第24話
第24話 硬直する盾
ユノの次は、ボルクだった。
前衛失格、と鑑定された男だ。理由は単純。遅い。《硬直》――硬くなれば、確かに倒れない。だが、硬くなるほど、動きは鈍る。避けられない、追えない、間に合わない。盾を構える前に、横から抜かれる。前衛なら、致命的だ。
ボルク自身、それを誰より分かっている。遅い、と言われ続けて、もう、言い返すこともしない。それでいて、訓練ではいつも一番最後まで残って、ひとりで受け身の稽古をしている。報われないと知っていて、それでもやめない男だ。
「避けるのは、もう諦めろ」
俺が言うと、ボルクは面倒くさそうな顔をした。
「……それは、得意分野を捨てろってことか」
「逆だ。避けようとするから、中途半端になる。お前は、避けない前提で動け。避けずに、受ける。受けて、崩れない。それだけを、やってみてくれ」
火喰い蜥蜴のときが、そうだった。あいつは突進を、避けずに受けて、角度を固定した。腕が灼けても、退かなかった。あのとき俺たちは、ボルクが“動かない”ことに、命を預けていた。退いていたら、リシアの膜も、ユノの読みも、間に合わなかった。
硬くて、鈍い。それは裏返せば――動かされない、ということだ。守るべき一点に立って、そこから一歩も動かない。それができる人間は、案外、少ない。
リオネルが、隅で帳面を開いた。今日も、記録役だ。
その訓練を始めて、しばらく経った頃だった。
上位生が三人、近づいてきた。火喰い蜥蜴の件で外棟が調子づいている、という噂が、よほど気に入らないらしい。
「外棟が、なに真面目にやってんだ?」
先頭の一人が、にやつきながら言った。
「ちょうどいい。手合わせしようぜ。実戦ってもんを、教えてやる。――そこの、薄膜の」
狙いは、リシアだった。一つ星で、しかも“割れる結界”。手頃な的に見えたんだろう。出力で正面から押せば、膜ごと砕ける。そう踏んでいる顔だ。
リシアが、薄膜を張る。だが上位生は、それを承知で、力で押し抜く構えだった。割れる膜に、正面からの出力勝負。彼女の不利は、目に見えていた。
止めに入ろうとした。が――
俺より、先に動いた者がいた。
ボルクだ。
遅い男のはずだ。だが、リシアの前に“立つ”だけなら、間に合った。動く必要が、なかったからだ。一歩、前へ出て、そこで止まる。それだけでよかった。
上位生の一撃が、ボルクに入った。
鈍い、重い音。硬化した腕で、それを受ける。火喰いの火傷が、まだ塞がりきっていない腕で。受けた瞬間、ボルクの口から、息が漏れた。こらえた音だった。
退かなかった。一歩も、下がらなかった。
上位生が、苛立って、続けて打ち込む。二発、三発。そのたびに、ボルクの体が、わずかに軋む。一度、膝が落ちかけた。それでも、踏みとどまる。倒れない。受けるというのは、痛みを全部、自分の体に通すということだ。避けるより、ずっと痛い。それでも、ボルクは、そこに在り続けた。岩みたいに。
その間に、変わったのは、後ろのリシアだった。
彼女は、薄膜の張り方を、変えていた。
最初は、自分を守る、正面の膜。それを、やめた。代わりに、ボルクという“動かない一点”の脇に、斜めの膜を差し込む。上位生の力が、ボルクに当たって行き場をなくしたところへ――その膜が、力の向きを、横へ流す。
ボルクが崩れないから、リシアは、自分の立ち位置を保てる。位置が動かないから、膜を差し込む角度を、正確に選べる。
二人がかりの、一度も打ち返さない攻防だった。
数度の打ち合いの末、上位生の渾身の一撃が、ボルクの腕とリシアの膜のあいだで、滑った。狙ったところに当たらず、力が、本人の想定しない方向へ抜ける。上位生は、自分の踏み込みに、自分でたたらを踏んだ。一歩、二歩、横へ泳ぐ。
