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陛下、それは猫ではなく後宮妃です!~姿を変えて、冷徹皇帝の溺愛本音を聞いてしまいました~  作者: 及川 桜@『後宮の料理妃2』発売
第六章 そして妃は寵愛の冠を戴く

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少女の声は、信じることを諦めていた璃華の胸に、そっと火を灯した。

 あの文書が璟嘉国から届いたときは、さすがに璃華も耳を疑った。

 自分が後宮の妃に所望されるなど、なにかの間違いに違いないと。


 ……けれど。

 義母も父も、そろって笑っていた。

 璃華が驚いているあいだに、話はとんとん拍子に進み、入内が決まってしまったのだ。

 父は結納金の額に目を輝かせ、義母は「妃として望まれた」ことに大層満足していた。


 なぜならば……

 黎煌──璟嘉国の若き皇帝。


 わずか二十二歳で即位し、冷酷無比の暴君と噂されている。

 先帝の崩御後、皇位を巡って国中が血に染まった数年間。

 その戦で、黎煌は敵を容赦なく討ち、残虐な所業は他国にまで名を轟かせた。

 彼が戦場に立てば、敵兵は数刻で壊滅した。


 捕虜にした敵将の首を晒し、その妻子を公開処刑したという話もある。

 自らの剣で反乱軍の将を一刀両断にした場面を見た兵たちは、口を揃えてこう言った。


「あれは、鬼だ」


 後宮でも、侍女のちょっとした過ちに激怒し、無慈悲に打ち首にしたとか、妃の機嫌を損ねただけで冷宮に送り、二度と日の目を見させなかったとか──

 そんな噂ばかりが璃華の耳に届いていた。


 後宮の妃たちにも情け容赦がないと言われており、妃になりたがる者すらいないほど。

 そんな恐ろしい相手の元へ嫁ぐのだから、家族にとっては好都合だったのだろう。

 莫大な結納金の大半は湛州の国庫に収められ、璃華にはろくな嫁入り道具も用意されなかった。


「い……いえ。こ、これは……人質よ……」


 自分が寵愛されるなんて、そんなことあるはずがない。

 きっとこれから、待っているのは冷たい仕打ちと、恐ろしい日々。

 それでも、逃げることは許されない。

 璃華はそっと拳を握りしめ、静かに覚悟を決めた。


「でも……お嬢様と陛下は、お知り合いなのでしょう?」


 先ほどまで勢いよく喜んでいた阿李が、急に不安げな声になった。

 自信なさげに小首を傾げながら、璃華の顔をのぞき込む。


「し……知り合い、と……い、いうほどでも……な、ないわ」


 璃華は、ゆっくり首を振る。


「たった……一日だけの……出会いよ」


 けれど。

 その一日は、璃華にとって忘れられない記憶だった。

 まだ幼かったあの頃──


 あの日起こった凄惨な出来事のせいで、璃華の世界は大きく変わった。

 母は、帰らぬ人となった。

 しかし、その記憶のすべてが苦しいものだったわけではない。

 血の匂いと恐怖の中で、たしかにあの少年は、璃華にとって光だった。

 温かな手で、震える璃華を抱きしめてくれた。

 優しい声で、名前を呼んでくれた。


(……黎煌様)


 まさか、あの少年が──恐ろしい噂に彩られた璟嘉国の皇帝になるとは、夢にも思わなかった。

 けれど、もし……あの日の記憶が、彼の中にも残っていたのだとしたら。

 もしほんの少しでも、璃華のことを覚えていてくれたのだとしたら。

 たとえそれが人質としての入内だったとしても。

 彼の妃に選ばれたことは、璃華にとって、望外の喜びだった。


「まあ、なんにせよ、これからお嬢様は徳妃になられるんですから! 私も女官長として頑張らないと!」


 阿李は意気込むように胸を張ると、ふと思いついたようにパチンと手を打った。


「そうだ、まずは呼び方を変えないとですね。聞いたんですよ、璟嘉国では皇帝のことを大家おおや、妃を娘々《にゃんにゃん》って呼ぶらしいです。だからこれからは、お嬢様じゃなくて──娘々と!」


「に……にゃ、娘々は……こ、皇后様の……呼び方、でしょ? お……おそれ多い、わ……」


 璃華は慌てて首を横に振った。

 声が上ずり、いつもより吃音が強く出てしまう。


「高位の妃にも使うらしいですよ。それに、今は皇后様はいないんですし。いいじゃないですか、ね、娘々!」


 そう言って、阿李はさっそくその呼び名で璃華を呼んだ。

 無邪気な笑顔にはしゃいだ色が浮かんでいて、璃華は思わず苦笑する。

 阿李は、璃華と同じ湛州の出身。

 この大国に来たことで、ようやくあの息苦しい生活から解き放たれた、そんな気分なのだろう。


 璟嘉国の後宮には恐ろしい噂が山ほどある。

 妃が次々に失踪したとか、侍女が一夜にして処罰されたとか。

 本当なら、震えていてもおかしくないのに。

 けれど阿李は、それをまるで忘れたかのように振る舞ってくれる。

 その明るさが、璃華にとっては救いだった。


 浮かれているだけなのか、それとも励まそうとしてくれているのか。

 どちらにしても、阿李の笑顔が、璃華の張りつめた心をそっとやわらげてくれた。

 殿内に荷を置き、ようやく寝所の支度を整え始めた頃だった。

 一人の宦官が静かに現れ、拱手の礼をとる。


「天恩まことに深く──陛下より、徳妃様を御前に召されるとのちょくが下りました。準備が整い次第、内侍ないじがご案内いたします。どうか、お心静かにお待ちくださりませ」


 そう言って、宦官は音もなく下がっていった。

 

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