第11話 番など存在しない
(side.セシオン)
どれだけ大丈夫だと説明しても信用できないらしい。
往路と同じくぎゃあぎゃあと騒ぐテュシアを背に乗せて城に戻ると、翼留地で大きく手を振るスウスが待ち構えていた。
「テュシアさん! ご希望の品物が届きましたよ!」
「卵! バター!」
さっきまで魂が抜けかけていたのに、途端に息を吹き返したテュシアが勢いよく背中から飛び降りた。
「おい、危ない!」
「あ、ごめーん」
へらりと笑って言いつつも、早くも心はどこかへと向かっているらしい。
「厨房使っていい?」
「もちろんですとも。そちらもテュシアさんのサイズに整えておきましたよ」
「やった、ありがとう! ガレット焼こう!」
「ガレット、ですか?」
「そういう名前の焼き菓子だよ。メルーの秘伝のレシピで焼いたガレットは、サックサクで美味しいの」
考えるだけで涎が出そうだ、という顔をしている。
それほど食へのこだわりがあるのならば、ここに来てからの食事はさぞ不満だったことだろう。可哀そうなことをした。
「焼けたら一緒に食べようね」
「まあ、嬉しいこと」
最初からテュシアに好意的だったスウスだが、もはや祖母と孫なのではないかというほど馴染んでいる。
その様子に、ちりっと胸の奥に火花が散った。
「セシオン様」
見透かしたように呼ばれ、セシオンはひとつ息を吐いた。
咄嗟にテュシアに伸ばしかけていた手を引っ込める。
「スウス、これを」
今にも駆け出しそうなテュシアが採取してきた薬草たちを魔法でまとめて、そのままスウスに引き継いだ。
「かしこまりました。テュシアさん、こちらも持って行きましょうね」
「そうだった、大事な薬草! ありがとうね、セシオン」
パッと振り向いたテュシアが満面の笑みで言う。
「また夜に。待ってるね!」
「…………ああ、また」
「あらあら、まあまあ」
呆然と答えたセシオンの耳に、スウスが残した含み笑いは届かなかった。
しばしその場に、ひとり立ち尽くす。
「今……」
じわじわと込み上げてくる喜びに、セシオンは思わず片手で口元を覆った。
「名を……」
呼んでくれた。
たったそれだけのことで、どうしてこうも胸が震えるのか。
今すぐに彼女の元へ走り、もう一度、と強請りたくなる。
一歩。前へ踏み出しかけた足を止めたのは、待ってるね、と言っていたテュシアの声だ。
また夜に、と言っていた。待っている、と。
できれば今すぐにでも、あの甘い香りを放つ柔らかな肢体をこの腕の中に閉じ込めたい。そうしてぐっすり眠るのだ。ふたりで、いつまでも。
そうできたならと思ってしまうが、テュシアはそれを望まないだろうこともわかる。
あれほど焼き菓子を楽しみにしている様子だったのだ。邪魔をしたら怒るだろう。
それも、ひどく。
眉を吊り上げたテュシアがなんだか想像できてしまって、セシオンはふっと苦笑を漏らすと踵を返した。
それでもやはり、名残惜しさは消せず。
「あ? どうした?」
王の塔が城の最頂部にあるのは、一目で城郭内を見渡せるためだ。執務室に入るなり窓辺に立ち、じっと居館を見つめるセシオンの元へ、訝し気にアミが歩み寄ってくる。
答えぬまま、セシオンは窓外の眺めに金色の輝きを探した。
いないことはわかっているのに。
「魔女娘か? なんだ、いないじゃないか」
「テュシアだ」
咄嗟にそう返すと、一拍の間を置いて「へえ」と興味深そうな声が応じた。
「毎晩通ってんだろ。適当にしとけよ」
意味を量りかねて、セシオンはようやくアミへと振り向いた。
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。あっちは人の娘だ。俺たちとじゃ身体が違う。気をつけてやらねぇと弱るぞ」
「弱る……?」
言われて、ハッとした。おそらく彼の案じているような無体は強いていないが、身体が痛いとは言われている。
