④
「そこは、霊廟のような不可解な建物で……禁忌の呪術が行われていた可能性のある場所でした」
「呪術だと? 巫蠱は、不動の罪だぞ」
不動の罪とは、国家転覆に準ずる重罪とされ、最も重く罰せられる罪である。
蠱術を用いた者は、本人のみならず親族までもが死刑に処される。
たとえ身分ある妃であろうと、逃れられぬ、そんな恐ろしい刑罰だった。
「はい。貴妃様に伺ったところ、徳妃様がすべてを用意していたと……そう、仰っていました」
「馬鹿なっ!」
黎煌は弾かれたように立ち上がる。
声が荒れ、室内の空気が一瞬にして張り詰めた。
そのやりとりを、机の下から聞いていた璃華の胸も、凍りつくように冷たくなる。
貴妃の言葉は絶対である。絶対に違うという証拠がなければ冤罪が晴れることはない。
貴妃がそうだと言えば、そうなる。後宮とは、そういう理不尽の中に成り立っている。
「姿形もなく消えたのが、その証拠だと……。この後宮で、死体もなく消息すらわからぬなど尋常ではない。呪術を使った者にしか為し得ぬことだと、貴妃様はおっしゃっておりました」
黎煌の眉がひそめられ、次第に部屋の空気が重くなる。
怒りの気配が静かに満ちていく中、禁軍太尉はわずかに逡巡し、気まずそうに言葉を継いだ。
「……さらに、不可思議な香によって操られていたとも……貴妃様は、そうおっしゃっておりました」
貴妃は、自らの罪を隠すため、呪術の痕跡を璃華に擦り付けるつもりなのだ。
消えた璃華にすべての罪を押しつければ、自身は無傷でいられる。反論できる者がいない今、陰謀は着々と進んでいた。
もし、璃華が禁忌の呪術を使ったと断じられれば――
不動の罪。死刑は免れない。
それどころか、湛州にいる璃華の親族にまで、累が及ぶかもしれない。
……いや、それよりも先に――
芙蓉殿で仕えていた下女たちが、最初に処罰されるのだ。
(……阿李が、危ない)
その一念に突き動かされ、璃華は猫の姿のまま駆け出した。
「小璃っ⁉」
これまで片時も離れず、常に黎煌の傍らに大人しくいた小璃が、突如として飛び出していったことに、黎煌は目を見張っているようだった。
けれど今は、じっとなどしていられない。
璃華の罪が確定すれば、真っ先に処刑されるのは、侍女である阿李なのだ。
人の姿であれば許可証なくして通れぬ後宮門も、猫の身であれば何の障害もない。
ましてや、小璃には御賜の紋が刻まれた墨玉石がついている。誰も、それを咎める者はいなかった。
誰の目も気にせず、後宮の中へと駆け戻った璃華は、迷いなく芙蓉殿へと向かう。
久方ぶりに戻った芙蓉殿には、どこか淀んだ、重い空気が漂っていた。
呪いの根源だった大香炉は、璃華が自ら破壊した。だからこの淀みは、呪術のせいではない。
主を失った宮に満ちていたのは、仕える者たちの、深い悲しみだった。
「娘々、娘々、どこに行ったのですか……」
阿李は庭園の土に膝をつき、手を真っ黒に染めながら、涙を流して素手で土を掘っていた。
「そんなところを掘っても、娘々は出てきませんよ……」
そばにいた下女たちが、心配そうに見守りながら、優しく声をかける。
「でも……でも……。探せるところは全部探したんです。もう土の中くらいしか……娘々の場所を教えてくれる何かが、出てくるかもしれないから……」
阿李の頬には、乾きかけた涙の筋がくっきりと残っていた。
どれほど泣いていたのか、その顔がすべてを物語っている。
(阿李……ごめんなさい)
こんなにも心を砕かせてしまっていたなんて。
璃華の胸は、張り裂けそうなほど痛んだ。
「突然走り出すから、どこへ行くのかと思えば……やはりここだったか、小璃」
振り返ると、肩で息をしている黎煌の姿があった。
長衣の裾が風に揺れ、息を整えようとする彼の表情には、微かな安堵と疲労が滲んでいる。
「陛下っ!」
下女たちは慌てて膝をつき、その場にひれ伏した。
だが、阿李だけは黎煌の存在など眼中にないかのように、「娘々……娘々……」と呟きながら、ただひたすら、土を掘り続けていた。
まるで何かに取り憑かれたようなその姿に、黎煌はわずかに眉をひそめ、そっと阿李の傍へ歩み寄っていった。
「土を掘ってどうする。璃華の遺体でも、埋まっているとでも?」
その言葉に、阿李は顔を上げ、キッと黎煌を睨みつけた。
そして、涙まじりに叫ぶ。
「娘々が、死んでいるはずないじゃないですかっ! 絶対に、娘々は生きています! 私は……娘々に繋がる何かを、探してるんです!」
そのあまりの剣幕に、肝を冷やしたのは周囲の下女たちだった。
皇帝に向かってそのような口調で言い放つとは、恐れ知らずにも程がある。
だが、黎煌は怒るどころか、静かに頭を下げた。
「……そうか。すまない」
まさか皇帝から謝罪の言葉が返ってくるとは思わず、阿李は目を丸くする。
気が触れたように虚ろだったその目に、ほんの僅かだが、光が戻った。
そして、唇を震わせたかと思うと、次の瞬間には顔をくしゃくしゃに歪めて、大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「……う、うわぁぁん……娘々、どこに行ったんですか……戻ってきてくださいぃ……!」
まるで子どものように泣きじゃくる阿李に、黎煌はそっと近づき、黙って肩に手を置いた。
「娘々は……娘々は、私の命の恩人なんです」
阿李はしゃくりあげながら言葉を継ぐ。
「死にかけていた奴婢だった私を、娘々は見捨てず、世話をしてくださいました。それからも、ずっと傍に置いてくださいました。あんなに優しいお方を、私は他に知りません。心根の綺麗な、気高いお方です。あの日、救っていただいたときから、私は……私の命を娘々に捧げると、そう決めていたんです。それなのに……っ」
阿李の震える声を聞きながら、璃華の胸は張り裂けそうだった。
言葉のひとつひとつが真っ直ぐに沁みてくる。
猫の姿では涙が出ないのが、もどかしかった。
(阿李……そんなふうに思っていてくれたの……?)
「うむ。気持ちは、よくわかるぞ」
と、傍らの黎煌が低く、静かに口を開く。
「余も、璃華以上に心根の清らかな女を見たことがない。聡明で、強く、優しく……そして、天女のごとく美しい」
その言葉に、璃華は思わず身を縮めたくなるほど恥ずかしくなった。
心臓が跳ね上がり、耳の奥まで熱くなる。




