第13話 危険な花ドラクシア
メルーがやってきて、あっという間に半月足らず。慌ただしくも、いろんなことが上手い具合にカチリと填まったみたいに穏やかに過ぎていた日々が急激に綻び始めたその日も、よく晴れていた。
ヒュードルのなかでも高地にあるファトスには、あまり雨が降らないのだという。それでも草木が枯れないのは、この地の下に走る竜脈のせいだろう。
その日、例によってアミを顎で使っているメルーが採取をしたいと彼の背に乗って出かけて行ったのは昼を過ぎた頃で、たっぷり半日以上をかけて日暮れと共に籠一杯の葉や果実を持ち帰ってきた。
お帰りと調合部屋に戻ってきたメルーとアミに声をかけ、
「あ、その花!」
メルーが手にした花を見て、懐かしさに思わず歓声を上げかけたテュシアはしかし、彼女の一言に「え」と息を呑んだ。
「触るんじゃないよ、シア。これは毒花だ」
「メルー、その花知ってるの?」
「これはディリーリオさ。別名、ドラクシア――〝竜の涎〟とも言う。珍しいね……といっても、この国では当たり前に咲いてる花だがね」
「それなのに毒花なの……?」
メルーが手にしているその花は、まだ蕾だ。夜にならないと咲かないから。
だけど咲いた花はとても綺麗なのだ。セシオンの鱗に似た露草色の花弁は半ば透き通っていて、月の光を浴びるとキラキラ光る。
昔――一度目の昔だ。外に出ることのできなかったテュシアの部屋にミエーネが飾ってくれていた花。
――夜にしか咲かない花だ。綺麗だろう? この儚さがおまえのようだと思ってな。
満開の花を窓辺の花瓶に活けながら、そんな風に言っていたミエーネの声を急に思い出した。
「毒と言っても、人に対してだけだ。竜にはなんともない、ただの花さ。特にいけないのは花弁が開いているとき、つまりは夜だ」
「キラキラして綺麗なのに」
「その光が曲者なんだ。光ってるのは、人には毒になる胞子なんだよ。多少なら問題ないが、吸い込み続けるとほんの数日で衰弱する」
ぎくりとした。
衰弱する。その状況に心当たりがありすぎた。
「もしかして……」
「腹を壊し、起きていても寝ていても怠くなる。起き上がることもできないほど弱ったところで無理に何かを口にすると、途端に内臓がやられて、そして」
「死ぬ……」
まさに、その通りの経過を辿った記憶がある。
ミエーネがよかれと思って持ってきてくれていた花が、テュシアを殺したのか。
てっきり慣れない場所に来たせいで風邪でも引いたのだと思っていた。
弱っていたせいでお茶かお菓子のどちらかに当たってしまい、運悪く死んだのだと。
きっと運は悪かったのだ。でも、最終的にテュシアに死を運んできたのはこの花――ディリーリオだった。
今になってわかるなんて。
「そういうわけだから、シアは触るんじゃないよ」
「わかった。……けど、メルーは平気なの?」
「当たり前だろ。アタシはこの花の扱いをちゃんと知ってるからね。胞子にさえ気をつければ、こいつの抽出液はいい神経薬になるんだよ」
テュシアに教えるのはまだ早い、くれぐれも触るんじゃないよと念を押されて、テュシアはこくこくと頷いた。
綺麗な花だと思っていた。懐かしいなとも思った。けれどそれが毒だと知ってしまったら、もう近寄りたくはない。あちこちに植わっているのに。
「気をつけよ……」
外でも迂闊に近づかないようにしなければ。
恐々とディリーリオの花を避けながら、採取してきた薬草の整理を手伝う。
しばらく黙々と作業をしていると、最初にアミが音を上げた。
「おい魔女娘、残りは明日にしようぜ。飯はできてんのか? 腹減っちまった」
きっちり荷物運びまで手伝わされた挙句にその後の整理までこき使われているのだから、彼は本当にひとがいい。というよりも、メルーに弱いだけか。
そのメルーはといえば、アミの言葉を聞いて嗤うように鼻を鳴らした。
