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九話

 壁に取り付けられた鉄筋を登り、キャシーはウィータの部屋まで帰ってくる。

 部屋を覗くと暗く、いつも付いているランプすら付いていなかった。


 キャシーはヌルッと窓ガラスを潜り抜けて辺りを見渡した。


 しんと静まり返った部屋は鬱屈としている。


 キャシーは机の上にアクアマリンの首輪を置くとベッドの方を覗き込む。

 靴すら脱がず、枕を引き寄せて顔を埋めるウィータがいた。


 メガネは割れない様に端に避けてある。

 帰ってきた事を伝えようとキャシーは一鳴きした。


「にゃー」


 静かな部屋に自分の声だけが響く。

 他に誰もいないんじゃないか、そう思ってしまうほどウィータは顔を上げてくれなかった。

 やがて、深い眠りから目を覚ましたのかウィータは顔を上げる。


「キャシー……戻ってきてくれたのか?」


 眠っていたらしく、ぼんやりとした目を擦りながらメガネを探す。


(ウィータ……ずっと泣いていたの?)


 目尻が赤く腫れているのを見つけたキャシー。

 彼女の心はチクチクと痛む。

 キャシーはベッドに飛び降りるとウィータの懐に擦り寄った。


「ごめん、キャシー……君を置いて帰っちゃって」


 謝る彼にキャシーは頭を擦り付けて首を振る。


(あなたは悪くない。謝らなくて大丈夫)


