第9話 竜族って、すごいよねぇ
眠い。
黙々と階段を踏みしめながら、テュシアはふわっと欠伸をした。
「テュシアさん」
「あ」
そうだ、スウスがいたんだったと思ったときには遅かった。しっかり大口を開けていたところを見られていたらしい。
どこか呆れた顔で、だけどそれ以上に心配そうに覗き込まれる。
「お疲れですね、戻りましょうか」
「でも、もうちょっと――」
何気なく振り向いて、遥か頭上に王の塔がそびえているのを目にしたテュシアは、あっさり前言を翻した。
「うん、戻ろう」
下ってくるのはそこまで苦もなかったので、帰りの道のりを考えていなかった。これからあそこまで登っていかなければならないのだと思うと、どっと疲れる。
ファトスの城にやってきて、あっという間にもう五日目。
執務に向かうセシオンを見送り、昼食を終えてからスウスに誘われて城郭内の散策に出たところだ。
抱き枕を拝命してから目に見えてセシオンの機嫌が良く、それに乗じて「家畜だって良質な脂を身につけるためには適度な運動が必要なのだ」という畜産業における蘊蓄を語ってみたところ、大層嫌な顔をされながらも正式に軟禁解除の言質を取った。
とはいえ、執務室のある塔だけはテュシアの匂いで眠くなったら困るため出入りしてくれるなとのことなので、まあ仕方がない。そのくらいは妥協してやることにした。
というわけで連日あちらこちらをうろついているテュシアなのだが、スウスが同行してくれているのは完全なる彼女の厚意だ。
ひとりにするのは心配、という彼女の言葉も、杞憂だと言い切ることは難しい。
なにせこの城、やはり人の足にはアップダウンが厳しいので。
「竜族って、すごいよねぇ」
呟くと、スウスが微妙な表情になった。
「頑丈なだけが取り柄ですよ」
「城のなかでは人化してるんでしょう? それでもこんな高低差があるところを平気で行き来してるんだから」
元々の竜体が巨大だからか、人化しても竜族は総じて高身長だ。その分だけ足も長いし、テュシアには少々高さがありすぎる階段も、スウスは苦にもしていない。
セシオンやアミはかなり背が高い。それよりはいくらか小柄だけれど、スウスもそこそこ高身長なのだ。
「頑丈なのはいいことだよ。体力、大事」
しみじみと言えば、スウスの眉間にぐっと皺が寄った。
「まったく、セシオン様はなにを考えておられるんだか」
ぷりぷりと怒っているスウスは、毎晩テュシアの部屋に通ってくるセシオンの行動を「愛ゆえ」と考えているようだけれど、まったくの見当外れである。
スウスの懸念も何度か否定したのだが、時おりぎくしゃくした動きになってしまうことがあって、いまひとつ誤解が解けない。
実際のところは、抱き枕としてぎゅうぎゅうに締めつけられているせいで身体がバキバキになっているだけなのだが。
「お身体は辛くないですか? 人と竜では体力が違うんですから無理は禁物ですよ、テュシアさん」
「あー、うん。ハイ、それは大丈夫」
少々の肩こり以外はまったく問題ない。
常時ほんのり空腹感はあるけれども、不思議と体調も悪くはないし。なんならファトスに来てからのほうが身体が軽いくらいだ。
「もしかして、ちょっと痩せたかも?」
そのせいで身体が軽いのかも。
期せずしてダイエットに成功してしまったのではと浮かれかけたテュシアだが、頭の先から足の先まで、まじまじと視線を這わせたスウスがあっさり首を横に振った。
「いいえ、変わっておられませんよ」
「ソウデスカ」
ちっ、残念だ。
「それにしても、もっと早く言ってくださればよかったのに。食事が口に合わなかったなんて、申し訳なかったですねぇ」
「だって、そういうものだと思ってたから」
竜は食事を必要としないなんて知らなかった。
てっきり肉食なのだとばかり思っていたのに、そうではなかったなんて。
食べる習慣がなかったら、そりゃあ料理なんてしないわけで。肉の煮え加減だって、塩加減だって、わからなくて当然である。
三度目の国境越えで、今回初めてテュシアは文化の差というものを思い知った。
昔は、与えられる食事が粗末なのも家畜同然だからだろうと受け止めていたのだけれど、あれもきっとそういう意味ではなかったのだろう。
「だけどじゃあ、竜はどうやって生きてるの?」
「地中を走る竜脈から、大気中にエテルが溶け出しているのはご存知ですよね。竜は、そのエテルを吸収して生きているんですよ」
エテルは、魔力の素でもある。人の身体はエテルを吸収しにくいらしく、だから魔法を使えない者が大多数だ。反対に、エルフなんかはエテルを自在に吸収できるらしい。
竜もそうだったのだとは知らなかった。しかも、それを栄養源にして生きているなんて。
「初代の王がこの地に竜の国を定めたのは、この辺りが最も竜脈の活性が強いからなんですよ。なかでもファトスが一番強いんです。そしてその分だけ、エテルも濃い。だからこの城の竜はまったく食事を必要としないんです」
「へえ! そうなんだぁ」
感心するテュシアに、スウスがつと首を傾げた。
「テュシアさんは、竜の王の最も大事な仕事がなにか、ご存知ですか?」
王の仕事といったら……なんだろうか。
税の徴収とか?
