35話
第35話 爆炎再戦
初勝利から、数日が過ぎていた。
星位ランキング戦は、まだ続いている。この大会は、班と班が何度も当たっていく。一度負けたくらいでは終わらないが、そのぶん、試合と試合のあいだには空いた日ができる。俺たちの次の相手は、まだ決まっていなかった。
その、空いた数日のうちのことだ。
学院には、正式な試合とは別に、練習の手合わせという仕組みがある。訓練場で護り石を借りて、生徒同士が一対一で腕を試す。星位には響かないし、記録にも残らない。ただの、私的な稽古だ。
その稽古に、俺は名指しで呼び出された。
「面汚しの、なりそこないが」
呼び出した男――グレン・ヴァルガスが、俺を見下ろして、そう言った。
火属性の名門、ヴァルガス家の生まれ。顕現名は《爆炎》。三つ星の上位で四つ星も見えている、正真正銘の火の使い手だ。星位も、家柄も、火力も、俺とは何もかもが違う。その男が、わざわざ一つ星の俺を、名指しで引っ張り出したのだ。
周りには、見物の生徒がちらほらと集まり始めている。
「この前の勝ちで調子に乗ってるんだろう。だが、お前のそれは火じゃない。火のふりをした、まがい物だ」
グレンにとって、火は力そのものだ。名門に生まれ、強い炎を授かり、それだけで上へ来た男だった。火が強ければ勝つ。弱ければ負ける。世界はそれくらい単純にできている。少なくとも、こいつの中では。
「本物の火がどういうものか。ここで思い出させてやる」
理由は分かっていた。
あのときだ。火喰い蜥蜴の前で、グレンの《爆炎》は獣に食われた。武器のはずの炎が、そっくり餌になった。あげく、こいつは囮に回され、一つ星の俺の読みに命を預けることになった。リシアの膜がなければ、あの突進で終わっていた。
火力こそがすべてと信じてきた男にとって、あれは深い屈辱だったろう。授かった炎が通用せず、見下していた落ちこぼれに命を拾われたのだ。
その屈辱を、俺で上書きしたい。そういうことだった。
「……勝てる相手じゃ、ありません」
隣で、リシアが小さく言った。あの日、突進からグレンを助けた膜の持ち主だ。
「分かってる。勝ちには行かない」
それでも、と俺は思う。
「お前も、見ててくれ。ただ焼かれて終わるかどうかは、やってみないと分からない」
リシアは、少し迷ってから頷いた。
合図とともに、始まった。
先に動いたのは、グレンだった。
腕を薙ぐ。それだけで、炎が壁になって押し寄せてきた。熱が肌を刺す。近づくどころか、立っているだけで焼かれそうだった。
一撃が重い。範囲が広い。まともに受ければ、俺の護り石なんて一発で砕けるだろう。
「どうした! お得意のこそこそが、できないのか!」
分かっていたことだ。地力の差は、埋めようがない。俺の熱の扱いは、どれだけ精緻でも、あの火力の前では蝋燭の火みたいなものだった。
真正面から勝てる道は、ない。
だが。
炎には、必ず逃げ道がある。
熱は、均一には広がらない。
どんなに激しい炎でも、濃いところと薄いところができる。風の通り道。地面の凹み。壁の陰。そういう場所には、炎が回り込むのにわずかな遅れが生まれる。ほんの一瞬の隙間だ。
俺は、それを見ていた。
どこが濃くて、どこが薄いか。次に炎がどう広がっていくか。人が「火」と呼ぶものの奥で、本当に動いているもの――熱の流れが、俺には見える。
他の連中には、ただ燃え広がるだけの炎にしか見えないだろう。だが俺の目には、その炎の、逃げ道の一つ一つが見えていた。
薄いところを縫うように動く。焼かれる寸前で抜ける。また次の薄いところへ。
グレンの炎は、俺のいた場所を何度も焼いた。だが俺は、そのたびに、もうそこにいなかった。
見物に集まった連中が、ざわつき始めた。
最初は、笑っていたのだ。名門のグレンが、火属性の面汚しを一瞬で焼き払う。そういう見世物のつもりだったのだろう。だが、いつまで経っても、その一瞬が来ない。焼かれるはずの俺が、炎の中をまだ動いている。
「……あいつ、なんで焼かれてないんだ?」
誰かの、戸惑った声が聞こえた。
「ちょこまかと……! 逃げてるだけだろうが!」
グレンの声に、苛立ちが混じり始めた。
図星だった。俺は逃げているだけだ。避けて、いなすだけで、一発も返せていない。
一度だけ、試してみた。炎の薄くなった隙に踏み込んで、グレンの足元へ熱を一点に集める。地面を内側から熱して、体勢を崩せないか。
