアの胸倉を掴み上げた。


「なにす……、ミエーネ、苦し……」

「そこか」


 狙いを定めたような眼つきで掴み上げていた襟を離すと、ミエーネは断りもなくワンピースの襟ぐりを引き裂いた。


「ぎゃっ、何するの⁈」


 露わになった胸元を隠そうとするテュシアの手を押さえつけ、ミエーネがいっそう眼差しを険しくした。


「その痣は……」

「こ、これは生まれつきで……ていうか、離してよ!」


 華奢な体躯なのに、ミエーネの膂力は驚くほど強い。まったく振り払えなかった。

 それでも相手が同じ女性だからというのもあって、さほど恐怖は感じない。ただ、胸元を剥き出しにしていることに羞恥が募る。


「セシオンはこの痣を見たか?」

「み、見てない! ミエーネ、離して!」


 幾度目かの懇願で、ようやく手を解かれた。その直後、よく聞き知った声が耳に届く。


「ミエーネ」

「セシオン……」


 部屋に閉じこもっていると言われていたセシオンだ。大股に歩み寄ってきて、少し離れたところで足を止めた。

 パールブルーの髪が陽射しを映して煌く。久しぶりに目にしたセシオンは、少しやつれたかもしれない。だけどそれでも、怜悧な美貌はまったく損なわれていなかった。

 胸の奥がきゅうと引き絞られる。

 それに動揺してから、自分がひどい格好をしていることに気づいたテュシアは慌てて胸元を掻き合わせた。

 しかし。


「セオ。遅いお目覚めだな、待ちかねたぞ」

「来い、ミエーネ。おまえとカマラに話がある」


 それだけを告げて、テュシアには一瞥もくれずにセシオンは踵を返した。

 ミエーネもまた、こちらを顧みることなく彼に続く。

 破れた服のままひとり取り残されて、テュシアは呆然と立ち尽くした。


 セシオンはテュシアを見なかった。一瞬たりとも。

 ミエーネに服を破かれていたのも見ていたはずなのに、声をかけてもくれなかった。

 そしてセシオンの声に振り向いたミエーネの表情も、くっきりと瞼の裏に焼きついている。蕩けるような、華やかな笑みだった。

 昔からそうだ。セシオンの傍らには、いつもミエーネがいた。


「痛っ!」


 ずきんと強く、痣が痛んだ。

 セシオンは竜珠が欠けているせいで番を見つけられなくて。

 なのに、最近調子が悪そうなのは番を亡くした時みたいなのだとアミが言っていて。

 昔テュシアに優しかったミエーネは今世では何故かとても冷たくて。

 それなのにセシオンに向けた笑顔はびっくりするほど艶めかしくて。


「え、セシオンの番はミエーネなの? でも、ミエーネは生きてるのに……?」


 テュシアに自分のものだと言い放ったセシオンは、まるで独占欲に苦しんでいるみたいにみえた。

 だけどそれ以来、ずっと避けられている。

 今だって、一言もなかった。こちらを見もしなかった。


「なんなの……?」


 セシオンがテュシアをいないものとして扱った。あんなに艶めいた笑みを浮かべたミエーネとは簡単に肩を並べるのに。そのことが、どうしてこんなに切ないのだろう。

 混乱する。

 なにもかもがわからない。


 けれどひとつ、じわりと浮かんできた疑惑があった。


 一度目の時、衰弱死したのはミエーネのくれた花のせいだった。

 二度目の時、墜落死したのはミエーネの背中から落ちたせいだった。


 てっきり事故だと思っていたのに。

 どちらもだ。どちらもテュシアの最期に関わったのはミエーネだった。


「私、ミエーネに殺された……?」


 そんなはずはないと思いたい。思いたいけれど、ざらりと嫌な感触がする。



 そうしてやはり、運命はテュシアの魂をこの地に縛り付けたいのかもしれない。

 メルーがチェロヴィクに帰ることになった。

 魔法師塔の師長様が倒れたと急ぎの書簡が届いたのだ。


「こんな時に、おまえを残していくのは気が進まないんだけどねぇ」


 そう渋い顔をしていたメルーの背中を押したのはテュシアだ。

 ミエーネに殺されたのかもしれないというのは、テュシアの勝手な憶測にすぎない。それを理由にひとりになるのは怖いからとメルーを引き留めることなどできるはずがなかった。

 師長様はテュシアにとっても大事な恩師のひとりである。ここから動けないテュシアの分まで、メルーに行って欲しかった。


「星が廻るまで、あと七日だ。それまでに戻ってくるつもりだが……どうにも嫌な胸騒ぎがするよ。いいかいシア、アタシが戻ってくるまでは大人しくしてるんだよ」


 くれぐれもと言い置いて、旅支度を整えたメルーは最後にテュシアの頬を両手でしっかりと包み込んで額を合わせた。テュシアがまだ子どもの頃に、よくそうやって言い聞かせてくれていたように。


「わかってるよ、メルー。師長様をちゃんと治してあげて」

「安心おし。あの男はそうそう簡単にくたばるタマじゃないからね。だけどシア、大事なのはおまえのことだ。いいかい、おまえの頭は小難しいことを考えるのには向いてない。だから迷ったら、心のままに動くんだ。たとえなにがあっても後悔することのないようにね」

「……はい。そうするよ、お師匠様」


 それでもまだぐずぐずと振り返りながら、アミの背に乗ってメルーは旅立った。

 こんなに早く別れることになるのなら、メルーの秘密を全部無理やりにでも聞き出しておけばよかったなと心のなかで思いながら、テュシアは無理やり浮かべた笑顔で彼女を見送った。


 大丈夫、きっと生きてまた会える。だから次に会えたら、今度こそどんなに嫌がられても絶対に秘密を暴いてやろうと内心で固く決意して。



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