黙り込んだセシオンの肩を、アミがポンと叩く。
「まあ、俺は安心したけどな」
「なにがだ?」
「おまえが妙な差別主義者に転向したわけじゃなかったことがわかって、さ」
咄嗟に答えに詰まる。
そういえば、どう考えても無理のある理屈を通そうとしたのはまだほんの数日前のことだ。
「で? そろそろ説明してもらおうか?」
無言で踵を返そうとすると、ぐいっと肩を引き戻される。
「逃げんなよ」
「アミ」
「大丈夫だ、俺たちしかいない」
眉を上げたセシオンに、アミが肩を竦めてみせる。
「他意はないさ。ほかの奴には聞かれたくないことも、俺になら言えるだろってこと。俺はお前が高木の上の鳥の巣から降りられなくなって半ベソかいてたことも知ってるし、最後に寝小便をやらかしたのがいつなのかも知ってる」
下世話な物言いに眉を顰めながら、セシオンも負けじと言い返した。
「そっくりそのまま返してやる。それなら俺も、おまえのことは全部知ってるぞ。おまえが洞窟の奥で、ピーピーと――」
「あー、いまのナシ。思ったよりダメージがデカいな、それ」
「ふん」
いかにも嫌そうな表情をしたアミを鼻で嗤ってやる。
しかし次の一言で、あっという間に形勢を逆転された。
「おまえ、奴隷なんぞ囲ってどういうつもりなんだ?」
「なんだと……?」
「スウスには口止めしといたけどな。あの魔女娘、『どうやら食糧にはならないかもしれないけど、でも所詮は奴隷だからなぁ』って言ってたんだとさ」
ハッと息を呑むセシオンに向けられたアミの眼差しは淡々としている。
「当人はあっけらかんとしていたそうだから、まあ思ったより図太い娘みたいだが。それはそれで、余計気の毒になったぞ。商売女でも自分のことを〝奴隷〟だとは言わねぇだろうによ」
「馬鹿なッ、商売女など……!」
「あん? そういうつもりで連れてきたんじゃないのか? 昼間は見向きもしないくせに、毎晩部屋に通ってるとなったらなあ。そのための女だとしか思えねぇだろ」
愕然としてしまう。
「そんな馬鹿な……」
言葉もない。呆然としたセシオンに、アミが追い打ちをかけてくる。
「隷属ってのは、そういうことだしな。何をされても拒めない。なにせ命と引き換えだからな」
「……っ、俺はそんなつもりで――」
「どうだかな。結果的に、『そんなつもり』だったようにしか見えねぇってことだ」
城に戻ってからずっと、毎晩彼女の元へと急いだ。
本当は一刻だって離れていたくはないのに、王としての立場がそれを許さないからだ。
鼻腔を擽る甘い香りに慣れるどころか増々離れがたく、テュシアがいない日々など考えられなくなっている。
「そんな、そんなつもりは……」
なかった。
奴隷扱いしたつもりもない。
けれど、自身の心の奥深くに自問してみれば、彼女を自分だけに縛り付けたいという凶暴なまでの欲望が眠っていることにも薄っすら気づき始めている。
「おまえのそれさ、俺には執着に見えんだよな」
束の間考え込んでいたセシオンは、ぼんやりとアミを見つめた。
「番と出逢った奴は、みんなそうなる。おまえのそれも――」
「違う。俺の番は存在しない」
無意識に声を強めて遮ったセシオンに、アミが深々と息を吐く。
「存在しないかどうかは、わかんねぇだろ。おまえが感じ取れないかもしれないだけで」
「感知できない時点で、存在しないのと同じだ」
「同じじゃねぇだろうが。――ったく、強情だな」
アミが舌打ちをする。
それからひらりと片手を振り、語調を改めた。
「まあいい。それは置いといて、だ。いい加減、おまえが隷属なんていう禁じ手を使った理由を教えろ。チェロヴィクでなにがあった? どうしてあの魔女娘を連れてきた?」
一周回って、話が元に戻ったようだ。
なんとしてでも口を割らせるという気迫をアミから感じ、セシオンは諦めて口を開いた。
「匂いがする」
