十一話
「あら、メープルちゃん。来てくれたのね」
ウィータの部屋の前でばったりと彼のお母さんに出会う。
メープルは照れくさそうに笑いながら頷いた。
紅葉した明るい髪と同じぐらい頬も赤くなりそうだ。
「はい、ウィータ、ずっと引き篭もっていますよね。たまには外から刺激を与えないと」
鼻を鳴らしながら力こぶを見せるメープル。だが、胸の内には不安な気持ちが潜んでいた。
ウィータの部屋に入ると溢れかえった紙と本が足場を無くしていたのだ。
メープルは思わず目を見開く。
「なにこれ? ウィータ、散らかし過ぎ」
「あぁ、メープル。来ていたんだ」
ぼんやりと椅子に座っていた彼はチラリとメープルの方を振り返った。
黒茶けた髪に丸いメガネをしている。
目には疲れが滲み出ていた。
何時間も机に齧り付いていたのだろう。
彼の足元にはペットのキャシーが隠れていた。
真っ白な毛並みに水色の瞳がジッと視線を向けている。
キャシーの胸元には質の良い魔法石と青いリボンが巻かれていた。
(あれ? こんな高価な物、どこで手に入れたのかな?)
パパの画材ですらここまで高価な物を使っているのを見た事がない。
メープルは不思議に思ってしまう。
「君の部屋よりかは綺麗だと思うんだが」
椅子に座ったままウィータは言う。
「私の方がマシよ!」
メープルは思わず叫んでしまう。
「そうかい? 僕の部屋は整理さえすれば片付くが君の部屋は頑固な汚れが多いだろ?」
痛い所を突かれた。
メープルは思わず、顔を顰めてしまう。
口を尖らせて小さく呟いた。
「別に今、私の部屋は関係ないでしょ……それより」
この散らかった部屋を見渡しながら、メープルはため息をこぼす。
魔法に関する数式と術式のメモがびっしりと書かれたものや手紙の類が足元に広がっていた。
「まだ、続けるの?」
彼女の問いかけにウィータはこくりと頷く。
「続けるとも。危ないのは分かっている」
「なら、せめて、師匠を見つけるべきじゃない?」
魔法使いはほとんど、師匠から教わり魔法を学んでいく。
危険が伴う魔法は誰かが見て支えなければならない。
特に魔力量の少ないウィータなら尚更だ。
(こんなに紙を散らかすぐらい調べるなら、絶対教えてくれる人がいた方がいい)
足元の資料を見ながらメープルは思う。
ふと、足元に散らかる封筒の山を見つける。
そこにはウィータに返事を送った魔法使いの名前が書かれていた。
また別の日にメープルが彼の家に遊びに来た際、玄関の上から物音が響く。
慌てて、駆けつけてみると彼は胸を押さえて悶えていた。
いつもの様に魔法の訓練を行うウィータ。
キャシーは何が起きてもいい様に彼の側で見守っていた。
唸る様な風の音を鳴らしウィータは念を込め始める。
真っ黒な霧が溢れ出て部屋を満たして行く。
窓は締まっているのに冷えていく。
キャシーはゾッとする。
(まるで外の世界みたいにゃ)
何が起こるか待ち構えていたキャシーだが、想像以上のハプニングが起こってしまう。
突然、ウィータがくらりとふらつく。
「にゃー!」
気づいた時にはバタンとキャシーの上に倒れてしまう。
「にゃ! にゃ? にゃー!(ぎゃぁぁ! にゃんで? 潰れちゃうにゃ!)」
ウィータの体がキャシーに重くのしかかる。
ただの猫なら肋が折れていたに違いない。だけど、キャシーは違った。
キャシーには他の猫にも人間にもない不思議な力があったのだ。
潰されて行く体が突然、ぬるりと地面を潜り抜ける。
「にゃ?」
キャシーが気づいた時、下の階に落っこちていた。
トンっと見事な着地にコーヒーを飲んでいたウィータの父親と付き添いのメイドは思わず拍手を送る。
「にゃー?」
キャシー本人も何が起きたのか、分からなかった。だが、ウィータが危ない事をすぐに思い出し、慌てて走り出す。
階段を駆け上がり、彼の部屋にたどり着いた時、扉はすでに開いている。
中を覗くと慌ててウィータを譲る彼のお母さんとメープルがいた。
幼馴染のメープルは彼の胸の上で、ペンを使って魔法陣を空中に描いていた。
やり方は違うが老婆の魔法と同じだとすぐに気づく。
ジッと見守っていると高熱の様に悶え苦しんでいたウィータの呼吸が落ち着いていった。
汗だくな彼はゆっくりと意識を取り戻す。
