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陛下、それは猫ではなく後宮妃です!~姿を変えて、冷徹皇帝の溺愛本音を聞いてしまいました~  作者: 及川 桜@『後宮の料理妃2』発売
第五章 玉座の決断、真を暴く

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もし黎煌が愚鈍な弟であれば、兄たちの標的になることもなかっただろう。

 だが彼は聡明で、武にも優れていた。あまりにも才覚が際立ちすぎていたのだ。

 その才はやがて、命を脅かす刃となって降りかかる。

 幾度も暗殺未遂に遭い、信じていた側近に裏切られ、黎煌の心は次第に凍りついていった。


 望まぬ戦へと幾度も送り出され、誰もが「黎煌は討ち死にするだろう」と見限った戦場で、彼は生き残り、勝利を手にした。

 そんな彼の噂は、捕虜にした敵将の妻子を公開処刑したという話や、侍女のちょっとした過ちに激怒し、無慈悲に打ち首にしたとか、あることないこと勝手に捏造され、広められていった。


 そうして、冷酷無比の若き皇子という噂が出来上がったのだ。

 事実、黎煌は鬼神のごとく強かった。

 馬上から敵陣を切り裂くその姿は、敵将にとって悪夢の化身だったことだろう。

 やがて彼は、感情を一切見せなくなった。

 冷ややかな仮面をまとい、何を前にしても表情を崩さぬ――そんな黎煌が出来上がったのだ。

 璃華が心を病み、言葉を詰まらせるようになったように。

 黎煌もまた、過酷な環境の中で、変わってしまったのである。


(……血に濡れた俺を、璃華は恐れているのだろうか)


 あの人は、清らかで、美しい。まるで聖女のような存在だ。

 多くの命を犠牲にして玉座に座った男など、心を寄せぬのも当然なのかもしれない。

 黎煌を見つめる、あの怯えた瞳。

 それが、彼の心に深く突き刺さったまま、消えることはなかった。


(俺のような穢れた男が、あの聖女を娶ろうなど、天が許さぬのかもしれん)


 そんな思いが胸の底におりのように沈み、璃華に触れることも、傍にいることもできなかった。

 好きだと伝えることさえできぬまま、璃華は――消えた。


 共に生きるために、地獄のような日々を耐えてきたのに。

 ようやく掴みかけた最も大切なものを、今、掌からこぼれ落としてしまった。

 絶望が足元から忍び寄る。それに飲み込まれぬよう、気力だけで身を支えながら、黎煌は黙々と政務に向き合っていた。


(ここで倒れるわけにはいかない。俺には、この国と民を守る責務がある)


 志高く帝位を望んだわけではない。

 生きるために、皇帝になるしかなかった。それだけのことだ。

 だが、皇帝となった以上、もはや己の欲だけを追うことは許されない。

 この国の民を守り、暮らしを豊かにする。それが、黎煌に課された責務である。


(俺以上に、この国を背負える者はいない。だから――皇帝の座は、誰にも渡さない)


 璃華も、小璃もいない現実。

 心が折れそうになるたび、黎煌は己を奮い立たせた。絶望に沈む暇があれば、一筆でも多く政を進める。

 そうして極限の中にありながらも、外から見れば、黎煌はいつも通り冷静沈着な、威厳ある皇帝であり続けていた。

 


 政務を終えた黎煌は、寝室へ向かった。


(結局、小璃は今日一日戻らなかった。こんなことは初めてだ。何かあったのだろうか)


 寝室の前で待機していた宦官が扉を開ける。

 黎煌は軽く手を振ってすぐに扉を閉じさせ、ひとり静かな空間に身を置いた。

 その瞬間、大きなため息が零れる。


 部屋の中は燭台の火が揺れ、柔らかな明かりが静かに床を照らしていた。

 ふと文机に目を向けると――

 そこに、ちょこんと座る黒猫の姿があった。


「……小璃っ!」


 黎煌は思わず声を上げ、駆け寄る。


「どこに行っていたんだ!」


 胸に込み上げる安堵と怒りが入り混じる。

 小璃は静かに大きな瞳で黎煌を見上げ、そして口にくわえていた何かを、文机の上にそっと置いた。


「ん? それは……巻物か?」


 黎煌が問いかけると、小璃は尻尾を一振りして身を引く。

 その仕草に促されるように、黎煌は巻物を手に取り、慎重に広げた。


「……これは!」


 黎煌の目が見開かれた。思わず漏れた声に、驚きと戦慄が滲む。

 無理もなかった。巻物に記されていたのは、黎煌が喉から手が出るほど欲していた、まさに、決定的な証拠だったのだ。


 司馬嶺と、兄・黎泰の密書。

 黎泰はかつて太子争いに敗れ、いまは北苑の幽宮に幽閉されている。

 皇族であり、血を分けた兄でもあるために命までは奪わなかったが……まさか司馬と結託していたとは。


 北の狐が司馬嶺であることは、すでに薄々察していた。

 だが、青鷺が黎泰であったとは、これまで掴めなかった。


「なぜ、小璃がこれを……?」


 黎煌は、信じられないものを見るように猫を見つめた。

とても賢い猫だとは思っていたが、まるで霊猫のようである。

 小璃は、じっと黎煌の視線を受け止めるように見上げると、ふいに顔を背け、何かを決意したかのように寝台へと跳び上がった。


「……小璃?」


 黎煌が優しく声をかけると、小璃は寝台の上で小さく背を丸めた。

 絹の御帳がふわりと揺れ、その内側、透かし彫りの施された乳白の帳越しに、黒猫の姿が徐々に変化していく。


 闇の中から浮かび上がるように現れたのは、真っ白な肌と、艶やかに流れる長い黒髪。

 まるで天女が舞い降りたかのような、美しくも妖艶な女性の姿だった。

 胸元は黒髪に隠れているものの、豊かな曲線ははっきりと浮かび上がり、目を逸らすことができない。


 彼女は黎煌に背を向け、恥じらうように身をすくめながら、傍らの掛け布をたぐり寄せて裸身を覆った。


「……璃華……?」


 思わず漏れた黎煌の声は、わずかに震えていた。

 目の前で起きている現実を、すぐには受け止めきれなかった。

 猫が人へと変化したことすら信じがたいのに――

 その人間が、失われたはずの璃華だなんて。

 さらに、惚けてしまうほどのあまりにも美しい裸体がそこにある。


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