第90話 外棟班、登録
第90話 外棟班、登録
受付の窓口で、ペン先が、一瞬、紙に引っかかった。
リオネルの手が止まる。それから、何ごともなかったみたいに、また動き出した。
大会本部の受付ホールは、朝から列ができていた。窓から差し込む光と、壁沿いの魔導灯の明かりが、床の上で重なっている。五つ星班、四つ星班と、格の順に窓口が空いていく。俺たちは、いちばん端の、いちばん短い列に並んでいた。前には二人しかいない。それでも、順番はなかなか来なかった。窓口の職員が、書類を一枚ずつ、やけに丁寧に確かめているせいだった。
列の先頭でも、似たようなやり取りが続いていた。四つ星班の一つが、書類の記入漏れを指摘されて、その場で書き直している。列は、静かに、ゆっくりと動いていた。
ようやく順番が来て、リオネルが名簿を差し出した。
「十二名。前線六、支援四、控え二。以上です」
俺は、リオネルの後ろで待っていた。星冠戦の登録は、班長か、代理の記録係が窓口に出向く決まりだ。今回はリオネルが行き、俺はただの付き添いだった。手続きの数字が、自分の目で見た数と合っているか。それだけは、確かめておきたかった。
受付の男は、渡された名簿を、二度見た。一度目は数字を、二度目は、外棟という文字を。それから、机の下から綴じた規定書を取り出し、指でなぞって、該当の条を探しはじめた。長い沈黙だった。
「……前線六、支援四、控え二。規定の枠には、収まってる」
拍子抜けするくらい、あっさりとした結論だった。判を押して、団体控えを一枚、リオネルへ渡す。続けて、輪ゴムで留めた参加証の束も差し出した。人数ぶん、まとめて発行されるものらしい。束の角が、少し反っていた。何度も使い回した輪ゴムなのだろう。
「……本当に、これで出るのか」
「はい」
男は、それ以上は訊かず、次の書類へ手を伸ばした。
リオネルが、束から一枚だけ抜いて、後ろの俺に回した。残りは、輪ゴムごと、自分の内ポケットへ。
窓口の脇に、長机が並んでいる。順番待ちの列に、見覚えのある顔がいくつか混じっていた。誰もが、こちらを見ないふりをして、こちらを見ている。
「……あれだろ、番外の」
「十二人、って聞いた」
「勝ち目、あるのか、あれで」
誰にともなく交わされる声だった。答える者はいない。列のずっと後ろのほうで、誰かが小さく笑う声がした。
リオネルは、その声のほうを見もせず、帳面を胸に抱え直した。次の一手だけを考えている横顔だった。
隣の窓口では、五つ星のクラウス班が、もう手続きを終えていた。担当官が、深く一礼している。うちの窓口とは、頭の下げ方の角度からして違っていた。
壁際に、木の掲示板が立てられていた。上段に、今大会の予想順位表。下段に、対戦表。各班の名前の横に、星の数だけ印がついている。上から順に見ていくと、外棟班の名前は、いちばん下だった。星の印はゼロ。名前の横に、誰かが小さく「?」と書き足していた。
俺たちは、掲示板の脇で、荷物持ちに残っていたボルクと合流した。柱に寄りかかって待っていたボルクの、片方の靴紐が、ほどけかけているのが目に入った。
「紐」
「……ああ」
ボルクは、しゃがんで結び直しながら、ついでのように言った。
「星冠の連中、控え室で肉を焼いてるらしい。匂いが、廊下まで来てた」
「それが」
「腹が減った、というだけの話だ」
どうでもいい話だった。
「帯は」
俺が訊くと、ボルクは、腰のあたりを軽く叩いた。
「新しいのに換えた。前のより、締まりがいい」
それきり、ボルクは口を閉じた。紐を結び終えて、立ち上がる。
リオネルが、内ポケットの上から、控えの束を一度、掌で確かめた。
「十二人ぶん、間違いなく通った。これで、後戻りはできない」
「今さらだろ」
「今さらだ。だから、確認した」