「母さん……? それにメープル? どうしてここに」
ぼんやりとする彼にお母さんは優しく事情を話した。
「メープルが遊びにきてくれたのよ。それなのにウィータ、部屋で倒れて熱を出していたのよ。びっくりしちゃった」
にっこりと微笑む。
その顔は無理をして貼り付けているのだとキャシーにだって分かった。
「ごめんなさい……」
ウィータは俯き眉を下げる。
無茶な事をしている自覚はあった。だが、お母さんを困らせたかった訳ではない。
「……」
ウィータのお母さんは彼をベッドに寝かしつけると立ち上がり言った。
「念の為、お医者さんに診てもらいましょう。手の空いている者に呼んで来てもらうわ」
彼女は子供部屋を後にする。
ウィータの部屋には重たい空気が漂う。
ムッと顔を顰めるメープルの強い視線に目を背けるウィータ。
やがて、メープルの方から話を切り出して行く。
「なんでなの?」
「……」
「なんで、こんな事するのウィータ? どうしてなの?」
命の危険を犯してまで魔法を行なう理由がメープルには理解できなかった。
「色んな魔法使いに申し出て、全部ダメだったんだよ。なんで、まだ続けるの?」
彼女の問いかけにウィータは何も答えない。
答えられずにいた。
「ねぇ、ウィータ。魔法使いになろうとしなくていいんだよ。別にウィータなら魔法がなくても途方に暮れることなんて無い」
声を震わせながら、メープルはウィータに諭す。
国に重宝される魔術師、魔法使いになれたとしたら、確かに生きて行くに困らない。だが、成らなくても自分たちなら困ることは無い。
メープルの考えは間違っていない。
部屋の外でジッと見守るキャシーもウィータなら地位の高い役職なんていくらでもつける。
(ウィータが苦しむのは見ていて辛いにゃ……確かに、あの女の言う通り、ウィータなら少し学んだだけで何にでも慣れるにゃ……)
キャシーにも、メープルにも、その確信があった。だが、キャシーは首を横に振る。
(でもね、そんな為にウィータは頑張ってにゃいの)
ウィータが魔法を続けるのは決して、未来を見据えて努力しているからではない。
自分の思いに正直に向き合っているだけだ。
例え、今は理由なんて持たなくても。
夢はあるのだ。
メープルの言葉にウィータは俯く。
「違う……」
「え?」
メープルは彼の小さな声に耳を傾ける。
「違うんだ。魔術師になって、高位になる為にやっているんじゃない」
絞り出す様に掠れた声で彼は言う。
「僕はただ、魔法が好きなんだ……楽しいから続けていたいんだ」
俯いていたウィータは顔を上げて、メープルの方を見る。
カッと見開いた瞳は必死で思いを訴えてきた。
「色々出来るようになって来たんだ。魔力のコントロールも前より良くなっている。もう、少し試してみたら完璧にマスターするから」
「あなたは死ぬかもしれないんだよ!」
ウィータの言葉を遮りメープルが叫ぶ。
気づけば、彼女の目に涙が滲んでいた。
ウィータもその事に気づき、口を注ぐむ。
「メープル……」
「ねぇ、ウィータ。なんで、そんなに生き急ぐの? まさか、魔法試験に受けるつもり⁉︎ 馬鹿な真似は辞めて」
無茶を繰り返すウィータに何か理由があるのではと思ったメープル。
考えられる中で一番、可能性があったのは数日後に行われる魔法試験だ。
この試験は『最強』の二つ名が送られる事になっている。
国の最強を決める戦いと言ってもいい。
長年研鑽を積んだ魔術師たちに挑む事すら無謀と言えるのだ。
ましてや、新参者のアマチュアがどうにか出来るわけがない。
魔法使いの家系で育ったメープルには見なくても分かる事だ。
「メープル、僕は大会に出るつもりはないよ。ただ、決着をつけたい相手がいるだけだ」
街で出会った少年がウィータの頭の中に浮かんでいる。
彼にとってシルフィードとの再戦が今、一番の目標だった。
「それに」
ウィータは笑みを浮かべて言う。
「自分の実力くらい分かっているし、僕は魔法が好きなんだ。だから、もっと色んな事をやってみたい」
彼の言葉にメープルは目を細める。
「嘘だよね」
幼馴染の彼女ならウィータの考えぐらいお見通しだった。
「絶ッ対嘘でしょ。こんなに魔法をやめないくせに、無欲なんて言い訳が通用する訳ないじゃない」
