第15話 欠落の王
「……い。おい!」
トンと肩を突かれて、テュシアはハッと我に返った。
「どうした魔女娘」
「あ……アミ」
腰を屈めて紅の瞳がこちらを覗き込んでいた。傍らには籠を抱えたメルーの姿もある。
夜明けの森に行きたいのだと言って日が昇る前に出かけて行ったはずのふたりだったが、もう戻ってきたらしい。
「ぼんやりして、なに見てたんだ? ――ああ」
テュシアの視線の方角を辿って首を回らせたアミが、すぐに納得した表情をみせる。
「今日はチビどもがきてたのか」
広い中庭の遠く、ちょうど王の塔の前辺りだ。そこには子竜にじゃれつかれているセシオンの姿があった。
ころころと小さな竜はまだ人型にはなれないのか、竜体のままだ。ちょうど外に出ていて通りがかったところ、視界の隅を走る小さな影を見つけた。それが勢いよく、これもまたたまたま通りかかったらしいセシオンの脚に飛びついていくのを見て、咄嗟にぎょっとして足を止めてしまったのだが。
「可愛いね、小さい竜」
「あれはまだほんの生まれたばかりだな。顔見せに連れて来られたんだろ」
生まれた子どもは王サマのところへ挨拶に連れて来られる。
それが竜の習慣なのだという。
「セシオンって意外と子ども好き?」
「さあ、普通じゃねぇの?」
適当な答えを返してくるアミを、メルーが補足する。
「竜というのは寿命が長い分、子が生まれにくい。そのせいか、種族として生まれた命を尊ぶ傾向にあるな」
視線の先では、じゃれつく子竜をセシオンが無造作に高く放っている。
一見すると乱暴な扱いにみえるが、ギャウギャウと喜ぶ声が聞こえてくるから、一応は遊んでやっているのだろう。翼のある竜にとっては高い場所も、空の上も、きっと怖いところではないのだろうし。
子竜と遊ぶセシオンの傍らには、ぴったりと張りついたミエーネの姿がある。
「昨日もか?」
「うん、来なかったよ」
脈絡なく投げかけられた質問に、テュシアは即答した。
凍える眼差しでテュシアに「おまえは俺の奴隷だ」と叫んだあの夜以来、セシオンは一切テュシアに近づいてこなくなった。たまに城郭内で姿を見かけることもあるが、こちらに気づいた途端にふいと顔を背けられる。
正直、意味がわからない。
「言いたいことがあるなら、言ってくれればいいのに」
つい愚痴をこぼすと、アミが複雑な表情をみせる。
「まあなぁ、難しいんだよ、いろいろと」
「欠落の王、だったか」
子竜と遊ぶセシオンを眺めていたメルーが、それに重ねる。
「気の毒なことよ」
「欠落?」
首を傾げると、アミが声を低めた。
「それは言うな」
「なんで?」
「竜は耳がいいんだ。あいつには聞かせたくねぇ」
手振りで促され、テュシアはアミに続いて居館へと踵を返した。
中庭から建物に入ったところで改めてアミが口を開く。自然と、皆の足は食堂に向かった。
「あいつにはさ、生まれつき欠けてる部分があるんだよ。そのせいで欠落の王なんて呼び名がついちまった。なあ魔女娘、あんたはきっと知らないんだろ。竜の王は生まれつき決まってるってさ」
「そうなの? というか、それって普通じゃないの?」
チェロヴィクだって王族は王族だ。子どもたちが大勢いたら誰が立太子するかで揉めたりすることもあるらしいが、それでも大体が順番通りだというから生まれつき王になることが決まっているようなものだ。
「人は血脈で王を選ぶだろ。竜はそうじゃねぇんだよ。血筋なんかは関係ねぇ。力の強さで王が決まる。次の王が生まれた瞬間に、前の王は退くんだ。正確に言えば、新しく生まれた王の子が相応の年になったときに、だがな」
「力の強さなんて生まれた瞬間にわかるものなの?」
「ああ。わかる。新しい王が生まれた瞬間に、世代交代することを竜族全体が知るんだ」
あまりピンとこないテュシアに気づいたのか、メルーが付け加えた。
「人で言うところの第六感みたいなものが竜族は優れているのさ。大陸の覇者である竜族は、その実、個体数が最も少ない。種族全体で根っこが繋がってるみたいなものなのさ。そうだな……おまえにわかりやすく言うなら、芝草みたいなものだと思えばいい」
「ああ!」
なんとなく、理解できた。
「おい! 俺らは草じゃねぇ」
「まあまあ、喩えだから」
食堂に入り、メルーの採ってきたポムの実を絞って果実水を作る。カップに注いで手渡せば、アミはむくれつつも一息にそれを呷った。よほど喉が渇いていたとみえる。
