第12話 師匠襲来
「おーい、魔女娘。あんたに客だぞ」
次の日、またしても厨房を借りて昼食用に作ったポタージュをスウスに絶賛されているところに、アミがやってきた。
「私に?」
「チェロヴィクからな。俺が連れてきたんだが、感謝の印ならそのスープでいいぞ」
「それ、飲みたいってことだね?」
ついさっきも、この国の宰相様だという色っぽい男がやってきて味見をしていったところだったのだが。いったいどこから嗅ぎつけてくるのか、竜というのは呆れるくらい鼻がいい。そして人の作る食事が好きだ。
そういえば、さっきの宰相様はアミの父親らしい。言われてみれば、ダダ洩れの色気がよく似ている。
「どうぞ、たくさん作ったから好きなだけ飲んで」
「おう、遠慮なく。――客は中庭だ。いまセオと話してる」
「あー……」
セシオンがいるのか。
来客応対中に眠気を誘って良いものか。迷うと、急にアミがぷぷっと吹き出した。
「あんた、鼻に綿つめろって言ったんだってな」
「王の沽券にかかわるって断られたけどね」
「そりゃそうだ。あのセオに、そんなことが言える女はあんたくらいだろ」
そんなに変なことを言っただろうか。いい案だと思ったのに。
「アミはセシオンと仲がいいんだね」
「幼馴染だからな」
へえ、と思う。
あのセシオンに子どもの頃があったなんて、あんまり想像できない。
「意外と可愛いヤツだったぞ。焼き菓子と交換でどうだ?」
秘密のエピソードとの交換を持ちかけられては仕方がない。
「よし、乗った!」
にやりと共犯の笑みを浮かべ、がっちり握手を交わす。
「それはともかく、行ってみろよ。きっと喜ぶぞ」
「私が? ふーん、お客さんって誰だろ。行ってくるね」
焼き途中のパンをスウスに託し、テュシアは中庭へと向かった。
それにしても、わざわざこんなところにまでテュシアを訪ねてくる客とは、いったい誰なのだろう。殺風景な中庭に向かい、こちらに背を向けたセシオンの姿を見つけると同時に聞き覚えのある怒声が耳に飛び込んできた。
「このバカ娘が!」
まさか、と思う。
思った次の瞬間に、テュシアは走り出していた。
「メルー!」
両手を広げて抱き着くと、頭に拳骨が落ちる。
「痛ぁっ!」
「まったく、このバカ娘が! 城に行ったと思ったら、なにを勝手にヒュードルになんか来てるんだい⁈」
感動の再会にならないところも、メルーだ。
手荒い歓迎だけれど、怒鳴りながらもその顔は笑っているから嬉しくなる。
「あはは! ごめんなさい、メルー。もう二度と会えないかと思ったよ」
「冗談じゃないよ。この老体を竜に乗せるだなんてさ、無茶させてくれるじゃないか」
薬草の匂いの染みついたローブに、後ろで緩く結んだ真っ白な髪。若い頃はかなりの美人だったらしいメルーはきりりとした顔立ちをしていて、いまでも十分に綺麗だ。
ついでに、老体なんて自分で言うわりに老人扱いすると怒る。
「ふん。まだ首はくっついているみたいだね」
「取れたら死んでるし」
「そうしたらアタシが来る必要もなかったのにさ」
「ひどっ!」
じろじろとテュシアの首に目をやるメルーには、セシオンの瞳と同じ色をした首輪がしっかり見えているのだろう。自分では見えないからつい忘れてしまうくらい、いまではこの感触にも慣れてしまったのだが。
「さすがにソレはアタシでも外せないねぇ」
「わかってる、平気だよ。もう慣れたし」
そう答えれば、メルーはつくづく呆れたという顔つきで嘆息した。
「シアがいないお陰で忙しくて食事をする暇もないんだ。困ったもんだよ」
「ちょうどいま、ポタージュを作ってたところなんだよ。食べる?」
「それは重畳。こっちはパイを焼いてきたんだ。おまえの好きなバールがたまたま手に入ったんでね」
手にした籠を掲げるメルーは、セシオンのことを完全に無視している。
「うふふ。メルーってば、優しいよね。一緒に食べよう!」
「ああ。厨房はどっちだい?」
「こっち。メルーを乗せてくれたアミもいるから」
