三十話
ウィータの危機にキャシーは貯まらず飛び出て来た。いや、もっと早く飛び出て来るべきだったのだ。
彼らの戦いを見ていたキャシーは出る事に躊躇していた。
次々とやられていく少年たちを見て、前へ出なければと思ってはいたのだ。しかし、猫である自分に何ができる。
生身の人間の体だとして、何か出来たのだろうか?
きっと何も出来ないに違いない。
そう思うと動く事を躊躇ってしまうのだった。
(どうしよう、どうするにゃ?)
ドキドキと揺れる心臓の音を聞きながら、キャシーは選択に迫られる。
氷で手足を固められたシルフィードは、蘇った最強の魔術師ダマンフレールに何やら詰め寄られていた。
黒い邪悪なオーラに黄金の刺青が浮き上がる。
(にゃにが起こっているのか、わたしには分からにゃいけれど……助けにゃき)
でも、どうやって?
進む道を見つけたとして、どうやって進めばいいのか?
川を前にして何をどの様にして渡ればいいのか、キャシーの頭の中には何一つ組み立てられずにいた。
したい事があっても、やり方が分からない。
到底動くことが出来ずにいる。
その時だ、一発の魔法が大魔術師の腕を撃ち抜く。
ダマンフレールの腕に浮かび上がった魔法は瞬く間に消えてしまう。
最強の魔術師の魔法を止めたのは黒茶けた髪に丸メガネをかけた少年、ウィータだった。
彼は真っ直ぐに立ち、一本の杖をダマンフレールに突きつけている。
ダマンフレールもこれには驚いたらしく、興味をウィータに向けた。
(ダメにゃ、逃げるにゃ!)
ゆっくりとされど、着実に近づいて来る存在にウィータは何も出来ずにいる。
(魔力がもうないの?)
彼はすでに六回魔法を使ってしまったのだ。
そうでなければ、すでに手を打っている。
遂にウィータとダマンフレールは向かい合ってしまう。
(逃げて、逃げて、逃げて!)
キャシーの訴えなど届くはずもない。
ダマンフレールはシルフィードに向け用とした魔法をウィータに使おうとした。
「にゃー!(ダメ!)」
一歩も動けずにいたキャシーは、思わず飛び出してしまう。
もう訳が分からないまま彼女は走り出していた。
あの魔法に触れられたらきっと、ウィータは消えてしまう。
そんな悪い予感がした。
彼が消えてしまうなんて、キャシーには到底、耐えられる話ではない。
自分を助けてくれて、愛してくれた存在。
たった一つの幸福を奪われたくない。
キャシーは必死に鳴きながらかけて行く。
「みゃーみゃー(ダメ、離れろ、ウィータに近づくな!)」
遠く離れた場所から突然、現れたキャシーに危機に立っていたウィータは、思わず目を見開く。
彼があんな風に驚いてくれて、こんな場面でなければキャシーは嬉しく思えた。
驚く彼の隣でダマンフレールは罰の悪そうにため息を溢す。
「猫が一匹、紛れ込んでいたのか。おそらく、誰かの使い魔か……動物とは言え、見られていては不味い。消えてもらおう」
邪悪なオーラを纏っていた腕は突然光だし、二つの魔法陣が縁を描く様に現れる。
ギラギラとダマンフレールの手から宝石が浮かび上がって来た。
「宝石魔法? まさか!」
呆然と立ち尽くしていたウィータは何かを察して走り出す。
「キャシー、来るな!」
彼はダマンフレールの正面を走り、キャシーが見えない様にする。
「みゃー(ウィータ、逃げて)」
「ダメだ! 隠れて!」
「みゃ!(ウィータ、後ろ!)」
「キャシー!」
眩い光が彼の背後でチカチカと輝く。
最強の魔術師ハーヴィ・ウルクスピレウス・ダマンフレールが宝石を撃ち出した。
キャシーには一瞬の音と光しか見えず、ウィータの背後にちょうど隠れてしまっている。
ウィータもまた、キャシーを守る為に走り出してしまう。
その為、ダマンフレールの魔法が見えない。
彼は両手を広げてキャシーを抱き上げようとする。だが、キャシーが胸に飛び込んだ。次の瞬間、するりと彼の体を潜り抜けてしまった。