決定打じゃない。倒したわけでもない。ただ、的のはずだった一つ星二人に、渾身の一撃を、いなされた。
それだけで、上位生の顔から、にやつきが消えていた。
俺は、ボルクを見た。
腕を押さえている。新しい打撲の上に、火傷。痛むはずだ。荒い息をしている。
それでも、その顔から、いつもの引け目が、消えていた。遅い自分を恥じる、あの伏し目じゃない。
守れたとき、こいつは、迷わない。
ボルクがずっと探していた“使い道”は、たぶん、これだ。速さでも、力でもない。崩れないことで、誰かの居場所を守る。前に出て、動かず、味方の足場になる。鑑定の紙には、一行も書いていない値打ちだ。
「……役に、立ったか」
ボルクが、ぼそりと訊いた。誰に、ともなく。
「立った」
俺が答えると、ボルクはそれ以上、何も言わなかった。ただ、押さえていた腕を、少しだけ下ろした。
リシアも、気づいているようだった。
自分の膜が、何をしたのか。割れることを恐れて正面で踏ん張るより、崩れない味方を支点に、力を横へ流すほうが、ずっと性に合う。
彼女の指先が、宙で、見えない角度を、そっとなぞっていた。掴みかけている。自分の力の、新しい使い方を。
その手応えを、一言で潰した者がいた。
「――見苦しい」
上品な、よく通る声だった。辺境の訛りも、名門の濁りもない。母音を丁寧に置く、王都の貴族の話し方だ。
上位生たちが、その声に気圧されたように、半歩、下がった。声の主の星位が、自分たちより上だと、姿を見る前に察したらしい。
歩いてきたのは、リシアと同じ年ごろの少年だった。三つ星か、それ以上。背筋から指の先まで、隙がない。正統な結界術を、正しい順序で、正しく修めてきた者の立ち方だった。
リシアの顔が、強張った。
「……エリオ」
その名を、彼女は、家族を呼ぶというより、家族に身構えるように、口にした。
エリオ・アルヴェイン。リシアの従兄だと、後で知った。アルヴェインの家の、正統を継ぐ側の人間だ。同じ家に生まれて、片方は四つ星候補、片方は外棟の一つ星。
エリオは、ボルクにも、上位生にも、目をくれなかった。リシアだけを、見ていた。
「家の名に、泥を塗るな」
怒鳴りはしない。静かだ。だからこそ、刃のようだった。
「今からでも、遅くはない。家へ戻り、正統な結界を学び直せ。相応の指導を受ければ、お前の地位は戻る。――それを、こんな場所で、こんな連中と。割れる膜を横へ逃がして、それで何かをした気になる。そんな我流は、結界の風上にも置けん」
逸らす。さっきリシアが掴みかけた、あれを、エリオは“我流”の一言で、切って捨てた。
リシアは、言い返さなかった。言い返せなかった、のほうが、近い。
俺には、それが不思議だった。さっき、リシアの膜は、目の前で、確かに役に立った。上位生の一撃を、いなしてみせた。リオネルの帳面にも、それは書いてある。事実だ。
なのに、リシアは、黙っている。
家の正統を背負った従兄が「我流」と言う。その一言は、たぶん、リシアの中では、上位生の拳より、ずっと重い。生まれたときから、頭を押さえられてきた重さだ。事実より、重い。
エリオは最後に、リシアではなく、その隣のボルクを、初めて視界に入れた。出来損ないを値踏みする目で。
「アルヴェインの娘が、出来損ないの盾の隣で、何をしている」
それだけ言って、踵を返した。
ボルクは、何も言わなかった。腕を押さえたまま、ただ、立っていた。さっきまでその顔にあった静かな手応えが、たった一言で、行き場をなくしていた。
評定長の声は、制度の声だった。エリオの声は、家の声だ。立場は違う。だが、二人は、同じことを言っている。お前たちの居場所は、ここじゃない、と。
リシアは、自分の指先を、もう、なぞっていなかった。