「匂い? ――ああ、そういやぁ、そんなこと言ってたな」
「嗅いだことのない甘い匂いだ」
「で?」
「魔法のせいかと疑ったが、そうではなかった。テュシアから匂う。それを聞き出すために隷属させた。あれは……手段を間違えた。俺の落ち度だ」
「はぁん」
微妙な相槌を打って、なにやら思案気にアミが顎を擦った。
「チェロヴィクから連れてきた日だ。おまえが乗せられねぇって言うから俺が代わってやっただろ? あんときに、魔女娘も自分の匂いを気にしてたんだが」
「俺が問い詰めたせいだろう」
「へぇ。俺には匂わなかったんだがな。薬草とか、そういうんじゃねぇのか?」
「違う。……と、思う」
断言しかけて、曖昧に誤魔化す。
蠱惑的に甘い匂いはテュシア自身のものだ。それを何故か、アミには言いたくなかった。
執着、とアミは言った。これが執着なのだろうか。
わからない。
自分には、竜族として明らかに欠けている部分がある。そのせいで理解できないのかもしれない。
生まれながらに王としての期待を寄せられていながらも、欠落がある。瑕疵があることを理由に侮られまいとがむしゃらに突き進んできたが、初めて自分を見失いそうだ。
テュシアに関するすべてが、テュシアに関することだけが、セシオンを混乱させる。
「匂い、か」
気になるなと呟いて、アミが話を締め括った。
「ま、それはそれとして。おまえはもう少し自重しろ。いろんな意味で、おまえが暴走することで傷を負うのはおまえじゃない。あの娘のほうだ」
「……わかっている」
絞り出すように応じた、それは嘘ではなかった……はずだったのだが。
「なんかいい匂いがすんな」
アミでさえ気づいた。
テュシアがスウスを引き連れて居館の厨房へと消えてから、どれほど経ったろうか。いつも通りにカマラやミエーネを集めて政務を進めていた最中、この城では珍しく甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「昨日、スウスが卵とバターを買ってくれと頼んできたが」
「そんならあの魔女娘だな。あいつが焼いてんのか」
旨そうだなとアミが言った。それを聞いた瞬間に居ても立っても居られなくなる。
「ガレットを焼くと言っていた」
思わず呟くと、すぐさまアミが食いついてくる。
「ガレット? なんだそれ?」
「焼き菓子だが……ふむ。どうやら普通のレシピではなさそうだな」
少し変わった匂いがする、とカマラが言う。
食を愉しむタイプのカマラは、ガレットとやらも口にしたことがあるのだろう。
ちり、とまた憶えのある火が胸の奥で燻った。
面白くない。
カマラはガレットを知っている。そしてスウスはテュシアが手づから焼いた菓子を、きっとその場で振る舞われるのだろう。
自分の口には入らないのに。
夜まで待たねばならないというのに。
駄目だ。非常に面白くない。
「セオ。おまえ、ちょっと行ってこいよ」
「……なんだと?」
そんなにそわそわしてしまっていたかと内心で動揺するが、カマラやミエーネに気づかれた様子はない。アミだけが意味ありげな眼つきをしている。
「俺たちの分、王サマ権限で貰ってこい。そうしなきゃ、こっちまで届かないだろ」
「相変わらずアミは菓子に目がないな」
「まあ、こんな匂いを嗅がされちまったらなぁ」
口々に言われ、セシオンは瞬時に決断した。
「仕方がないな」
「卵でもバターでもミルクでも、宰相権限でいくらでも買ってやるからと伝えとけ」
甘い菓子に目がないのは親子の共通項である。カマラにまで後押しされたという大義名分を手に入れて、セシオンはいそいそと執務室を出た。
ついつい口元が緩みそうになるが、辛うじて真顔は保てていたはずだ。
大陸広しといえど王をパシリに使おうとするのはこの国くらいのものだろうが、今回に限っては、この大雑把な竜の気質が幸いしたと言える。
「ぐるぅ」