「なに言ってんだよ。いつだってたらふく食ってるのと変わらない便利な身体してるくせに、腹なんか減るもんか」
「気持ちの問題なんだよ、気持ちの」
アミの言葉に、スウスが力強く同意する。
「人の食事は美味しいですからね。あたしはテュシアさんの作ったものを食べてみて、初めて『美味しい』というのがどういうものなのかを知りましたよ」
そうだろうなと内心で深く頷いてしまったテュシアは、きっと悪くない。
あの岩塩転生間違いなしのスープの味は、今もたまに舌に蘇るくらいなのだから。
「で、今夜はなんだ?」
「レンズ豆のスープと、キッシュ。それに、ラゴスが届いたからグリエにしたよ。デセールはプラムのタルトね」
「おお、ご馳走だ!」
「ふん。悪くないね」
アミが素直に歓声を上げ、メルーが皮肉交じりに呟く。
こっちは相変わらず素直じゃない。たまたまだけれど、今夜のメニューは全部メルーの好物なのに。
「よし、さっさと支度するぞ魔女娘」
「はいはい。お願いしまーす」
ほとんど使われていないらしく初めは殺風景だった食堂も、いつの間にか温かみのある空間に変わっている。すっかりメルーにこき使われることに慣れてしまったのか、食事の支度すらも率先して手伝ってくれるアミの手を借りて食卓を整えた。
今夜は宰相様は不在だそうなので、いつもの四人だ。
「あんたの旦那はどこ行ってんだい?」
ラゴスのグリエに舌鼓を打ちながら、ふと思い出したようにメルーが訊ねた。
「え? スウスの旦那さん? メルー知ってるの?」
きょとんとするテュシアに、他の三人が一斉に目を丸くした。
「はあ? あんただって知ってんだろ。なに言ってんだ?」
「呆れたね、バカ娘。おまえの目は節穴かい」
「え? え? え?」
口々に言うアミとメルーに対して、スウスだけは苦笑いしている。
「そういえばテュシアさんには言ってなかったかもしれないですねぇ」
「聞いてないよ。え、誰⁈」
「カマラですよ。カマラ・ドルーク。あたしの名前はスウス・ドルークです」
「ぎょえぇぇぇ⁈」
宰相様がスウスの夫だった。思いもよらない事実に絶叫してしまう。
「ということは、スウスはアミのお母さんだったの⁈」
「そういうことだな」
「ですね」
驚いたなんていうものじゃない。
カマラとアミはよく似ていると思ったことがある。だけどスウスとアミが親子だとは、そう知らされてもまだピンとこない。
「でもアミ、スウスのこと『お母さん』って呼ばないよね」
「誰が呼ぶかよ」
さも嫌そうに顔をしかめたアミに、スウスが含み笑いをする。
「竜が親をそう呼ぶのは、うんと小さな頃だけなんですよ。そういう習性とでも言いましょうか」
それは知らなかった。が、しかしそれにしても。
「スウスがアミのお母さん……」
「この子はカマラの血が強く出ましたんでね。まあ、それでも正真正銘親子ですよ」
「うわぁ……」
あまりの衝撃に呆然としていると、不意にスウスが母親の顔をみせた。
「あたしは運よくカマラという番を見つけられた。だからね、思うんですよ。放っておくと貧乏くじ引くようなタイプのこの子にも、そろそろ運が巡ってきて欲しいものだってね」
なにやら意味ありげな眼差しで、アミを、そしてメルーを見やる。
ラゴスを切っていた手をぴたっと止めて、アミが真っすぐにスウスを見つめた。
「俺はセオがどうにかなるまでは動かない。たとえ番が見つかったとしてもな」
「セシオン様は、生涯王であろうとご自身で決められた方だ。あの方がそれを望んでいるとは、あたしは思わないよ」
「それでもだ」
きっぱりと言い切ったアミに、スウスが寂し気に目を伏せた。
「スウス……?」
「竜というのは厄介な種でね。生涯でたったひとりだけなんですよ。魂に刻まれた番と巡り合えるかどうか。そのたったひとりを見つけられないことに絶望して死んでしまう者もいる。番と出逢えることはそのくらいの、まあ……奇跡、なんでしょうね」