「まあ、そんなわけでセオは生まれた瞬間から王になることが決まってたんだが、生まれつきの欠陥があった。そのせいで、王になるのは相応しくないのではと言い出す奴もいたんだ。結局、前の王が自分よりも強い者に玉座を譲ると言い張って後押ししたお陰であいつは王になったんだけどな。文句を言う奴は、いつまでも言うからさ」
しかも、と言いかけてアミは言い淀んだ。
「や、これはいいか。あんたらに聞かせる話じゃねぇしな」
「なに?」
「いい。忘れろ」
唇を引き結んだアミからメルーへと目を移すが、無言で肩を竦められる。その顔つきからなにか知っていそうだけれど、この場で教えてくれるつもりはないらしい。
「セシオンが王になったのはいつだったの?」
「二百年前だ」
「そんな前なんだ」
テュシアの人生は、三度合わせても五十五年だ。やはり種族の壁というのは大きい。
竜族は、一定の年齢を越えたら外見はさほど年を取らなくなるらしいと聞いた。急速に老いていくのは、寿命が近づいた頃なのだとか。
そう思えば、セシオンは二百年前からあのままなのだろう。そしてこの先も、テュシアが老婆になったときも、死んでしまった後も、あのままなのだ。
ツキンと、また少し痣が痛んだ気がした。
「セオはさ、欠陥がある分それ以外は完璧であろうと誰よりも努力してきた。感情を表に出さないように、仮面をかぶっちまったのもそのせいなんだ。不器用な奴なんだよ」
「冷血な氷竜王」
「なんて呼ばれちゃいるがな。あいつは、そんなんじゃねぇ」
だよね、とテュシアは同意した。
「別に無表情でもないしね」
「えっ⁈」
「えっ?」
驚いた声を上げたアミに、テュシアも驚いてしまう。
「そうか。あんたの前じゃ、あいつはそうなのか」
声を弾ませたアミがあまりに嬉しそうで、テュシアは曖昧に小首を傾げた。
「まあでも、最近は避けられてるからよくわからないけど」
「あー……」
途端にアミは表情を曇らせる。
「ねえ、セシオンの欠けてる部分ってどこなの? そんなに大事なところなの?」
パッとみた感じ、どこかに欠損があるわけではなさそうに思える。少なくとも、人型をしているときの見た目では。
そう思って何気なく訊ねたのだが。
「大事なところだな。竜にとって、一番大事なところだ」
「どこ?」
「竜珠だよ。あいつの竜珠は生まれつき欠けてるんだ」
「えっと、竜珠っていうのは……」
この前、スウスに教えてもらった。竜珠というのは番を見つけるための――
「そうだ。欠けた竜珠が鳴ることはない。だからセオは、番を見つけられない」
「そう、なんだ……」
答えた声は普通に出せていたと思うけれど、急に息が詰まった気がした。
なんだろう。胸が痛い。
痣じゃなくて、痛むのは胸の奥のほうだ。
「竜珠が欠けてるからといって、番が存在しないとは限らない。けど、あいつは竜珠が鳴らない以上は番が存在しないのと同じだと言い張ってる。見つけられないんじゃ、意味がないと言ってな」
おもむろに、アミが真剣な面持ちになった。
「セオの番が竜なら、相手に見つけてもらえばそれでいい。けど、そうじゃなかった場合は、たとえば相手が人だった場合は、互いに番だとわからないままになっちまう。でもな、俺はたとえ竜珠が鳴らなくても、番を見つけたら心が動くんじゃないかと思ってんだ」
「心が……」
「人なんかはそうなんだろ? 心で感じて相手を選ぶんだろ? それと同じことが起こるんじゃないかと思ってるんだよ。セオは、いままで誰にも執着したことがなかった。だけど、あいつがあんたを見る眼はさ。俺は、セオがあんたに」
「そこまでだ、紅竜」
鋭い声で、メルーがアミを遮った。
「勝手な憶測で、勝手な望みを押しつけるんじゃないよ」
「けど、匂いのこともある。俺にもスウスにも、カマラにだって匂わない。セオだけが」
「余計なお世話だよ。あんたの王がそれを望むかい?」
「けど……」
悔し気にアミが口を噤む。
「シアは、竜を嫌って辺境伯領から逃げ出してきた娘だ。これ以上この娘に竜の勝手を押しつけてくれるな。間違えるなよ、動かすなら相手が違う」
ぴしゃりと跳ね付けられて、今度こそアミは黙り込んだ。
果実水を一口啜る。
なにやら言い合っているアミとメルーの声を、テュシアはほとんど聞いていなかった。
セシオンの竜珠が欠けている。だから彼は番を見つけられない。
その事実がどうしてか、胸につかえてならなかった。




