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やり直し魔女と欠落の竜  作者: 中村ねり
【第一章】 三度目の魔女

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第1話 テュシア・ジェヴァルト

 水の滴る音がした。

 心のどこかで、ぴとん、と一滴。

 ひんやり冷たいその音は、何故だかとても胸に痛い。

 寂しい。哀しい。寂しい。哀しい。

 誰かが泣いている。滴り落ちた雫は、誰かの涙だ。


 ――……くなッ!


 泣きながら、叫んでいる。


 ――……を……いて……くな!


 また落ちた。冷たい涙が一滴。

 胸のうちに波紋が広がって、凍える雫が沁み込んでくる。


 ――……る。……てるから、……来い。……シア、……って来い!


 痛い。胸が痛い。

 悲痛な声に胸が痛む。

 痛い。鈍く、重く。痛むのは胸……じゃなくて……――




「ったぁ!」


 叫んだ自分の声でテュシアはハッと目を開けた。

 痛いのは胸じゃなかった。お尻だ。それも物理的に。

 ついでに心臓もバクバクと嫌な音を立てている。


「びっくりしたぁ……」


 どうやら持ち前の寝相の悪さを発揮してベッドから転がり落ちたらしい。

 上手にコロンと落ちたとみえて怪我はないものの、自分自身の体重を全面的に受け止めた尻は痛い。

 非常に痛い。


「いてててて……」


 盛大に顔を顰めつつ、したたかに打ち付けた臀部をさすり、さすり。

 しばらくして顔を上げてみれば、よろい戸の隙間から一条の明るい光が差し込んでいるのが目に入った。

 例年と比べて少々雨の少ない雨季を過ぎた今日も、どうやらよく晴れているようだ。


「あー、朝かぁ」


 朝だ。けれど陽射しの入り方からは、まだ早い時間だろうと思われる。

 ようやく痛みが落ち着いてきたところでもそもそと身を起こし、テュシアは傍らのベッドの上に再びよじ登った。

 まだ温もりの残る毛布の隙間へと潜り込んで、ほうっと深い息を吐く。


 落下の衝撃ばかりでなく、嫌な動悸がしていたのは夢見が悪かったせいもあるだろう。

 なんだか嫌な夢を見ていた。


 超絶悪夢――というほどでもないけれど、まあまあ嫌な気持ちになる夢だった。

 主に登場人物のせいで。


「もう絶対関りたくないんだよぅ」


 顔が見えたわけではないし、あんな風に悲痛な声で呼ばれた記憶もないが、間違いない。さっきの夢の声の主は〝あいつ〟だ。

 テュシアにとっては因縁の相手。

 好き嫌いを超越したところで、ただただ関わりたくないあの男。


「……痛っ!」


 冷ややかにこちらを見下ろしていた紫色の瞳が脳裏を過ると同時に、左胸に刻まれた痣がズキンと鈍く痛む。

 あいつと――あの男と関わったせいで、テュシアは二度も死ぬ羽目になったのだから、そりゃあ胸も痛くなるだろう。


 二度だ。どうしてこうなったのかはわからないけれど、テュシアはこれまで、たしかに二度、十八歳でその生を終えている。

 だから今回の人生は、実は三度目なのだ。


「今度こそ長生きしたい……」


 三度目の人生を送るテュシアにとって、唯一にして最大の願いである。


 ――のだが。

 左胸にある半月型の痣は、前世まではなかった。

 目につく場所じゃないから普段は忘れているのだけれど、たまにこうして痛むことがあると、思うのだ。


 なんというか、まるで焼き印のようだな、と。

 この痣のせいで今世もまた望まざる運命に導かれてしまうような、そんな気にさせられてしまう。


 そう。今世も、また。

 十八歳で二度死んだ、今までの前世と同じように。


「あー、やだやだ」


 しょぼつく目を半分閉じて、テュシアは最高級寝具の手触りに神経を集中させた。

 一晩経ってもまだほんのり日向の匂いがするふかふかの毛布に、すべすべのシーツ。