言い方に、感情は乗っていなかった。
「……お前」
声のするほうを見ると、グレンが、掲示板の脇に立っていた。三つ星上位、四つ星候補。予選で、俺たちが最後に下した相手だ。
俺は、少し間を置いてから、口を開いた。
「まだ、本部に用があるのか」
グレンは、壁の掲示板のほうへ、顎をしゃくった。
「見に来ただけだ。悪いか」
言葉のわりに、その場を動く気配はなかった。
下段の対戦表には、もう、グレンの班の名前はない。俺たちが勝った、その分だけ。
グレンは、視線を外した。何か続けようとして、やめたふうだった。あの日、地面に護り石の欠片を転がしたまま、口をつぐんだのと同じ間があった。
「……無理はするなよ」
誰に向けた言葉なのか、はっきりしなかった。
「お前が言うのか」
「お前しか、言う奴がいないだろうが」
それで会話は終わった。グレンは、こちらの返事を待たずに、廊下の奥へ歩いていった。何か言い返そうとしたが、言葉より先に、背中が遠ざかっていた。
入れ替わりに、受付の列のほうから、書類挟みを胸に抱えた男が、こちらに近づいてくる。エリオだ。リシアの従兄で、家の名を継ぐ側の一人。大会本部の職員と、短く言葉を交わしながら通り過ぎていく。目は合わなかった。書類挟みの角が、魔導灯の明かりを弾いて、一瞬だけ白く光る。
リオネルは、掲示板の下段から、目を離さなかった。対戦表の隅の一枚が、剥がれかけて、めくれたままになっている。
「外棟班、第一試合。相手は――」
「知ってる」
最後まで言わせなかった。リオネルは、めくれた紙の端を、指で軽く押さえた。指を離すと、また元どおりにめくれた。
「行くか」
ボルクが言った。俺たちは、闘技場のほうへ、廊下を進んだ。他の班の連中とすれ違うたびに、視線だけが、後ろについてくる。ひそひそと、何かを言い合う気配が混じっていた。廊下の窓の外、旗の列が風もないのに、ときどき裾だけ持ち上がっていた。誰かがどこかで、屋根の開閉を試しているのだろう。廊下は、外の光が届きにくい造りで、壁沿いの魔導灯だけが、俺たちの影を、二重に落としていた。
控え室の前に着くと、外棟の連中がもう集まっていた。リシアが、膜の調子を確かめるように、指先を軽く曲げ伸ばししている。
「膜、仕上がったか」
俺が訊くと、リシアは、指を止めずに答えた。
「訊かないでください。験が悪い」
その脇を、サラが水筒を配って通り過ぎていく。「今日は冷えるね」誰かの返事を待たず、もう次の一本を渡している。ボルクが、無言で受け取って、腰の帯に挟んだ。
「揃ったな」
イザークが、揃った十二人をざっと見渡して、それだけ言った。
控え室の奥から、闘技場の音が、うっすらと届いてくる。観客席の埋まっていく気配。誰かの号令。滑車の軋む音――前に一度、聞いた覚えのある音だった。声援の束が、まだ形になる前の、低いざわめきとして響いていた。二千か、三千か。数えきれない声だった。
俺は、内ポケットに畳んだ、自分の参加証の感触を、指の先で確かめた。角が、少し、折れていた。輪ゴムの跡だ。
鐘が鳴った。
長く、低く、一度。余韻が、天井の高いところで、しばらく残っていた。
控え室の空気が、それだけで変わった。誰も、口を開かなかった。イザークが、先に扉を押し開ける。
隙間から、闘技場の明かりが、一筋だけ差し込んだ。その光の向こうに、動かない人影が、等間隔に並んでいた。爪先の向きまで、揃っている。誰かが号令をかけた様子もないのに、だ。
俺たちは、その後ろについた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
星冠選抜戦、いよいよ登録です。開幕はもうすぐ。
次話(星冠戦、開幕)もよろしければお付き合いください。感想やブックマークをいただけると励みになります。




