第27話
第27話 記録係リオネル
外棟の手札を、ひとりずつ、確かめてきた。ユノ、ボルク、ニア、フィン。最後に残っていたのが、リオネル・カルツだった。
ただ、リオネルは、戦わない。だから、何を“確かめる”べきか、正直、決めかねていた。
火喰い蜥蜴を止めて、もう、ひと月以上が経つ。それでも、本棟の連中の評価は、変わっていなかった。
「あれは偶然だ」
「グレンが、爆炎で散々削った後だっただろう」
そういう声が、消えない。外棟が、まぐれで一度勝っただけ。火力役のグレンが弱らせたところに、たまたま居合わせた落ちこぼれが、とどめを刺した。――そういう筋書きに、なっている。
悔しいが、強く言い返せなかった。あの戦いは、土壇場の連続で、勝ったのに、なぜ勝てたのかを、俺たち自身、はっきり言葉にできずにいた。
――そう、思っていた。
リオネルに、その話をすると、彼は少し黙ってから、いつもの擦り切れた帳面とは別の、分厚い綴りを、机に置いた。
「……これ、見ますか」
開いて、俺は、言葉をなくした。
火喰い蜥蜴戦の、全部が、そこにあった。
あの混戦のすべてが、この綴りの中では、きれいに、順番に、並んでいた。
いつ、どこで、何が起きたか。グレンの爆炎が外殻に当たった瞬間。その後、外殻がどう変わったか。リシアの薄膜が、どの角度で何を逸らしたか。ユノが、継ぎ目のどこを指したか。ボルクが、何秒、どの向きで踏ん張ったか。俺が、外殻のどこに、どれだけの熱を入れたか。
一つ残らず、時刻と順番つきで、書いてあった。
あの混戦の中で誰も覚えていられなかったはずのものを、リオネルは、こぼさず掴んでいた。
「お前……これ、いつ書いた」
「あの場で、見ていただけです。書くのは、後から。一度見たものは、わりと、忘れないので」
なんでもないことのように、言う。それが、こいつの力だった。誰にも“弱回復”ほどにも数えてもらえなかった、《記録》という力。
「ここを、見てください」
リオネルが、ページの一か所を指した。グレンの爆炎が、外殻に当たった記録だ。
「グレンさんの爆炎が当たるたびに、外殻の硬さが、上がっています。当たった回数と、そのあと僕が測った“硬さ”を、並べて書いておきました。……見比べると、はっきりします。火力で押すほど、あの蜥蜴は、硬くなっていた」
俺は、その並びを、目で追った。確かに、回数が増えるごとに、外殻は、頑丈になっている。
「『グレンが削った後だった』と、皆は言いますけど」
リオネルは、静かに続けた。
「逆です。グレンさんの火は、削るどころか、あいつを、手強くしていた。記録は、そう言っています」
俺は、低く唸った。グレンが削ったから勝てた、んじゃない。グレンが火を撃つほど、あいつは硬くなって、こっちは追い詰められていた。その不利を、外棟が、別のやり方で、覆した。――それが、本当のところだった。
「じゃあ、なぜ止まった」
俺が訊くと、リオネルは、別のページを開いた。
「ここからは、皆さんがやったことです。僕は、起きた順に、並べただけ」
ページには、こうあった。リシアの薄膜が、熱の逃げ道を塞ぐ。ユノが、外殻のいちばん薄い継ぎ目を指す。レンが、そこに、温度の差をつくる。ボルクが、その一点を、動かさず支える。継ぎ目が、内側から膨らんで――割れる。
「火を、足したんじゃないんです」
リオネルが言った。
「熱の、流れ方を、変えた。逃げ場をなくして、一点に差をつくって。順番が、ちゃんとあります。誰か一人でも欠けたら、たぶん、割れていない」
俺がやったことも、淡々と、手順として書いてあった。あのとき手探りだったものが、文字になると、次に打てる一手に見える。
俺は、その綴りを、しばらく見ていた。
これを、本棟に突きつければ、どうなるか。少し考えて、すぐに答えが出た。――何も、変わらない。
落ちこぼれが、自分たちで書いた帳面だ。「どうせ、都合のいいように書いただけだろう」と言われれば、それまで。もともと信じていない相手は、紙を見ても、信じない。これは、証拠には、ならない。