火喰い蜥蜴のときは、動かない殻の一点を熱せた。だが、グレンは殻じゃない。動くし、速いし、何より、炎の中にいて平気な相手だ。俺が熱を一点に集める前に、あいつの炎が、その一点ごと俺を焼きにくる。
届く前に、炎が来た。踏み込んだ足をすぐ引かなければ、今度はこっちが焼かれる。
精緻な熱の扱いも、あの火力の中では、使う隙さえなかった。
それでも、逃げ切れているのは事実だった。「面汚し」が、こんなにしぶといはずがない。グレンの顔に、そう書いてあった。
グレンの炎が、荒くなっていく。
当てたい。焼き払いたい。その一心で、炎が大振りになる。大振りになれば、薄いところも大きくなる。逃げ道は、むしろ増えた。
皮肉なものだ。あいつが本気になるほど、俺は読みやすくなる。
だが、それも長くは続かない。避け続けるだけで、俺の息は、とっくに上がっていた。
グレンが、大きく息を吸った。
両手に、炎が渦を巻いて集まっていく。今までの比じゃない。膨れ上がる熱が、空気をぐにゃりと歪ませた。
決めにきている。一撃で終わらせるつもりだ。
「これで、終わりだ!」
爆炎が、放たれた。
巨大な炎の塊。逃げ場を全部塗り潰すように、こちらへ広がってくる。もう、薄いところを縫っている時間はない。
――どこだ。
その一瞬で、俺は読んだ。
どんな爆炎にも、端がある。中心がいちばん濃く、外へいくほど薄くなる。この形。この勢い。放たれた角度。いちばん薄い端は――右の、下だ。
俺は、そこへ飛んだ。
爆炎の中心が、さっきまで俺のいた場所を焼き尽くす。その、ほんの端を掠めるようにして、俺は抜けた。
熱が、右の半身をなめた。護り石が、ぎりぎりでこらえる。あと少し中心寄りだったら、間違いなく砕けていた。紙一重だった。
だが、直撃だけは避けた。護り石は、割れなかった。
グレンの動きが、止まった。
確実に、決めたはずだった。あの一撃を避けられるとは、思ってもいなかったのだろう。
「……なんで、当たらない」
低い声だった。
さっきまでの苛立ちとは、少し違う。もっと根の深いところが、揺れている声だった。授かった炎が、また届かなかった。今度は、獣にでも薄膜にでもない。読まれて、避けられた。
だが、そこまでだった。
避けきった体勢は、大きく崩れていた。息も、上がっている。次の炎を読むだけの余裕は、もう俺には残っていなかった。
グレンの、二発目。
今度は、避けきれなかった。爆炎の端が肩をかすめる。護り石が、鈍い音を立てて――砕けた。
脱落。
俺の、負けだった。
周りは、静かだった。
勝ったのはグレンだ。誰の目にも、それは明らかだった。護り石が割れたのは、俺のほうなのだから。
それなのに、さっきまで笑っていた見物人は、もう笑っていなかった。名門の圧勝を見に来て、そのはずが――一つ星の落ちこぼれが、あの《爆炎》の直撃を、一度、読んで避けたところを、見てしまったからだ。
読めても、勝ちはしなかった。
熱の流れは、見える。逃げ道も、分かる。だが、それだけだ。避けることはできても、あの火力を返すだけの地力が、俺にはない。見て、避けて、しのいで――そこまでが、俺の限界だった。
気づけば、拳を握っていた。開くと、手のひらに、爪の跡が残っている。
はっきりしたことが、あった。読むだけでは、足りない。この目で継ぎ目を見つけても、そこを打ち抜く力がなければ、勝ちには届かない。いつか、その力も要る。
見抜くことと、勝つことは、違う。
今日、それを、はっきりと思い知った。
グレンは、勝った。
勝ったのに、その顔は、少しも晴れていなかった。
一撃で沈めるはずだった「面汚し」に、自分のいちばんの一撃を避けられた。まぐれだと切って捨てるには、避け方が正確すぎた。狙って、いちばん薄い端へ逃げていた。
グレンが、口を開いた。
何か、言いかける。
「……お前は」
そこで、一度、詰まる。
言葉を探しているようだった。「面汚し」でも、「なりそこない」でもない、別の呼び方を。
「……ハルヴェル」
それだけを言って、あとは続かなかった。
言いたいことを飲み込むように、グレンは背を向ける。そのまま、歩き去っていった。
その背中に、俺は何も言わなかった。
「面汚し」じゃ、なかった。
負けた今日、それだけが、確かに残った。




