③
璃華は掛け布で体を隠し、背を向けていたが、その白く滑らかな背中が目に焼き付くほどに神秘的で、美しかった。
しばらくの間、黎煌は魂を抜かれたかのように呆然としていた。
だが、恥じらいながらもじっと俯いている璃華の姿に、ふいに我に返る。
羽織っていた長衣を脱ぎ、寝台で横座りする璃華の肩へとそっとかけてやった。
「……あ、ありがとうございます……」
長衣に身を包んだ璃華は、ようやく羞恥から少しだけ解放されたのか、小さく頭を下げる。
「……本当に……璃華、なのか」
黎煌はその顔をのぞき込み、目の前の天女のように美しい女性を、まじまじと見つめた。
「……は、はい」
璃華は頬をほんのり染め、長い睫毛を伏せるようにして斜め下を見つめながら答える。
その一挙手一投足があまりに艶やかで、目が離せない。
黎煌の胸の内では、押し殺していた鼓動が高鳴りを上げ、熱く滾っていた。
「どういうことだ? 璃華は猫だったのか?」
璃華が猫なのか。猫が璃華なのか。
頭の中で思考が渦を巻き、答えの出ない混乱に包まれる。
(いや、たとえ璃華が人間でなかったとしても……構わない。むしろ、人の姿に縛られぬ存在だからこそ、これほどまでに美しく、心を奪われるのかもしれない)
黎煌の胸は、言葉にならぬ感動で震えていた。
こんなにも希少で、こんなにも美しい存在が、この世にほかにいるだろうか。
璃華への想いは、さらに膨れ上がっていく。
「あ、わ、わた……しは、ね、猫……じゃ、なく、に、人間で……こ、これは……」
璃華は必死に言葉を繋ごうとしていた。
猫から人の姿に戻ったばかりの影響だろうか、うまく言葉が出てこない様子だ。
「無理をするな。体もまだ、本調子ではなかろう。まずは、ゆっくり休め。お腹は空いているか?」
黎煌の問いに、璃華は一瞬きょとんとした後、小さく頷いた。
「そうか、よかろう。しばし、ここで横になっていろ」
黎煌は優しく声をかけると、掛け布を整えてやった。
黎煌は静かに寝台を離れ、そっと寝室の扉を開けて廊下へ出る。
すぐに扉を背後で閉じると、待機していた宦官が声をかけてきた。
「いかがなさいましたか、陛下」
「至急、食事を用意せよ。準備が整い次第、声をかけろ。ただし……決して中へは入るな」
「はっ!」
宦官は恭しく拱手の礼をとると、足音も軽く駆けていった。
黎煌は再び寝室に戻り、扉を静かに閉じる。
(……さて、どうしたものか)
璃華が戻ったことは、本来ならすぐに報告すべきだ。
だが、なぜ皇帝の寝室にいたのかと問われれば、言い訳のしようがない。
ましてや、璃華が猫に化けていたなどと知られたら、宮廷は騒然となるだろう。
どこにいたのか、どうやって戻ってきたのか。
黎煌は思案を巡らせながら、寝台へと静かに歩を進めた。
璃華は横になることなく、長衣を羽織ったまま、不安げな瞳で黎煌を見つめていた。
(璃華は、ずっと俺のそばにいてくれたのか)
その思いに胸が熱くなりかけた瞬間――ふと、黎煌の思考が引っかかる。
(……待てよ。猫が璃華だったとすると……俺は、ずっと、本人に本音を語っていた、ということか⁉)
足がぴたりと止まり、背筋に冷たいものが走る。
脳裏をよぎるのは、過去の数々のとんでもない発言。
美しいだの、愛してるだの、まるで告白のような言葉。
さらには、寂しいだの、怖いだの――絶対に聞かれたくなかった、弱さをさらけ出した独白まで。
(……やってしまった~~っ!)
頭を抱えてうずくまりたい衝動を、どうにか堪える。
これはもう、大失態どころではない。
恥ずかしさを通り越し、心の奥底で身悶えするしかなかった。
「れ、黎煌様……?」
璃華は突然立ち止まり、真っ青になって固まっている黎煌を見て、心配そうに声をかけた。
内心では、過去の言動を思い出して悶絶し、思わず壁に頭を打ちつけたいほどの衝撃を受けていた。
だが黎煌は、長年にわたる宮廷生活で身につけた見えない仮面をかぶるように、感情を一切読み取らせぬ表情で歩み寄る。
「食事はすぐに届くだろう。それより、横にならなくていいのか?」
言い方に圧があったのだろうか。
璃華はびくりと肩をすくめ、怯えたような表情を浮かべる。
(……やはり、俺が怖いのか)
もっと近づきたいという思いが募る。だが、それ以上に怖がらせたくはなかった。
黎煌はほんの少し距離を置くように、寝台の端に静かに腰を下ろした。
「あ、あの……み、密書のこと、なのですが……」
璃華の声はか細く震えていたが、瞳には必死さが宿っていた。
「ああ、そうだったな。証拠がなく、手出しができずに困っていた。……これさえあれば、一網打尽にできる」
黎煌の声には、確信と力強さが滲んでいた。
「さ、昨夜……き、貴妃様と、司馬嶺様が……こ、後宮内で密会しているところを……も、目撃しました。し、司馬嶺様は、れ、黎煌様を廃して……じ、自分の意のままに操れる、黎泰様を即位させようとしていました。そ、それに……司馬嶺様は、じゅ……呪術を操ることができ……貴妃様も、その力を使って……こ、後宮に呪いを……き、貴妃様は……蠱毒を、作っているようです……」
たどたどしいながらも懸命に言葉を紡ぎ、陰謀の全容を伝えようとする璃華の姿に、黎煌の胸は打たれた。




