第17話 報われない気持ちに意味はある?
「シア、よく見て覚えな。こっちの先が尖った葉がヘルバだ。よく似ているが、いくらか丸みを帯びているほうがピュロン。ヘルバは胃腸に効くが。ピュロンは逆に腹下しの薬になる」
「間違えたら大変だね」
「ああ。だから気をつけなくちゃいけない。ヘルバもピュロンも、高所に根付く植物だ。ヒュードルではよく採れる」
うんうんと、テュシアはメルーの言葉に一々熱心に頷いた。
最近、メルーがいつになくいろいろなことを教えてくれる。
「トレビスはブレの山でよく採れる。紫の花を探せばすぐだよ。花の形が違うから間違うこともないだろうが、こっちのアコニの根は使い方によっちゃ猛毒になる。アコニは湿った場所に咲くから気をつけておきな」
「わかった」
猛毒と聞いて慄きながらも、テュシアは手元の羊皮紙にそれぞれの特徴を書きつけた。
イラスト付きで記録を綴ってある羊皮紙の束は、テュシアがメルーの元で学んだ知識を蓄えている大事な財産だ。
あっという間にチェロヴィクにあるメルーの魔女の庵と同じ様相になった調合部屋は、今日もあらゆる薬草の匂いに満ちている。
「竜は丈夫な種だから、滅多に体調を崩すこともないだろう。だが、この国には多種の獣人も多く住んでいる。薬を必要とする奴も少なくないはずだ」
そこでつと、テュシアはペンを持った手を止めた。
「ねえメルー。一緒に連れて帰ってくれるんだよね?」
急に不安になった。
ここに滞在するのはしばらくの間だと言っていたメルーだが、いつしかテュシアの首輪が外れるまでは残ってくれるつもりなのだと言葉にせずとも察していた。
なのに、最近のメルーが教えてくれるのはヒュードルで役立つことばかり。テュシアがこの国を離れないことを前提としているように思えてならないのだ。
「当たり前だろ」
間髪を入れずに返された答えにほっとして、次いで唇を引き結んだ。
「おまえがそう望むならね」
「そんなの……」
帰りたいに決まっている。
と、何故だか即座に言えなかった。
「シア」
普段と違う調子の声に目を上げてみれば、メルーがじっとこちらを見つめていた。
「おまえが竜を嫌いなのは、いつからだい?」
「え……?」
「辺境伯領にはちょくちょく竜族がやってくるだろう。だが、五歳やそこらの孤児院の娘が竜に関わることなど滅多にないはずだ。おまえはどうして竜が嫌いになった?」
「えっと……」
「訊き方を変えようか。シア、おまえはこの国に来るのは何度目だい?」
ぎくりとする。メルーの深い瞳はすべてを見透かしているようだ。
テュシアは観念して、素直に答えた。
「三度目、だよ」
「そうか」
もっと突っ込んで追及されるかと思いきや、そこでメルーはあっさり納得した様子で頷いた。
「妙だと思ってたんだよ。おまえの魂には別のものが混ざってるからね。それなりに長く生きてはきたが、おまえみたいなのは初めて見た」
「あの……、え……? メルーは魂が見えるの?」
「おまえにも秘密があったように、アタシにも秘密くらいあるのさ」
人を食った顔でメルーが笑う。
老獪な魔女は、魂年齢五十五歳のはずのテュシアにすら手に負える相手じゃない。
早々に諦めて、テュシアはぽつぽつと自分のことを話した。
「一度目は、仕事先でパンを焼いてるときだったんだよね。急に裏口から入ってきたセシオンに――その時の竜王サマに『来い』とだけ言われて、連れて来られたの。二度目は、訳がわからなくて。前世のあれはなにかの間違いだったんだろうと思ってたら」
「また攫われたのかい」
「そう。二度目はね、買い物してる途中だった」
八百屋の店先で青菜を選んでいたらいきなり抱きかかえられて、あっという間に一度目と同じ部屋に押し込められていた。
「だから辺境伯領にいると駄目なんだと思って、それで外に出たの。でも……」
「失敗したね。調印式なんざ、アタシもすっかり忘れてたよ」
「だよね。私も」
テュシアは、今は滅多にその存在を意識することすらなくなっている首輪のある場所に触れた。
「まさか三度目は奴隷になるなんて思わなかった。一応は客人って言われてるし、なんだかんだ楽しんで暮らしちゃってるけど、でもまさかの隷属魔法をかけられるなんてね。セシオンだけが甘い匂いがするっていうのも意味がわからないし、ツイてないよ」
「ふん。それはどうだかな」
メルーの言葉に、テュシアは首を傾げた。
「偶然王城で会っちゃうなんて、ツイてないにも程があると思うけど」
「さてね。どこにいようと、あの竜はいずれおまえを見つけたんじゃないか?」
「そう、かな」
やはりそういう運命、なのだろうか。
「でも……」
今回は、何かが違う。
アミやスウスと仲良くなれた。メルーも来てくれた。セシオンとも……少しは打ち解けていた、はずだ。最近は顔を見ることすらなくなってしまったけれど、彼は決して冷血な氷竜王なんかじゃない。それを知れただけでも進歩している。
だからこそ思うのだ。
「平穏に長生きしたい。いつかメルーみたいに弟子を取ったりして、それで死ぬなら老衰で穏やかに死にたい。だから――」