でも、この綴りの値打ちは、そこじゃなかった。
「これがあれば」
俺は、綴りを、軽く叩いた。
「俺たちは、また、同じことができる。あのときは、土壇場の手探りだった。次は違う。何を、どの順でやれば止まるか、ここに、全部ある。――もう一度、同じ手が、打てる」
偶然は、二度は起きない。だが、手順なら、何度でも繰り返せる。
外の連中を黙らせるのは、この紙じゃない。この紙を使って、皆の前で、もう一度、勝ってみせることだ。一度ならまぐれと言える。だが、二度、三度と、同じ手で勝てば――まぐれだと言い張るほうが、よほど、苦しくなる。
リオネルが、こちらを見ていた。
「……役に、立ちますか。僕の、これが。本当に」
「立つ。これがあれば、俺たちは、次も、同じように勝てる」
俺は、綴りを、リオネルに返した。
「お前の記録は、誰かを言い負かすためのもんじゃない。皆を、もう一度、勝たせるためのもんだ」
リオネルは、戸惑った顔をした。褒められ慣れていない顔だ。それから、ぽつぽつと、話しはじめた。
「僕、昔から、戦えなかったんです。体も弱くて、剣も持てなくて。だから、みんなが訓練しているのを、端で、見ているしかなかった。……見ているだけだと、いたたまれないから、書くようになったんです。誰が、どう動いて、どうなったか。せめて、何か、やっている気に、なりたくて」
ページを、めくる手が、止まる。
「でも、言われました。何度も。『記録なんて、戦えない奴の言い訳だ』って。『そんな紙きれ、誰が読むんだ』って。……だから、ずっと、思っていました。僕のこれは、ただの暇つぶしだって」
顔を、上げる。
「……でも、これが、皆を、もう一度勝たせるなら」
声が、少し、震えていた。
「書いて、残すことにも、戦い方が、あるのかもしれません。剣を振れなくても。誰が何をしたかを、正しく残して、次に間に合わせる。――それなら、僕にも、できます。ずっと、やってきたことだ」
戦えない自分に、ずっと値打ちを見いだせずにいた男が、初めて、自分の手の中にあるものの重さに、気づいた顔だった。
ユノが、見えるのに伝えられなかったように。フィンが、見えているのに隠してきたように。リオネルもまた、できることを、誰にも要らないと言われ続けてきた側の人間だ。この班は、本当に、そういう連中ばかりだった。
ちょうど、その頃だった。
学院の掲示に、星位ランキング戦の文字が、出はじめた。序列を、測り直す場。イザークが言っていた、物差しが試される場だ。
外棟は、どうせ、形式参加の扱いだろう。記録を見せても、評定長あたりは「記録は記録、序列は序列」と、鼻で笑って終わりだ。
だが――その場で、もう一度、同じ手で勝ってみせれば、話は変わる。リオネルの記録があれば、俺たちは、それができる。
紙が、序列を動かすんじゃない。紙を手に、もう一度勝つ俺たちが、動かす。
綴りの最後のページに、ひとつだけ、リオネルが線を引いて残した箇所があった。止めたあとの、魔核のことだ。
「ここだけ、分かりません」
リオネルが、そこを指す。
「あの魔核、止めたあとも、黒い熱を帯びていました。ふつうの火属性の核とは、熱の出方が違う。……何なのか、僕には、書き留めることしか、できませんでした。研究院の人が、持っていきましたけど」
俺も、それは覚えている。あのとき感じた、奇妙な熱。今は、答えがない。だから、リオネルと同じだ。分からないことは、決めつけずに、残しておく。母さんが、そう言っていた。
リオネルは、綴りを閉じて、表紙に手を置いた。几帳面な字で、こう書いてある。「火喰い蜥蜴変異種・戦闘記録」。
「ひとつ、言えることが、あります」
顔を上げて、リオネルは、はっきりと言った。さっきまでの、自信なさげな声とは、別の声だった。
「あれは、偶然ではありません。再現性が、あります」




