第87話 外棟の作戦会議
第87話 外棟の作戦会議
部屋に入ると、サラが「そろそろ火鉢、増やしてほしいんだけどな」と、誰にともなくこぼしていた。返事をした者はいない。
「正面は、なしだ」
イザークが、板に描いた六つの丸を、手のひらで一度に消した。
訓練棟のいちばん奥の部屋。長机に、外棟の連中が集まっている。合同任務から三日。何人かの外套の裾には、あの日の泥が乾いたまま残っている。ボルクは、椅子を引かずに壁際に立ったままだ。ミレーユに「危うい」と言われたことを、口にする者はいない。反論する暇もなく、通りすがりに置いていかれた言葉だ。
あの一日で、はっきりしたことがある。星冠第一班の連携には、穴がない。
合同任務で、俺は一度だけ火を撃とうとした。狙いは、魔物の壁の薄いところ。撃つ寸前、エレノアがもう味方を後ろへ下げていて、俺の火の先には、味方の背中しか残っていない。腕を下ろした。それで終わりだった。言うほどのことでもない。ミレーユが場を見て、クラウスが道を塞いで、その次にはもう回復の輪が広がっている。俺たちの番は、いつも一つ、遅れて回ってきた。
「あの輪の中に、正面から飛び込んで勝つつもりか」
イザークが、消したばかりの板を、指の背で叩いた。ボルクが壁際から「……この部屋、前より寒くないですか」と言った。イザークは、それを聞かなかったことにして続けた。
「無理です」
言ったのはリシアだった。声は淡々としている。
「わたしたちの膜も、レンの火も、あの連携の一周を止められません。真ん中で受けたら、そこで終わりです。合同任務で、いやというほど分かりました」
「そうだ。だから、真ん中には行かない」
イザークが、板に横一本、線を引いた。
「拠点を作って、そこにこもる。石を積んで、木の枠を組んで、人ひとりぶんの口を一つだけ残す。向こうの六人が順に動けば、動きと動きのあいだに、繋ぎ目ができる。半拍だけ、誰も守っていない場所と時間が。そこにレンとリシアを、二人だけ通す。抜けた先に、あいつらの拠点がある」
言葉にすると、ずいぶん簡単に聞こえた。
「半拍を、どうやって見つけるんですか」
俺が訊くと、イザークは板の線を、また指で叩いた。
「見つけるんじゃない。向こうが作るのを待つ。完成された連携ほど、同じ場所に同じ隙を作る。何度も見て、覚えて、そこで手を出す。予選と同じだ」
予選の相手はグレン班だった。格が違う。それは、口には出さなかった。
リオネルは、机の端で、さっきから紙を広げている。誰を前に出し、誰を後ろに残すか、あらかた決めてあった。合同任務の記録と、予選の記録から、あいつが一人で組み上げたものだ。俺が何か言う前に、形になっている。戦えないぶんを、こういうところで返してくる男だった。
「わたしが、通り道を作るんですね」
リシアが、板の線を見ている。
「一瞬だけ張るのではなくて、抜けるあいだ、ずっと保って、しかも動かす。……正直に言います。まだ、できません。稽古では、三歩ぶんが精一杯です」
「三歩あれば、口から外へは出られる」
俺がそう言うと、リシアはこちらを見た。
「出られても、その先で崩れたら、同じです」
言い返せなかった。できるようにするしかない、というのは、言うだけなら誰にでも言える。
「穴をあけるのは、僕がやります」
カイルだった。
「僕の《脆化》が、いちばん速い。積んだ枠のどこか一枚を脆くして、あいつらが寄ったところで、外へ抜ける道を作る。たぶん、できます」
「たぶん、か」
イザークが、こちらを試すような目をした。
「なら、いま一度、通しでやってみろ」
演習場の隅に、木の枠と砂袋で、小さな拠点を組んだ。正面に、人ひとりぶんの口を一つ。抜ける道は、その反対側――カイルが脆くする一枚だ。中に入るのは四人。レン、ボルク、カイル、リシア。それだけで、肩が触れる。外では、ノエルが寒いとぼやき、メイが黙って上着を差し出して、ノエルが黙って押し返した。
数を数えるのは、リオネルだ。第一班の連携が一周する時間を、外から声で刻む。
「いくぞ」
リオネルの声が、外から入ってくる。拠点の内側は、思ったより暗い。
三つ。砂袋が一度、内へ膨らんで、戻る。