歩き出しかけて、所在なさげにしていたセシオンがもの言いたげな目を向けてくるのに足を止めた。
「セシオンは……やめておく?」
「……ああ」
なんとなく落ち込んだ声だ。
「後でね」
「……?」
「夜、マフィンを焼いてあげる」
「……! ああ」
小さく頷いたセシオンは一見すると無表情のままだ。けれど、パッと目が輝いた。
あれほど表情が窺えないと思っていた縦長の瞳は、思いのほかわかりやすい変化をみせる。その発見が、妙にくすぐったい。
「ふん」
ちらりと横目でセシオンを見やったメルーが、すぐに踵を返して歩き出しながら鼻を鳴らした。
「心配することなかったね」
「あ、やっぱり心配してくれたんだ? 嬉しいなぁ」
「バカ言うんじゃないよ。誰がマヌケな娘の心配なんかするもんか。どうせ自分からつるっと名乗ったんだろ」
「えっと、つい……?」
「大マヌケだね」
隷属の魔法は、相手の本名がわからなければ使えない。そのことは当然メルーも知っているから、容赦がないのだ。
「顔色は悪くないみたいだが、ちょいと痩せたか」
「あー、それがね。食事がマズくって」
竜族特有の事情により出された食事が喉を通らなかったのだと言えば、メルーはやれやれと首を振った。
「でも大丈夫、もう自分で作らせてもらえることになったから」
「それでポタージュかい」
「そう。だからメルーはいいタイミングで来たよ」
呑気なもんだね、と溜息を吐かれる。
「メルーは」
なにをしに来たのかなんて、訊かなくてもわかる。
だから代わりに別のことを訊ねた。
「いつまでいられるの?」
「アタシも暇じゃないんだけどね。せっかく滅多に来られない国に来たんだ。しばらくはこっちで採取でもさせてもらうつもりさ」
「そっか。よかった」
テュシアの首輪が外れるまでずっととはいかないだろうけれど、しばらくの間でも滞在してもらえるのならば心強い。
「しかし一国の城だっていうのに辺鄙な場所にあるもんだ」
「竜の国だからね。空が近いんだよ」
「アタシは地面に近い場所のほうがいいね。落っこちそうで落ち着かないよ」
竜の乗り心地は案外悪くなかったけど、とメルーは言う。
「ねえメルー。別にひどい目に遭ったわけじゃないんだけど、やっぱり少し心細かったんだよね」
ありがとう、とは口に出して言わないけれど。
わかっているさと言わんばかりに、メルーはもう一度「ふん」と鼻を鳴らした。
***
メルーがやってきたその日から、テュシアのお気楽な毎日は一気にチェロヴィクの日常と同じ慌ただしさに変わった。
「このバカ娘が! バーベインは一摘みだって言っただろ」
「え、一束って言わなかった?」
「何樽分作るつもりなんだよ!」
「うぅー」
暇じゃないというのは本当のことで、メルーの薬は効くと評判だから予約が詰まっている。初めからこちらでも休まず調合をするつもりでいたらしく、あっという間に城の片隅に専用の調合部屋を確保していた。
どうやら道具類の調達を主に手伝わされたのはアミらしいのだが、いつの間にそんなことをしていたのか。メルーの人使いの荒さは、どんな場所でも変わらないらしい。
「ああ紅竜、あんたの仕事は運び屋だ」
「アミだって言ってんだろ。そろそろ名前覚えろよ、ばあさん。……ていうか、仕事って言ったか? 仕事って?」
なんだかあっという間に意気投合していたスウスにアミを呼び出させたメルーが、さも当然といった口ぶりで申し渡している。
「こっちの緑の小瓶がノミ草の種水だ。ムルヘル村のギネカにいつものだと言って渡せ。この湿布はロームのアメル。腰を痛めると動けなくなるから無理すんじゃないよと言っておけ。で、こっちの煎じ薬はアヴィアのヤヤのだ。こっちの赤いのと包みが似てる。間違えやすいから気をつけろ」
「おい! 待て待て待て待て! これ全部俺が配達すんのか? 全部? 一軒ずつ⁈」
「当たり前だろ。あんたはアタシに空が飛べると思うのかい?」
「いやいや思わねーよ。思わねーけど……くそっ、マジかよ⁈ なんだこのババァは!」