帰るよ、と言おうとしたのを、戸口から聞こえてきた声に遮られる。
「できますよ」
「あ、スウス」
「朝からずっとこもりっぱなしでしたからね、お茶を淹れてきましたよ」
休憩にしましょうと言って、部屋の片隅に置かれたテーブルにスウスが茶器を広げる。
クッキーの載った小皿もあった。テュシアが焼いたものじゃない。スウスお手製だ。
テュシアがやってみせるのを熱心に観察していると思ったら、いつの間にか彼女は随分と料理の腕を上げている。
「長く生きたいならば、人の寿命を超えても生きられますよ」
「……? どうやって?」
「番えばいいんです。竜と」
穏やかに微笑みながら、スウスが言う。
「相手が同じ竜族だった場合、番の竜は、竜珠を互いに交換します。相手が他種族だった場合は自分の竜珠を相手に渡します。エルフやニンフならともかく、竜以外の種族は短命でしょう? ですけど、受け取った竜珠を身体に取り込むことで、その番も竜と同じだけの寿命を持つようになるんですよ」
カップを口に運ぶのも忘れて、テュシアはスウスを見つめた。
「番を失くした竜の多くは狂います。相手が短命の種族だったら、たった数十年で別れなくてはならない。そうならないように――そうですねぇ、神話のなかの神様でしょうか。特別に与えられたギフトなんだと思いますよ」
「でも、それは竜珠が欠けていなければ、の話だよね?」
思わず問い返したそれに、答えたのはメルーだった。
「普通の竜は、竜珠が欠けていることなどないよ。おまえの言うそれは誰の話だい?」
「あ」
ハッとした。無意識にセシオンのことを思い浮かべていたことを指摘されて。
「え、えっと、その……」
「たしかに欠けた竜珠は、竜珠としての役目を果たさない可能性もありますが……」
狼狽えるテュシアを前に、スウスの顔がうっすらと曇った。
「それでもきっと、人の寿命より僅かなりとも長く生きられるんじゃないでしょうか。テュシアさんは長生きしたいのですよね?」
「あの……でも、そういう意味で長生きしたいわけじゃなくて、ちゃんと人の寿命をまっとうしたいというか、そういう意味で」
「セシオン様のことはお嫌いですか?」
「嫌い……ではないけど」
「では、彼を愛することは?」
言葉に詰まると、メルーが盛大に溜息を吐いた。
「あんたら親子は、たかだか十八、九の人の娘になにを期待してるんだい。しかもそれも、その場凌ぎの付け焼刃でしかないだろう。ほんの数十年の人の寿命がいくらか延びたとして、その後はどうする? 先に相手に死なれた竜はどうなるんだった?」
「それは……」
「よく考えな。あんたらのしてることは、余計なおせっかいが過ぎるってね」
「そう……ですね」
珍しく落ち込んだ顔で黙り込んだスウスが、しばらくして再び口を開いた。
「メルーさんは竜がお嫌いですか?」
「いいや」
顔をしかめて、メルーが首を横に振る。
「人の娘の意思を無視して閉じ込めたり奴隷扱いするような輩は信用ならないと思ってるだけさ。種族の問題じゃない」
「それは……ええ。それについても、まあ返す言葉もありませんけどね」
ちらりとテュシアの首に目をやって、スウスが眉尻を下げる。
メルーが言うのは今世の話だけじゃないとテュシアはわかっているが、なんとなくつられて首に手をやった。
「まったく、この国の王はどうしようもないね」
憤懣やるかたないといった口ぶりで言って、メルーが続ける。
「これはアタシの持論だがね。人には人の寿命がある。生き物には、それに相応しいだけの生きる時が与えられてるんだよ。無理に歪めていいことなんかないさ」
「ねえ、メルーさん。今度のそれは、誰の話でしょうねぇ?」
「さて。一般論じゃないかね?」
互いに意味ありげな顔つきで言葉を交わしているふたりから、テュシアは目を逸らした。
想像もつかない長い寿命のことは、よくわからない。よくわからないなりに、互いに生きる時間が違う種族同士が結ばれることは悲劇だろうと思う。
だけどそれよりも、気がついてしまったことが問題だった。
竜珠という特別なものを持ち、本能で番を見つけるという竜は人のように恋をしたりはしないのだろう。
ならば、セシオンだってそうだ。
その上、彼の竜珠は欠けているという。
番すら見つけられないのだから、彼は誰のことも愛せない竜なのだ。そんな相手を愛することに、意味があるだろうか。
愛を知らない竜に恋をして、報われないことがわかっているその気持ちを大事にし続けることなんかできそうにない。
――それでも見つけてしまったら。出逢ってしまったら。もうどうにもならないんですよ。
いつかのスウスの言葉が耳朶に蘇る。
でもね、スウス。テュシアは心のなかで、さっき投げかけられた問いに答えた。
無理だよ。私には、きっと無理。
だから気がついてしまった淡いこの気持ちには蓋をして、メルーと一緒に国に帰ろう。
そうしてこの国のことは一生の思い出にしよう。
いつか誰かに、私の若い頃にね、と懐かしく笑いながら話せるように。