「え?」
ウィータはきっと取るのを失敗したのだと焦っているに違いない。
彼の不甲斐ない声を耳にキャシーはほんの少しの申し訳なさを抱いた。
ウィータと同じ様に、いや、それ以上にキャシーも彼の事を守りたいと思っている。
眩く輝く宝石が弾丸となってこちらに向かっているのを見て、キャシーの気持ちは明確な思いになった。
今までに出した事もない鳴き声を腹の奥から震え上がらせる。
「ミャーー!」
刹那、彼女の首輪に付けられた魔法石が眩く輝いた。
青白い光は割れる様な音と共に消えてしまう。
「……」
ウィータは何が起きたのか、振り返る事すら、堪らなく恐ろしかった。
確かにあの子を腕に抱え上げたはず。
震える手を見ながら彼は思い返した。だが、あの子は腕の中にはいない。
ウィータは恐る恐る後ろを振り返る。
彼の顔から一気に血の気が引いて行く。
雪の様に白い猫が、水色の宝石の様な瞳を閉ざして静かに眠っている。
あぁ、もう、目を開けてくれない。
ウィータの脳裏に諦めの言葉が過ぎる。
「……だ……う、そ、うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
受け止めきれない光景に彼は首を振る。
「どうして……どうして君がここにいるんだ! キャシー、キャシー!」
愛猫の名前を必死に叫ぶ。
呼べばいつも嬉しそうに顔を上げてくれた。
手を伸ばせば気持ち良さそうに頭に乗せてくれる。
愛おしいキャシーはもう顔を上げてはくれなかった。
「なんでなんだ……」
キャシーに近づいていたウィータは膝から崩れ落ちる。
「どこで間違えたんだ?」
彼はキャシーを抱き寄せて必死にあるはずのない原因を探す。
上げれば上げるほど理由ばかりが思い浮かぶ。
(この子を抱えられなかったから、最強の魔術師を倒せなかったから、実力もないのに魔術試験を受けたから、魔力もないのに……)
静かに眠るキャシーを前に胸の奥で地獄の様に燃え上がる激情が生まれて行く。
肺が燃える様に熱く、胃が刺すように痛む。
大事な存在も守れないで何をしているのか?
お前の様な奴が魔法を身につける意味なんてないのだ。
そうだ、無意味な事をしていたんだ。
「ほぉ、君の使い魔だったのか、ならば、尚更都合がいい」
自身の愛猫を見下ろすウィータの前に、ダマンフレールは冷たい言葉を送る。
「動物は侮れん。間抜けな様に見えて妙に勘が鋭くて困る。それが使い魔なら尚更、厄介だったろう」
「……」
うな垂れるウィータはすでに何もかもを諦めていた。
「キャシー……君がいてくれたから……僕はここまで来れたのに……君がいなきゃ、どうにもなれなかったのに」
ぽつりぽつりと涙が溢れる。
脳裏にかけがえのない思い出が滲む様に浮かぶ。
「キャシー……君がペンを咥えて振り回してくれたから、魔法を続けても良いって言ってくれたから僕はここまで来れたんだよ」
「諦めたまえ、君の行く道はここで終わりだ。さぁ、私と代われ」
ドス黒い霧を手に纏わせて、黄金の刺青を浮き上がらせた。
ダマンフレールは再び入れ替わりの魔法を使いウィータに触れようとする。
もはや、足掻く理由を見失ったウィータは呆然とキャシーを見下ろしていた。
初めて出会った時は本当に小さな存在だったのに、今では大きな掛け替えのない存在へ変わっていたのだ。
いつも、見上げてニンマリとした笑みを浮かべてくれる。
ウィータの魔導書をいつも興味津々に覗いていた。
「きっと、魔法なんて分からなかったろうに……」
あの子はきっと、自分の為に付き合っていてくれたんだ。
ウィータはやっと気づき始めた。
いつも、落ち着くまであの子は鳴かず、沢山甘えたがるのに、ちょっかいはなかなかしない。
「僕の為にずっと、ずっと、付き添ってくれていたのかい?」
彼の問いかけに、いつものあの子ならみゃーと鳴いてくれただろうか?