 そう、伝えたかった。しかし、ウィータには拗ねている様に見えたらしい。

 彼は再び謝りながらキャシーの頭から背中を優しく撫でた。


「ごめん、ごめんな……僕、怖かったんだ。自分はおかしな奴だって思ったのが」


 震えながら話すウィータ。

 キャシーの本能が聞きたくないと叫ぶ。

 震える様な彼の声を聞いていると胸が苦しくなるのだ。

 それでも、決して話を止めず、ジッと堪える。

 彼の声を聞けるのは、今、自分しかいないのだから。

 再び溢れ出す涙や鼻水を靡きながらウィータは心の内を明かしてくれた。


「シルフィードに師匠が誰か、聞かれた時、僕は怖くなったんだ。教えてくれる人がいないのに一人で魔法を覚えようとする大馬鹿者だって思われるのが……」


 魔法使いには必ず師匠がいる。

 そう教えてくれたのはウィータ自身だった。だが、彼には師匠がいない。

 産まれてこの方、師匠を見つける機会を得られなかったのだ。

 魔術に没頭するあまり、教えを乞う相手を探しに出なかった。

 唯一、魔法を扱う人にすらウィータは頼らなかったのだ。

 その理由はキャシーにも、もう痛い程、分かっている。


「僕には魔力が殆どない。少し使っただけで死にかけるぐらいだ……こんな状態じゃ、メープルのお父さんも教えてはくれない。だって、危ないのだから」


 項垂れて行く彼はやがて、丸い石の様に蹲ってしまった。


「僕は本当にバカよ。魔法を学びたいのに師匠を探さず、ずっとさぁ」


 やめて……


「おまけになんだい? 魔力もないくせに魔術師を目指していて」


 お願い……やめて……


「本で覚えただけの力を使って本物の魔法使いとやり合えるって思ってたんだよ」


 お願いだから……


「大馬鹿すぎるよね! 本当に、アハハ」


 自分を貶して行くウィータ。

 ずっと耳を傾けていたキャシーだが、もう耐えられなかった。

 金切り声の様に耳に響く彼の声を聞いてあげられない。

 これ以上、自分を責めないでほしい。

 キャシーは初めてご主人に全身全霊で体当たりをした。

 突然、ぶつかる衝撃に蹲っていたウィータは跳ね起きる。

 見るとキャシーが今までにない腱膜で自分を睨んでいた。

 彼女は低く唸る様に鳴き始める。


「うーーにゃ(あなたは馬鹿じゃない)」


 自暴自棄になるウィータに前を向いて欲しい。

 キャシーは急いで机の上に飛び乗った。


 ランプを照らし、彼の杖を探す。しかし、ウィータは杖を隠していてキャシーには見つけられなかった。


 代わりにインクに浸ったペンを抜き取って、床に飛び降りる。

 口に咥えたペンをキャシーは指揮棒の様に振り回した。


「にゃ、にゃ! にゃー」


 黒いインクがあちこちに飛び散って行く。

 キャシーの真っ白な毛に黒い染みが付いてしまう。だが、気にする事はなかった。


 ウィータに自分の思いが伝わるのならば、それでいい。


 ペンを振り回していたキャシーはウィータを見上げながら座り込む。そして、差し出す様にペンを置いて不安げに鳴いた。


「にゃー(伝わったかな……?)」


 動き回ったせいで息が乱れるキャシー。

 彼女の様子を見ていたウィータは息苦しそうに口を閉じて、涙を堪えていた。

 ウィータは震える声で問いかける。


「キャシー……僕は、魔法を続けていても良いのかな?」


 キャシーは返事をする代わりにペンをもう一度押すだけだった。

 黒い染みが床に溢れる。

 同時にウィータの頬に透明なインクが溢れていた。


「ありがとうキャシー。僕はまだ、魔法を続けたいんだ」


 ウィータはゆっくりと立ち上がり、ペンを拾い上げて言う。


「あいつに……シルフィードに今度こそ勝ちたい」


 彼はメガネを拾い、掛けなおした。そして、振り返り、キャシーを抱き寄せる。


「僕は続けるよ、キャシー。例え、危険だって分かっていても続けたい」


 ウィータの目に一瞬、黄緑の輝きが浮かぶ。だが、すぐに消えてしまう。

 代わりに力強い想いを宿した黒い瞳がキャシーを見ていた。

 自分を責めていたウィータはもういない。


「キャシー」


 夢に向かって行く決意を固めた彼は確固たる意志を持っていた。


「インク塗れじゃないか、風呂に入ろうね」


「にゃー?」


 ウィータはにっこりと笑って話す。

 だが、彼が何を言っているのか、キャシーにはまるで分からなかった。


「インクのシミぐらいなんとか出来るのだけど、流石に数が多い。目立つ所は先に片付けないと」


 この世界に来て水にはいい思い出がない。

 何せ死にかけたのだから。

 お風呂と聞いて体が強張る。


(にゃにゃにゃんで? 同時にやれば……)


 震えて問いかける様に見つめる彼女にウィータは申し訳なさそうに眉を下げる。


「すまない、回復は少しずつしているんだけど、部屋全体は難しい。目立つ所は消すけど、君までやってあげられない」


 キャシーはお風呂場へと連れていかれてしまう。


「みゃーーーーーーーーーーー!(止めるにゃ! 早まるにゃ! 押さないで)」


 桶に溜められたお湯を全力で拒絶する。

 必死に桶の縁に足を引っ掛けてつからない様にしていた。だが、ウィータに慈悲などない。


 彼はキャシーを軽く持ち上げる。


 引っかかっていた足は伸びたまま、樽の中へ使って行く。


(みゃーーーー! 水、水、熱い、熱いにゃ!)


 バシャバシャとお湯を跳ねかすキャシーを宥めながらウィータは彼女を丁寧に洗って行く。


(あっ、そこ、触っちゃ……にゃーお湯があっあっあ)


 生暖かい彼の指が耳を優しくほぐしていった。

 背筋が凍りそうな感覚と心地よさが混ざり合い、頭の中で溶けて行く。

 お風呂を嫌っていたキャシーだが、部屋に戻った時にはさっぱりと気分も晴れていた。


「にゃ〜」


 心なしか喉の調子もいい。


「これは?」


 毛繕いをして、身だしなみを整えているとウィータが机の前で呟く。

 見てみると彼の手に水色の宝石が握られていた。


(あっ、それは……)


 シルフィードのお婆さんから貰った首輪。


「こんな高価な物がどうしてここに」


 目を丸くするウィータ。

 キャシーはポカポカと夢見心地で特に気にしてないが、魔法石はとても貴重な代物である。


 純度のいい物なら尚更だ。


 そんな代物が机の上に放置されている事に疑問を覚えるウィータだったが、背後から自分を呼ぶ声に振り返る。


「みゃー」


 真っ白なキャシーが水色の瞳で彼を見つめていた。

 彼女の視線にウィータは何かを察する。


「おいで、キャシー」


 キャシーは素早く駆け寄るとウィータはしゃがみ込んでくれた。

 彼はそっと両手を下ろし、青いリボンをキャシーの首に掛ける。

 ウィータはクスリと一人微笑んでくれた。


「きっと、母さんが用意してくれたんだな……」


 彼なりに納得しながら白猫の喉元に見つめる。

 猫の瞳と同じ水色の大きな宝石が装飾と共に飾られていた。


 大好きな人に証を付けてもらえたキャシーはニンマリと笑みを浮かべてしまう。

 彼女はゴロゴロと喉を鳴らしながら、ウィータに自慢の宝石を思う存分見てもらうのだった。

あやしいものじゃないよ、あやかしだよ。

どうも、あやかしの濫です。

水にはあまりいい思い出がないキャシーは本能からもとことん苦手みたいです。

四つ足全部をピンっと伸ばして抵抗するのは申し訳ないけど面白いですよね。

でも、今回は暖かいお湯なので案外悪くなかったみたいで良かった。

興味を持った方、面白いと思って頂けたらば、ぜひ、ブックマーク高評価よろしくお願いします。

他作品も書いていますのでよろしければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。


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