塔を出て居館へと近づくごとに、焼き菓子の匂いが濃くなっていく。
人の姿をしていながら、思わず竜体の時のように喉を鳴らしてしまう。
テュシアの香りと入り混じり、なんとも甘美な誘惑に駆られる匂いだ。花蜜に誘われる蜂のように、セシオンはテュシアの部屋へと吸い寄せられた。
ノックして、返事が来るのを待つのももどかしく扉を開けば、驚いた顔で振り向いたスウスがすぐに呆れた顔つきになる。
「いらっしゃるんじゃないかとは思ってましたけどね。まったく。セシオン様、政務はいいんですか?」
「構わない。行ってこいと皆にも言われた」
「はあ、そうですか。それじゃあ、お持ち帰りの分を包んできましょうかね」
乳母だったこともあり、スウスは理解が早い。きょとんとしているテュシアに、出てくるからと言い残してすたすたと立ち去った。
「テュシア」
呼びかけた声の甘ったるさに、自分で慄く。しかし彼女は気にもしていないのか、片手に菓子を摘んだまま平然と見返してきた。
「ガレットは焼けたのか?」
「え、まさか待ってた? ――あ、じゃなくて匂い?」
「ああ。塔にまで香ってきた」
答えれば、テュシアは納得した様子で頷いた。
「だから持ち帰りって、そういうこと。竜は人の食べ物が好きだって本当なんだ」
長椅子に腰を下ろしたテュシアの前には、狐色に焼けた菓子が盛られている。
「それが?」
「うん、ガレット。知らない?」
手にした一枚をサクッと齧り、テュシアが口元を綻ばせた。
「うん美味しい。よかった、上手くできた。あ、セシオンも食べる?」
歩み寄り、セシオンは彼女の隣にぴたりと寄り添った。
避けられるかと思ったが、そんなことはなかった。けれど、やはりセシオンのことなど気にもしていないようにみえる。それがどうにも悔しい。
「もらおう」
セシオンはテュシアの手首を掴み、彼女が齧ったガレットにぱくりと食いついた。
「え、それ食べかけ……」
「ああ、旨いな」
サックリした食感に、バターの香りと少しの塩気を感じる。文句なしに旨かった。これまで口にしたことのあるどんな菓子よりも。
呆気に取られているテュシアを横目に流し見ながら彼女が摘んでいたガレットを平らげ、指についた菓子屑まで丹念に舐め取る。それから皿の上の一枚を取り上げ、彼女の口元に運んだ。
「え、自分で食べられ――むぐっ」
口を開きかけたところに、無理やりガレットを押し込む。不本意そうな顔をしながらも、テュシアはサクサクと焼き菓子を咀嚼した。
なんて愛らしいのだろうか。もぐもぐと動く口元に釘づけになる。
一口、また一口と、小さくなっていくガレットに、テュシアの口元から小気味のいい咀嚼音が響く。
セシオンは、蕩けきった眼差しでテュシアの唇を凝視した。
最後の一欠片を押し込んで、そのまま動かないセシオンをテュシアがもの言いたげに見返してくる。
荒れ狂う衝動を呑み込もうとして――できなかった。
微かに残っていた理性の最後の壁が呆気なく崩れる。
テュシアの顎を片手で押さえ、セシオンは首を傾けた。赤く色づいた唇を見つめながら、自身の唇をそこに寄せていく。
所詮、竜の本性は飢えた獣に等しいのだと頭の片隅で思う。
旨そうな餌が目の前にあれば、食らいつかずにはいられない。
ただ……忘れていた。目の前の旨そうな餌は、簡単にその身を差し出してくれる子羊ではないのだということを。ふわふわと稚く愛らしい見た目とは裏腹に、彼女は存外獰猛な性質なのだった。
「熱ッ!」
不意に目の前に割り込んできたのは、琥珀色の液体が揺れるカップだ。
熱々のそれを、遠慮なく鼻先に押し当てられた。
「うふふ」
なみなみと紅茶の注がれたカップ越しに、テュシアが笑う。
が、その眼はまるで笑っていない。
「何しようとしたのかな? んん?」
「……なんでもない」
竜を怯ませるとは、人間の魔女にしては狂暴がすぎるのではないだろうか。