ウィータは悔しくも恋しくて笑みが浮かぶ。
(今、そっちに行くから……待ってて)
死を覚悟した。その時、スッと首筋が凍る様に胸が締め付けられる。
「本当に……それが正しいのか?」
ボソリと自分が尋ねてきた。
この選択が正しいのか、家族やメープル、キャシー、そして、自分自身の為の選択と言えるのか?
「いいや、断じてない」
胸の内が痺れ始める。
ウィータは消えかけていた怒りが雷鳴の様鳴り響き、どんどん胸を叩かれていた。
「ダメだ……そんな事、認めない」
諦めるなど認めたくない。
(ここまで何のために来たんだ? メープルや母さん、父さんにどれだけ心配をかけた。そして……)
ぐっすりと安らかに眠るキャシーに視線が落ちる。
「この子は何の為に来てくれたんだ……?」
震える声は恐怖なんかじゃなった。
「チェンジング」
ダマンフレールが邪悪な腕を近づけ様とする。その時、ウィータはキャシーを抱きながら後ろに飛び下がった。
ダマンフレールは煩わしいと顔を顰める。次の瞬間、強張った彼の顔は驚きによって大きく広がり始める。
真っ黒な暗闇に炯々と輝く黄緑色の星。
「おぉ、その瞳は……まさか、君が運命の瞳を」
息を飲みながら、物欲しそうにダマンフレールは呟く。
ウィータは消すことの出来ない激情に駆られていた。
彼の瞳は黒く染まり、瞳孔は黄緑色に怪しく光る。
それはまるで動く事のない不動の星の様に最強の魔術師ダマンフレールを捉えていた。
「何の為に苦難を敷いた?」
ダマンフレールは邪悪な手を伸ばし呟く。
「おぉ、欲しい、お前の揺るがぬ、その運命……」
夜空よりも魅力的に光る星に千鳥足になりながら近づく。
「その瞳さえあれば、揺るがぬ勝利が」
「何の為にここまで来た!」
瞳の価値をどれだけ説こうとウィータには関係のない話だった。
彼は今、頭の中に書き殴っていく言葉を口に吐き捨てる。
空っぽの魔力は、空っぽの心よりも満ちているのだ。
まだ、使う事ができる。
ウィータは魔力を杖先に濃縮していく。
延々と続く事はない。
ウィータは楽しかった夢を、過酷な戦いを終わらせる事にした。
「決着を付けろ ”ピリオド・ザ・ショット”」
近づいていたダマンフレールの胸にぽっかりと穴が開く。
初めから空いていた様に開いた穴は何も得られない彼の心を物語る。
呆然と立ち尽くすダマンフレールはすでに朽ち果てた遺体へと戻っていた。
「さようなら、最強の魔術師。貴方は偉大な方でした。しかし、貴方に頼る程、私たちは弱くありません。少なくとも僕は……」
灰となって消えていくダマンフレールを見ながらウィータは一人呟く。
朦朧とする意識の中、彼はドサッと倒れてしまった。
「はは……しまった……魔力欠乏症だ」
自分もここまでなのだと乾いた笑いが出る。
遠のく意識は湖に沈む様にゆっくりと深く潜って行く。
このまま、意識が完全に消えるのだと、そう思っていた。だが、違った。
どれだけ、気を失っていたのか。
暖かな温もりにウィータはゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとする視界の中で少しずつ意識がはっきりしていく。
自分は今、誰かの膝の上にいるのだと感じる。
吸い込まれそうな水色の瞳に、雪の様に真っ白な長い髪をした女性がウィータを覗いていた。
「君は……」
あやしいものじゃないよ、あやかしだよ。
どうも、あやかしの濫です。
絶望の淵に立たされたウィータは立った一つの魔術を編み出す。
それはエゴ、自らの信念を言い表した様な荒々しく美しい一撃だった。
ウィータの前に現れた女性の正体とは?
興味を持った方、面白いと思って頂けたらば、ぜひ、ブックマーク高評価よろしくお願いします。
他作品も書いていますのでよろしければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。
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