獣人族の多くが唯一の番とだけ添い遂げることは知っていたが、その相手を見つけられることが奇跡と言われるほど難しいとは知らなかった。
「ねえスウス。誰が番なのかは、どうやってわかるの?」
「竜珠が鳴るんですよ。竜珠っていうのは、ちょうど心臓の上辺りにある鱗なんですけどね、それが鳴るんです」
「鳴る?」
「音がするわけじゃないんですけどね、自分のなかだけで鳴るのが聴こえるんです」
「へえ。不思議」
ただただ感心していると、アミから少しばかり呆れた目を向けられる。
「あんた、竜のこと知らなすぎだろ」
「そんなの当たり前でしょう。私は竜じゃないし、竜に興味もなかったし。関係ないもの」
「関係ない、ねぇ」
妙に含みのある口調に、テュシアは首を傾げた。
「ないよ? 変な首輪なんかつけられなかったら、いまだってここにいなかったはずだし」
「あー。そりゃまあ、そうなんだがな」
苦い顔つきで、アミがメルーを見やる。それに対して彼女は、ミードを喉に流し込みながら無言で肩を竦めた。
「……?」
ふたりのやり取りの意味がわからない。
「なあ魔女娘。あんたさ、首輪が外れたら国に帰るのか?」
「もちろん。帰るに決まってる」
「セオのことはいいのかよ?」
「セシオンが何? いいって?」
「離れても平気なのか?」
「なんで? 首輪がなければ別に離れても死なないでしょう?」
いや本当に、意味がわからない。
当惑するテュシアをじっと見つめながら、アミもまた困惑の面持ちを浮かべている。
「おい、ばあさん」
「連れて帰るよ」
助けを求めるように声をかけたアミに、間髪を入れずにメルーが答えた。
「こんなでも、シアはアタシの弟子だからね。この子が帰りたいと言うなら当然連れて帰るさ。二度と竜の国なんぞに攫われないように、今度は防御の魔法でもかけておくかね」
「ふざけんなよ、わかってんだろ? 番ってのは特別なんだ。生涯でひとりきりだって、今スウスもそう言っただろ。一度番を失くしたら、その後はずっと孤独なんだぞ」
先に番に死なれてしまった竜のほとんどが、番と定めた相手から拒絶された竜のほとんどが、絶望して自ら命を絶つのだと、番というのはそのくらい竜にとって特別な存在なのだとアミが主張する。
国に帰る話をしていたのに、それがどうして竜の番の話になったのか。
首を傾げるテュシアを尻目に、食い下がるアミに対してメルーが冷たく鼻を鳴らした。
「まず番を見つけることが前提だが、だろう?」
「そ……れはそう、なんだが……」
「大体、番、番と煩いのはあんたらだけだ。それはあんたらの理屈だ。人は、自分の心と頭で相手を選ぶもんなんだよ。恋だけなら何度だってできる。そういう生き物なのさ。竜の基準で考えんじゃないよ」
冷静で、だからこそ素っ気なくも聞こえるメルーの言葉に、アミが歯噛みする。
「あんたらにはわかんねぇんだろうな。番を見つけられることがどれほどの歓びなのか。それを失くすことがどれほどの痛みなのか」
「ああ、わからないね。当然だろう? 種族が違うってのはそういうことだ」
きっぱりとメルーが言い放つと、アミの顔がくしゃりと歪んだ。
「種族の違いってのは、そんなに大事かよ……?」
「違いは違いだ。それ以上でも、それ以下でもないだろうよ」
答えるメルーの声音に迷いはなく、反対にアミの瞳は頼りなく揺れた。
冷めかけたキッシュはバターの味がべったりと舌に残る。
どうにも不穏な空気になってしまった食卓で、やがてスウスがぽつんと言った。
「それでも見つけてしまったら。出逢ってしまったら。もうどうにもならないんですよ。だから見つけた番が別の種族だったとき、親は子の幸せを祈るしかできないんです」