五つ。首筋に、ボルクの息がかかった。
七つ。カイルの手のひらの下で、枠の木が、色を失いはじめる。
八つ。
九つ目の声を、リオネルはまだ出していなかった。それでも、乾いた音がした。木が中で裂ける音だ。狙った一枚は、脆くなっている。だが、その隣の支柱まで、いっしょに色を失って、枠の一角が内へ傾いてきた。
「――カイル、まだ早い」
リシアが、張りかけの膜を、そのまま斜めに倒す。傾いた面が、落ちてくる枠を、四人の頭の上から逸らした。木片と砂が、面の上を滑って、足元へ落ちる。全部は逸れなかった。俺の背中に、二つ、三つ。
脆くなった一枚が、砂袋ごと外へ抜け落ちて、そこから光が差し込んだ。砂袋の口が破れて、中の砂が、拠点の縁にこぼれている。
埃がおさまるまで、時間がかかった。その間、声は出なかった。俺は、拠点の中から、その隙間を抜けて外に立つまで、爪先で床を送って測る。まっすぐで、三歩ある。リシアが保てるのは、二歩まで。一歩、足りない。
「……また、これだ」
カイルが、自分の手のひらを見ている。指先が、まだ小刻みに動いていた。右の親指の腹の皮が、一枚だけ、色を失いかけて――すぐ、戻る。カイルは、その手を後ろに回した。俺しか、見ていない。あの手で、飯は普通に食えるんだろうか。どうでもいいことを、考えた。
「狙ったところは、崩したんです。ちゃんと、そこだけ。なのに、その先が、勝手に。範囲が、追いつかない」
「範囲を決める前に、崩したな。順番が逆だ」
イザークは、それだけだ。カイルの顔を見ようともしない。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
カイルの声が、少し尖った。イザークは答えなかった。
リシアが、膜を解く。傾いた枠から、そっと手が離れた。それきり、彼女は口をきかない。腕を一度、大きく振って、脇に下ろす。何かを言いかけて、やめたようにも見えた。机に戻ってからも、板に引かれた横線を、まだ見ていた。
俺は、崩れた枠を見上げた。カイルの脆化を、穴あけに使うのをやめるか。
「フィンの糸、なら――」
言いかけて、カイルへ目をやった。こっちを見ていた。その先は、言わずに飲み込む。
「……いや。フィンは、カイルより遅い。九つ目に間に合わない」
結局、その日は、宿題を持ったまま解散になった。机の隅には、サラが差し入れた干し果実の袋が、封も切られずに寄せてある。
「一つ、言っておく」
イザークが、板の前で腕を組んだ。
「完璧な作戦は、書き上げた時点で、半分は読まれてる。図に描けるものは、向こうも図に描ける。……残りの半分を、お前たちの出鱈目さで埋めろ。欠陥品のほうが、読みにくい」
褒められたのか、けなされたのか、判じかねた。判じないまま、部屋を出た。
演習場の入口に、セイルが立っていた。
「見てたのか」
「少しだけ」
セイルは、傾いたままの枠と、破れて口の開いた砂袋に目をやった。
「その砂、湿ってる。乾いたのに詰め替えるのに、二日はかかる」
作戦の話は、しなかった。それから、半分だけ振り返る。
「間に合わせろ。……何を見せてくれるのか、楽しみにしている」
棒読みに近い言い方だった。足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。
俺は、崩れた枠のほうへ戻った。木の隙間から、砂がまだ、ひと筋ずつ落ちている。
さっきリシアが咄嗟に張った膜は、二歩ぶんしかなかった。まっすぐでもなかった。斜めに倒れて、落ちてくる枠を、下へ流した。まっすぐな道では、あれは受けられない。
稽古で数えているのは、まっすぐ通り抜ける三歩だ。届かない三歩を、いつも数えている。
斜めに倒した二歩を、リシアは数に入れていない。あれは道じゃない、と思っている。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
外棟班が、星冠戦に向けた拠点作戦を練り始めます。稽古では、まだうまくいきません。
次話(轟雷槍とラグ)もよろしければお付き合いください。感想やブックマークをいただけると励みになります。




