第33話
第33話 硬いだけの価値
逸れた巨体の、無防備な脇腹。
俺は溜めた火を、そこへ叩き込んだ。
胸の護り石が鈍い音を立て、ひびが走った。淡い光が明滅する。
割れかけている。今日、初めて。
突かれた一人がたたらを踏んで、後ろへ下がった。護り石は砕ける寸前で持ちこたえている。だが確かに、ひびは入った。
会場の空気が、一拍だけ揺れた。
一つも割れなかった外棟が、相手の石に初めて傷をつけた。ただ、それだけのことだ。それでも、さっきまで会場を満たしていた笑い声が、ほんの少し途切れた。
「へえ」
リシアの隣で、フィンが糸を握ったまま呟いた。自分たちのやったことが、まだ半分信じられていない声だった。
だが、喜んでいる暇はなかった。
相手は崩れなかった。前へ出る班だ。一人が下がっても、残りがすぐ前を埋める。火力は高くない。その代わり重い前衛が、途切れずに圧をかけてくる。守りを固める暇を、こちらに与えない。
「まだだ! 一発当たったくらいで調子に乗るな!」
相手の誰かが叫んだ。数人が固まって、また突っ込んでくる。地面が揺れるような圧だった。
まともに受ければ、押し切られる。手を考える時間が要る。だが、この圧の中に、その時間はなかった。
一戦目と同じだ。読めても、崩す前に押し潰される。
そのとき、前に出たのは、ボルクだった。
「……行け。ここは、俺が受ける」
低い声で、ボルクはそれだけ言った。
硬くした体で、正面から圧を受け止める。一人ぶんじゃない。二人、三人。突っ込んでくる前衛を、まとめてその身で受け止めた。
押される。足が地面にめり込む。それでも倒れない。
ボルクの護り石は割れなかった。守りに全部を振った、こいつの石だ。生半可な圧では砕けようがない。何発受けても、光は消えなかった。
相手が、苛立ちを見せ始めた。押しても押しても、この壁が退かない。前へ出る班にとって、退かない相手ほど厄介なものはない。圧のすべてが、ボルク一人に集まっていく。それでも、ボルクは、そこにいた。
「俺は、遅い」
何発目かを受けながら、ボルクはぽつりと言った。息が、切れかけていた。
「攻めるのも追いつくのも苦手だ。仲間が落とされるのを、いつも間に合わずに見てるだけだった。ずっと、それが引け目だった」
また、重い一撃。ボルクの足が、また、めり込む。だが退かない。
「でも、立ってるのだけは得意なんだ。今は――それで、いいんだよな」
いい、と思った。それが、今、いちばん要るものだった。
ニアが、ボルクのすぐ後ろに回っていた。受けるたびに乱れる呼吸を、削れていく力を、後ろから整え続ける。広くは治せない代わりに、一人を深く看る。それが、ニアのやり方だ。ボルクが倒れずにいるのは、こいつの硬さだけじゃなかった。
硬いだけ。遅いだけ。そう言われ続けてきた力が、今、俺たちに、いちばん大事なものを生み出していた。
――時間だ。
ボルクが立ち続ける、その後ろで。
俺とリシアは、初めて落ち着いて相手を見ることができた。数瞬の、わずかな余裕。それがあるとないとでは、まるで違った。
「リシア。お前は、踏み込みを逸らすことだけ考えろ。崩すのは、俺がやる」
「……分かりました」
短く答えて、リシアは膜を構えた。
ユノが柱の陰から相手を読む。指が動く。フィンの糸が、俺とリシアの手首を静かに引いた。声は要らない。もう、届く手立てがある。
相手の前衛は、重い。だが、その重さはどこから来ている?