 テュシアが家で使っている寝具とは素材の質からして雲泥の差だ。

 それもそのはず、客間とはいえ、ここは王城。一般庶民が使う日用品とは仕入れ先からして違っているのだろう。


 特に、この部屋は通称〝魔女の塔〟と呼ばれる王城内魔法師寮の一室だ。

 魔法師として働けるのは一握りの人間だけなので、城勤めの者の中では優遇されている。そのため寮も、下働きの使用人たちのものより若干グレードが高いのだとか。

 まあさすがに貴族が貴賓室とは比べるべくもないらしいが。


「そろそろ起きないとかなぁ」


 昨夜は遅くについたこともあって、体力自慢のテュシアも少しばかり瞼が重たい。

 適度な弾力で全身を包んでくれるマットレスの誘惑にうとうとと負けそうになりながら、なんとはなしに思い出すのは、やはり先ほどまでの夢の名残りのせいか。


 鼻の奥に香る、あの乾いた風の匂い。


 いい思い出は全然なかったけど、あの空気の匂いだけは嫌いじゃなかった。

 それからピューイ、ピューイと啼く、谷を渡る風の音。

 どことなく物哀しくて、懐かしくて、不思議と耳に残る音色だった。

 岩と、風と、ほんの少しの緑と。

 どこもかしこも身体の造りが違うせいで、人間の国では平均的な体格のテュシアがたった一段の石段すら自力で上り下りするのに苦労する厄介な場所だった。


 一度目のときも、二度目のときも。

 訳のわからぬままテュシアが最期を迎えた、あの場所――竜の国。


「あれ……?」


 ふと、テュシアは首を傾げた。

 パチンと眠気が弾ける。


 二度の前世はどちらも享年十八歳だった。

 エルフやニンフ、一部の獣人族と比べたら平均七十年足らずと長くない人間の寿命の中でも、たったの十八年は短すぎる人生だったと思う。

 それが一度きりのことならば、だが。

 どんな因果かテュシアは今、三度目の人生を生きている。


 つまり、肉体は生まれ変わって新しくなっているが、魂はずっとテュシアのままということだ。

 そうなると……。


「私、今、何歳になるんだろう?」


 十八年×二回に加えて、今世のテュシアはもうじき魔の十八歳を乗り越えて十九歳になろうとしているところだ。それがそのまま年齢だと考えると。

 五十五歳?


「え、それってもうオバちゃ……いやいや!」


 なんだかものすごく理不尽な気がする。

 いろんな経験ができるはずだった二十代も三十代も四十代もとっくに過ぎていて、いつの間にか五十代ももう半ば?

 それってどうなのだ。

 たしかに、もともと楽天的な性格な上に人生三度目ということもあって気持ち的には更に図太く逞しくなってはいるが。


「うわぁ、なんかショック」


 しばしふかふかの毛布を抱きしめてゴロゴロ悶えていたが、やがてテュシアは再びハッと目を開いた。


「あ! いけない、うだうだしてる場合じゃなかった! 仕事!」


 そういえば、ここは王城だった。休暇を楽しみに来ているわけではなく、目的は純粋に仕事のため。

 ガバッと毛布を撥ね退けると、テュシアは寝台から飛び降りた。

 バタバタと部屋のなかを走り回り、洗面を済ませ、持参してきた鞄を漁って仕事用のワンピースに袖を通してから最後にフード付きのローブを羽織る。


「ひゃあ! 遅れちゃう!」


 うっかりしていたけれど、今日は朝のうちに魔法師塔の管理する薬草園の様子をみると約束していたのだった。


 テュシア・ジェヴァルト、もうすぐ十九歳。職業は魔女。

 しばしば隣国から竜族の飛来する辺境伯領の孤児院出身。

 同じ人生を生きるのは、今回で三度目。

 図太さに拍車はかかるものの、うっかりは少しも治らず。


「そろそろしっかりした大人になりたいーっ!」


 叫びながら、テュシアは慌ただしく部屋を飛び出した。



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