だが、そんなところもむしろ好ましいと思ってしまう。
「さっきみたいに……」
可愛い。愛おしい。自分だけのものにしたい。
誰の目にも触れさせず、自分だけの巣に閉じ込めて、大事に囲ってしまいたい。
狂おしい欲求が胸のうちに吹き荒れる。
「もう一度、呼んでくれないか?」
「え、何を?」
きょとんと瞬くテュシアの足元に跪き、ティーカップごとその手を包む。
「名を。セシオンと」
「えっと、セシオン? ねえ、そんなところに座らないで――」
「奴隷だなどと、そんなことは言うな」
テュシアが戸惑ったように視線を揺らす。
「何? 今度は何の話? わかってるよ、客人扱いって言ってたもんね?」
「そうだが、そうではなく……」
伝わらないことがもどかしい。
口を開きかけては閉じることを繰り返し、セシオンは結局諦めて口を噤んだ。
「よくわかんないけど、私は結構楽しいと思ってるよ。この国も」
項垂れるセシオンを宥めるみたいに、テュシアが言う。
それに少しだけ笑ってしまった。
彼女はなんと的確な言葉をくれるのだろうか。僅かではあるが、胸の内に渦巻いていたドロドロしたものが薄らいだ気がする。
「俺は、おまえを死なせるつもりはない」
「そうであって欲しいよ」
「だが、おまえになら殺されてもいい」
「それはよくない」
反射的に漏らした本心だったのだが、間髪を入れずに応じたテュシアの声はむっとしていた。
「どうしておまえが怒る?」
「死ぬのは……」
しばし悩む間を置いて返された答えに、虚を突かれる。
「死ぬのは、楽しいことじゃないから」
「まるで死んだことがあるみたいな言い方だな」
「そうかもね」
応じた声があまりに平坦で、不安に駆られる。
「テュシア……?」
表情を窺おうとするが、顔を背けられた。
理由もなく、目を離せば彼女が二度と戻らない場所へと消えてしまうような、そんな焦燥に似た恐怖に胸が軋んだ。
「テュシア……むぐっ」
強めに名前を呼んだ瞬間、口の中にガレットを押し込まれた。
「よし! これで引き分け」
呆気に取られつつ、押し込まれた菓子をなんとかを咀嚼して呑み込む。
得意げな顔をみせるテュシアに、先ほどまでの憂いの気配はない。
安堵しつつ、セシオンは口に残る甘みの余韻をしばし愉しんだ。
「可愛いな」
旨かった、と言うつもりだった。
それなのに口から出たのは違う言葉だった。
「おまえのことをもっと知りたい」
しかし翡翠の瞳を覗き込もうとすると、またしてもサッと逸らされる。
「……そういうのは、いい」
逃げ場に迷うみたいに、セシオンの頭頂部にテュシアが顔を埋めてきた。
「痣が痛くなるから、やめておいて」
「痣……?」
なんのことかと問おうとする間もなく、ガバッと勢いよくテュシアが顔を上げた。
「そうだ、セシオン。ちょっと思ったんだけどね」
「なんだ?」
「鼻に綿でも詰めたらどうかな?」
そうしたら少しは匂いもわからなくなるのではないかと言うテュシアは真顔だ。
途端にセシオンも真顔になる。
「眠くなっちゃうのは困るから、初めから匂わないようにしたらよくない? だからね、鼻に綿でも」
「却下だ」
「いい案だと思ったんだけどな」
「王の沽券に関わる」
どの辺りがいい案なのか問い詰めたいところだが。
思わずクッと笑声を漏らせば、テュシアが目を見開いた。
「え、笑った?」
「おい、俺を何だと思ってる?」
「いやぁ、いいと思う。もっと笑うといいよ。それか、氷竜王じゃなくて、不器用王に名前変えたらどうかな?」
「……テュシア」
低く名を呼べば、テュシアの目が泳ぐ。
「あー、やっぱりダメ?」
確信犯だとわかれば、容赦はいらないだろう。
セシオンは、ガレットの乗った皿に手を伸ばした。
「お返しに、これはもらっておく」
食べなくても生きられるが、食べるとなったらいくらでも入るのが竜だ。
その食欲に、せいぜい慄くがいい。