俺は、突っ込んでくる連中を見た。見て、考えた。
――装備だ。
大ぶりの武器。厚い金具。分厚い籠手。前へ出る班は、その重い装備で圧を作っている。裏を返せば、それが無ければ、ただの人だ。
だったら、その重さを無くしてやればいい。
俺は、相手の武器の、金属の部分にだけ熱を通した。
炎をぶつけたんじゃない。火の玉を投げたわけでもない。ただ、金属を内側から熱くする。熱は金属の中を、驚くほど速く走った。人の肌へ伝わるより先に、まず握っている柄が熱くなる。
「――っ、あつっ!?」
先頭の一人が、武器を取り落とした。握っていられないほど、柄が熱くなったからだ。
続けて、もう一人。籠手の金具が肌を焼く前に、慌てて装備を投げ捨てる。
血は出ていない。誰も傷ついてはいない。焦げてすらいない。ただ、圧を作っていた重い装備だけが、次々と地面に転がった。
「な、なんだよ、これ……!」
戸惑う声が上がる。何をされたのか、分かっていない顔だった。
武器を失った手を、呆然と見つめる者。慌てて素手で構え直そうとする者。だが、素手の突進など怖くない。重い装備があってこその、あの圧だったのだ。
さっきまで地面を揺らしていた圧が、嘘のように消えていた。丸腰になった前衛は、もう、ただ突っ込んでくるしかない。
攻守が、入れ替わった。
そこからは、早かった。
圧が消えれば、相手の動きははっきり見える。
ユノが読む。糸が伝える。リシアが踏み込みを逸らす。逸れて生まれた隙へ、俺が火を通す。
一人目。がら空きになった護り石へ、火を叩き込む。ひびの入っていた石が、今度こそ砕けた。
二人目。フィンの糸が足を止め、リシアの膜が体勢を崩す。生まれた隙へ、また一発。割れる。
三人目は、ボルクが正面から抑えていた。動けない相手の護り石へ、俺は横から火を通した。
フィンの糸は、いつのまにか舞台のあちこちに張り巡らされていた。相手が動くたび、その糸が行き先を狭める。逃げ道を塞ぎ、こちらの打点へじわじわと追い込んでいく。ふざけてばかりのこいつが、頭の中にこんなに緻密なものを描いていたのか。
リシアの逸らしは、もう空を切らなかった。俺が崩す先を、膜が的確に開ける。追い込む側と、逸らす側が、初めて噛み合っていた。「分ける膜」と呼び直した、その手が、ちゃんと戦いの役に立っていた。
ばらばらだった俺たちの力が、一本の糸で繋がれば、こうなる。
その中心で、ユノの指が、休まず動き続けていた。相手のどこが薄いか、次に誰が来るか。読んで、渡す。声にならなかった読みが、今日は、その全部が、力に変わっていた。
六人が、一つの絵を見ていた。今度は、最後まで。
最後の一人の護り石が、砕けた。
乾いた、小さな音だった。それだけの音が、なぜか、広い会場のすみずみまで届いた気がした。
外棟班、初勝利。
誰も、すぐには動けなかった。勝った、という実感が、少し遅れてやってきた。
「……勝った。俺たち、勝ったのか?」
フィンが、糸を握ったまま、間の抜けた声を出した。ユノが、小さくうなずく。ボルクは膝に手をついて、荒い息をしていた。その顔から、いつもの引け目が、消えていた。
勝っても、俺たちの星位は動かない。番外のままだ。制度の上では、何ひとつ変わらない。一つ勝ったところで、明日も俺たちは、外棟の落ちこぼれだ。
それでも、この一勝は、確かに俺たちのものだった。
練習では、一度も噛み合わなかった。初戦では、相手の石を一つも割れずに完敗した。声が届かない、たったそれだけのことで、全部が崩れた。
その全部を、一つずつ拾い直した先に、今日があった。
息を整えて、顔を上げた。すり鉢の客席を、見上げる。
さっきまで、笑い声で満ちていた場所だった。
その笑い声が、消えていた。
誰も、何も言わない。今、目の前で何が起きたのか、まだ飲み込めていない顔で、みんなが舞台を見下ろしている。
勝ったのが、あの寄せ集めだという事実を、うまく処理できていないようだった。
やがて、どこかで、まばらな手が鳴った。遠慮がちな、小さな拍手だった。だが、確かにそれは、拍手だった。
その中に、ダリオがいた。
何秒もつかな、と言った男。火種と薄膜の寄せ集めだと、いちばん露骨に笑った男。
その口が、半分、開いたまま止まっていた。
何か言おうとして、やめて、また言おうとして――結局、続きの言葉は出てこないようだった。いつもの、よく通る声は、どこにもなかった。
俺は、それを黙って見上げていた。
言い返す言葉は、もう要らなかった。
あいつの、その黙った顔が、俺たちの勝ちの、何よりの証だった。