そう言うと、スウスが苦笑を浮かべた。
「それもまあ、国である以上は必要ですけどね。もっと大事な仕事があるんですよ」
「王サマじゃなきゃできない仕事?」
「ええ、王でなければならないんです。竜の王は、竜脈を抑える役割を持つんですよ」
竜脈を抑える、とは。
初めて耳にする言葉だ。
「どういうこと?」
「竜脈というのは植物を育て、土を潤す。そのために欠かせないものですよね。ですけど、放っておくと暴れやすいんです。ファトスの中でも、ちょうどあの山の向こうの辺りですね。あの辺りが一番活性が強いので、そこを抑えるんです。竜脈が暴れて地表に噴き出したら、大地がそれに呑み込まれてしまいますからね」
「え、地面がなくなるってこと……?」
「ええ。山も森も、街も、すべてが消えてなくなります」
頷いて、スウスがぐるりと周囲を見渡した。
つられてテュシアも辺りへと視線を走らせる。
「ひとたび暴れてしまった竜脈は、地上のすべてを呑み込みます。そして再び地に潜った竜脈の上に残った残骸から、新しい大地が生まれる。そうやって新たに生まれた大地がもう一度命を育めるようになるまで、数千年はかかると言われています。ずっとずっと昔ですけどね、そうやっていくつかの大陸が消えたと言われているんですよ」
「それって、神話の……」
「神話は神話ですが、そのうちのいくつかは史実でもありますよ。人の国にはあまり伝わっていないでしょうかね?」
どうなのだろう。偉い学者などは知っているのかもしれないが、ただの町娘のテュシアは初めて聞いた話だ。
「竜は、死んだら竜脈に還ります。そしてまた新しい身体を授かって生まれる。竜脈から生まれ、竜脈によって生き、竜脈に還る。それが竜なんですよ」
へえ、と思う。
人は、死んだら肉体は土に還るけれども魂は空に昇っていく。そしてまた綺麗な魂に磨かれて、地上に戻ってくるのだ。
空に暮らす竜が地の下へと還るのに、地面の上でしか生きられない人は空へと還る。反対なのが面白い。
「ですから竜脈は竜の命そのものなんですよ。そしてこの国では、竜脈を抑える力を持つ者が王となります。ほかの者には持ち得ない、王だけの力なんです。今は、セシオン様だけのお力ですね」
「ふぅん」
テュシアも今世では少しだけ竜脈に触れる。だけど、それを抑えるというのはどれほどの力が必要なんだろうか。
「竜王サマってすごいんだねぇ」
「ええ、すごいんですよ。特にセシオン様は歴代最強と言われるお方ですからね」
正しく伝わったことに満足したのか、スウスがにこりとした。
「ですからね、多くの竜は食事を必要としません。ですが、食べることができないわけじゃない。人の作る食事は美味しいからと、わざわざチェロヴィクまで出向く竜もいるくらいなんですよ。あたしたちは図体が大きいせいか大雑把でねぇ。料理なんかもサッパリで」
細やかさでは、人間に敵う種族はいないとスウスは言う。
「細工物や刺繍なんかもそうですね。その美しさには惹かれるけれど、竜には造れない。だからヒュードルはチェロヴィクを大事にしているんですよ」
放っておくと好戦的なドワーフや他の獣人族に蹂躙されてしまう純人族の国チェロヴィクは、ヒュードルの後ろ盾があって初めて独立していられる。幼い子どもであっても知っている国際情勢だが、スウスが語ると随分優しい物語に聞こえる。
なんだか、ちょっといい。
「大丈夫ですか? テュシアさん、お嫌でなければおぶって行きましょうか……?」
「だ、大丈夫。頑張る……」
意気揚々と踵を返したはよかったが、ひたすら階段を昇り続ける復路は地味に辛い。
「運動しよう……」
薬草園の世話をしていた程度の筋力では、この城を動き回るのには足りない。
ぜえぜえと息を切らしてとうとう足を止めたテュシアの背中を、スウスが擦ってくれる。
「やっぱり、竜族ってすごいと思う」
主に、その強健さが。
立ち止まって呼吸を整えているテュシアの肌を、高嶺を渡る乾いた風が撫でていく。
不意に、ピューイと谷が啼いた。見上げた空に飛来する二頭の竜の姿が見える。
燃えるように赤い竜と、白銀に輝く竜。
「ああ、お帰りになったみたいですね」
「どこかに行ってたの?」
「視察だそうですよ。ふたつ山を越えた麓の街まで」
今日だって、朝までテュシアの部屋にいたはずなのに。いつの間にそんな遠くまで出かけたのかと驚くと、すぐですよ、とスウスは事もなげに言う。
「この時間にお戻りということは、とんぼ返りでしょうけどね」
額の上に手を翳し、陽光に目を細めながらテュシアは次第に大きくなってくる竜影を見つめた。
刷毛で掃いたような巻雲を力強い翼で切り裂いて、竜が飛ぶ。どこまでも高い空の天色に、きらきらと銀の鱗が光っていた。
「綺麗」
思わず零れた呟きに、
「あらあら、まあまあ」
スウスがくふくふと嬉しそうに笑った。