メープルの言葉にウィータは肩を振るわす。
図星を突かれてしまった様だ。
「兎に角、絶対、ぜーったい! 危ない事はしないで」
念を押す様に顔を近づけて言うメープル。
ウィータはぼんやりとした様子で彼女を見つめていた。
「な、なに?」
訝しむメープルに対し、ウィータは尋ねる。
「やりたい事に向き合えない人生に何の意味があるんだい?」
彼の質問にメープルは言葉に詰まってしまう。
シンとする空気に覗く黒い瞳の中には黄緑色に輝く怪しい光りが見えた。
ウィータから異様な気配を感じ取ったメープルは一歩下がってしまう。
彼女は目を背けながら呟いた。
「きょ、今日は帰るね。ウィータも体調がすぐれないだろうし……」
言い終わると逃げる様に部屋を後にする。
メープルが去った後、キャシーはトコトコとウィータのベッドに乗り込んだ。
「にゃー(体調はどうにゃ?)」
あの女に治療してもらったとはいえ、心配になったキャシーは尋ねる。しかし、ウィータは別の事を考えていた。
彼はそっとキャシーの頭を撫でながら寂しそうに眉を下げる。
「危険だ、危険だって言うなら……君が魔法を教えてくれたらいいじゃないか……」
この言葉は自分に向けられた訳じゃない。
キャシーだって分かっている。
たった一言で彼は救われたのかもしれない。
キャシーは寂しげに目を瞑る。
ご主人の求める物を届けてあげる事は出来ないのだ。
ウィータが優しく撫でる手に身を委ねながら、彼の寂しい心が少しでも満ちてくれる事を願った。
ウィータはその後も繰り返し魔法を使い、その度に魔力欠乏症に陥る。
キャシーは魔法を使い、彼を苦痛の中から救い出す。
気づけば、魔法の詠唱すらせずに使える程、熟達していた。しかし、度重なる魔法の発動にキャシーも疲弊して行く。
朝も夜もウィータが魔法を使わない時は体を休めていた。
ある日、ぐったりと眠りについていたキャシーはヒゲがこそ痒く感じて目を覚ます。
ひんやりとした空気が吹き抜けて来た。
身震いをして目を開けると、いつも閉まっている窓が開いていた。
霧と闇で一寸先も見えない世界。
悲しい程、冷たい世界の窓を開けていた。
部屋が暗く、唯一の明かりだったランプも消えている。
キャシーは体を起こしながら暗闇に目を凝らした。
水色の瞳が細く鋭くなる。
ぼんやりと広がる闇が次第に和らぎ、薄暗い室内が見える様になって行く。
窓を開けて外を眺めていたのは、他でもないウィータだった。
彼は少し離れた場所から静かに外を睨みながら立っている。
その手には短い杖が握られていた。
彼が何かをするのだとキャシーは気づく。
全身が強張り身構える。
神経が逆立ち、周囲の音が大きく聞こえて来た。
普段は聞こえない遠くの時計の音がカチカチと耳に残る。
ウィータはゆっくりと杖を顔の前に構え、前へ伸ばす。
まっすぐに伸びた腕は微動だにしなかった。
凄まじい集中を見せるウィータは、ただ一点に魔力を集約して行く。
細く、細く、限界まで細く。
ために貯めていく。
次の瞬間、ピュンッと風を切る音と共に何かが撃ち出された。
魔力を高密度まで収縮した物だ。
同時に彼が倒れるかもしれないと構えてしまう。
心配するキャシーに気に求めず、ウィータは続けて一発、二発そして、六発と続け様に撃ち続ける。
「……」
彼が倒れると思っていたキャシーはジッと見守っていた。だが、彼女の用意が必要となる事はなかった。
「ジャスト六発」
ウィータは自信に満ちた微笑みで一人呟く。
丸いメガネの内には勝利を確信する黒い瞳が写っていた。
彼は遂に自身の魔力量と操る魔法を見つけ出したのだ。
「これで、戦える」
月すら見えない霧の国でキャシーは一人の少年が才能を発芽させた瞬間を目撃した。
あやしいものじゃないよ、あやかしだよ。
どうも、あやかしの濫です。
のめり込む姿はもしかすると誰も理解できないのかなと正直不安になりながら書いています。
ウィータにとって魔法はのめり込める好きな事でそこで出会った目標に向かいたい思いも揺るぎません。
例え、どんな危険な事があっても……人はこのような物を「狂気」と言ったりしますよね。
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