頭を抱え、散々悪態を吐きながらも結局アミは指示された通りに毎日メルーの薬の配達を請け負ってくれた。
つくづくひとのいい男だ。そう思うと同時に、なんとなく気の毒にもなる。
そういうタイプは、得てしてあれだ。
「いいひとすぎて貧乏くじを引くの。いるよね、そういうひとって」
ぽろっとそう感想を漏らせば、スウスが腹を抱えて爆笑していた。
「よくおわかりですこと。あたしも同感ですよ」
と言って。
そうして日中は慌ただしくメルーの調合を手伝い、食事を作り、アミやスウスやメルーと、時には宰相様なんかも交えて一緒に賑やかに食卓を囲み、夜になるとセシオンがひっそりと部屋にやってくる。
「今日はフィグのパイを焼いたけど、食べる?」
「皆にも振る舞ったのか?」
深夜近くになってやってくるセシオンに、その日に焼いた菓子を出すのがいつの間にか暗黙の了解になっていた。
そして毎晩のことなのに、彼は必ず同じことを訊く。
「皆で食べたのは、ヴェリココのクッキー。これはセシオン用に焼いたの」
「そうか」
短い一言だけれど、紫水晶の瞳には喜色が浮かぶ。
それを見る度にいつも少しだけ、可愛いなと思う。
「ヴェリココのクッキーもいいな」
「じゃあ今度セシオン用にも焼こうか」
「ああ。楽しみにしている」
「自分にだけ」という特別感を殊更に喜ぶことがわかってからはそうするようにしているのだけれど、本当は皆に混ざって食事をしたいはずなのに。
どうもメルーに対する遠慮があるらしく、誘っても曖昧な返事ばかりで顔を出さないのだ。
「旨い」
「そう? よかった」
決して大仰に褒めたりはしない。だけどセシオンはゆっくり時間をかけて、噛みしめるようにテュシアの作った菓子を食べ、薬草茶を飲む。
それからテュシアがテーブルを片付けている間にさっと湯あみを済ませ、夜着に着替えてから歩み寄ってくる。
途中で魔法を使い、濡れ髪が一瞬にして乾く瞬間のふわっとした光がとても綺麗だなと毎晩思う。
「テュシア」
両手を広げ、甘えた声で呼ばれたら「おいで」の合図だ。抵抗せずに身を任せるテュシアをセシオンは軽々と抱き上げてベッドに運び、そっとシーツに潜り込む。
横になったら、もう会話をする暇もない。すぐさまセシオンは腕のなかにテュシアをしっかりと閉じ込めて、朝までぐっすり眠るのだ。
抱き枕、絶賛大活躍中である。
そんな風にして、ちょっと窮屈な彼の腕のなかから始まる朝にもすっかり慣れた。
身体がバキバキになるのも、これももう仕方がない。
それに新しい発見もあった。どうやらセシオンは朝があまり得意ではないらしいのだ。寝起きの彼はいつも少しぼんやりしている。
それがたまらなく色っぽくて、おはようと目を醒ましたその瞬間から垂れ流される色気に初めは慄いていたが、なんだかんだとこれも慣れつつある。
またしても十八歳で死ぬのかと諦めかけていた最初の頃からしたら、嘘みたいに充実した日々だ。
今は、メルーがいてくれるからという心の余裕もあるのかもしれないけれど、あれほど関わりたくないと思っていたはずのセシオンとも案外うまくやれている気がするし。
ただひとつ気がかりがあるとしたら、ミエーネとは一向に話すらもできていないこと。
たまに城郭内で見かけることはあっても、いつもセシオンの傍らにぴたりと張りついているわりに目も合わせてくれないので、声をかけられないでいる。アミやスウスと親しくなればなるほど、ミエーネと打ち解けられないことが残念だった。
とはいえ、いずれ遠からず国に帰れば竜たちとの交流などなくなるだろう。あまり欲張っても仕方がないかもしれない。
とりあえず時期が来て、サクッと首輪を外してもらったら今度こそメルーと一緒に国に帰ろう。そして今まで通りの毎日に戻るのだ。
そんな風に思いながら呑気に過ごす日々が続いた。しばらくの間は。
だけど、ここはファトスで、テュシアの魔の十八歳はまだ終わっていない。
やはり何事もなく、無事に通り過ぎていってはくれないのだった。




