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第23話

第23話 微感知の一点


 翌日、俺は訓練場の隅に、魔石を並べた。

 使い古しの、訓練用の石だ。大半は、もう魔力の抜けた、ただの石ころに近い。その中に、わざと、いくつか混ぜてある。芯にひびの入ったもの。魔力の流れが、わずかに濁ったもの。整備係に頼んで、見た目では見分けのつかないものを選り分けてもらった。手のひらに載せて眺めても、俺には、どれも同じ石にしか見えない。

 イザークの言葉が、頭の隅に残っていた。物差しのほうが間違っていたと向こうに認めさせるには、星位ランキング戦で結果を出すしかない、と。

 認めさせるには、まず、こちらが自分の手札を正確に知っておく必要がある。何ができて、何ができないか。漠然と「外棟も戦える」では、話にならない。

 火喰い蜥蜴のときは、土壇場の手探りだった。次は、土壇場の前に、揃えておきたい。

 最初は、ユノだ。


 もう一人、呼んであった。

 リオネル・カルツ。外棟生で、顕現名は《記録》。戦えない、と鑑定された男だ。年は俺より一つ上で、いつも擦り切れた帳面を持ち歩いている。授業でも実習でも、隅で何かを書いている姿しか、見たことがない。

 「記録を頼みたい」と言ったら、彼は少し戸惑った顔をした。

 「……僕の記録なんか、何の役に立つんですか。書いたところで、どうせ誰も読まない」

 戦えない自分に、まだ何の値打ちも見いだせていない顔だった。書くことしかできない、と、自分で自分を低く見積もっている。

 「読むかどうかは、書いた後の話だ。今は、見たままを正確に書いてくれればいい。お前の目が、何を見たかを」

 リオネルは、それ以上は訊かず、帳面を開いた。ペンを構える手つきだけは、妙に堂に入っていた。


 ユノを、魔石の前に立たせた。

 念のため、先に自分でも触ってみたが、俺の手には、どれも同じ温度の、同じ石にしか感じられなかった。火喰いのときのような、はっきりした異常な熱でもない。ごく薄い、濁り。これを見分けろというのは、無茶な注文に近い。

 「この中に、ふつうじゃないのが、いくつか混じってる。どれか、当ててみてくれ」

 ユノは、肩を縮めた。いつもの癖だ。

 「……離れていると、分かりません。全部いっぺんには、無理です」

 「いい。近くで、一つずつでいい」

 彼女は、しゃがみ込んで、端の石から、指先をかざしていった。

 一つ。二つ。三つ。確かめるたびに、首を小さく振る。違う、違う、と。慎重で、遅い。一つの石に、たっぷり時間をかける。

 四つめで、指が止まった。

 「……これ。芯の奥が、少し、揺れてます。ほかのと、震え方が違う」

 言ってから、すぐに、自信のない目になった。

 「……でも、たぶん、わたしの、気のせいかも」

 「気のせいかどうかは、後で確かめる。お前は、感じたままを言えばいい。合ってるか外れてるかを、お前が決めなくていい」

 ユノは、少し、ほっとした顔をした。判断の重みを、肩から下ろしたような顔だ。

 それから、彼女は、迷わなくなった。

 七つめでもう一つ。最後の十一個めで、もう一つ。揺れの違う石を、選び出した。

 全部で、三つ。

 俺が混ぜた異常な石は、ちょうど三つだった。一つも、外していない。四つめの石にいたっては、整備係でさえ「使える」と分けたものだ。表からは、誰にも分からない。


 俺は、リオネルの帳面を覗いた。書いてくれと頼んだのは俺だが、ただ結果を控えてくれればいい、くらいの軽い気持ちだった。

 その軽い気持ちは、帳面を見て、引っ込んだ。

 結果だけじゃない。ユノが石に指をかざした順番、一つにかけた時間、迷った石、首を振った回数。彼女が口にした言葉が、一字一句、そのまま並んでいた。俺がもう忘れかけている細部まで。

 「……四つめのとき、ユノは何て言った」

 試すつもりで、訊いた。

 リオネルは、帳面を見もしなかった。

 「『これ。芯の奥が、少し、揺れてます。ほかのと、震え方が違う』。そのあと、すぐに『でも、たぶん、わたしの、気のせいかも』と。声は、最初より、半分くらいの大きさでした」

 半分くらいの大きさ、まで。俺は、そこは覚えていなかった。

 これは、ただ書き留めているんじゃない。見たもの、聞いたものを、こぼさず掴んで、そのまま留めている。器用なメモ魔の仕事とは、わけが違う。彼の、これが、力なんだろう。

 たぶん、紙がなくても、彼は覚えている。それでも書くのは――頭の中だけなら、また「一つ星が何か言っている」で終わるからだ。紙に残っていれば、誰でも、後から確かめられる。

 「……役に立つかは、まだ分かりませんけど」

 リオネルは、ペン先で、自分の書いた行をたどった。

 「これだけは、言えます。この人の感知は、“広さ”じゃない。“細かさ”だ。離れていては、何も分からない。でも、触れるくらい近づけば、一つも外さない。広く見張る索敵役としては、失格でしょう。だから鑑定は、低く出した。けど――一点の異常を、ここまで正確に拾える人は、たぶん、上位生にも、そういません」

 取りこぼしのない記録だから、その形が、はっきり浮かんで見えた。

 戦えない男の手が、戦いの役に立つものを、初めて一つ、形にした瞬間だった。ペンを持つ手に、さっきより、少しだけ力がこもっていた。


 ユノは、自分の指先を見ていた。褒められているのに、嬉しそうではなかった。

 「……でも、当てられても、意味なんて、ないんです」

 小さな声だった。

 「前に、一度だけ、必死で言ったことがあるんです。訓練の魔物の様子がおかしい、檻の魔力が揺れてるって。……でも、誰も聞いてくれませんでした。気のせいだろう、一つ星が何を、って。……その後、檻が壊れて、何人か、怪我をしました」

 指先を、握り込む。

 「わたしは、分かってたんです。言ったんです。でも、声が小さいから、届かなかった。……それからは、もう、言わないことにしました。分かっても、黙ってるほうが、楽だから」

 その言葉が、妙に刺さった。

 分かっているのに、聞いてもらえない。間に合わない。――それが、どういうことか、俺は知っている。よく、知っている。


 「だから、記録してる」

 俺は、リオネルの帳面を指した。

 「今日のことは、全部、書いてある。お前が三つ当てたことも、整備係が見落としたことも。次にお前が『おかしい』と言ったとき、誰かが『気のせいだろう』と返しても、この帳面が、そうじゃないと言い返す。お前ひとりの、小さい声じゃ、なくなる」

 ユノは、帳面をじっと見ていた。

 「……信じて、もらえますか。これがあれば」

 「すぐには、無理かもな」

 嘘は、つかなかった。

 「でも、一回より二回、二回より三回。積み上げれば、無視するほうが難しくなる。時間は、かかる。だが、消えはしない」


 俺がやったのは、石を並べて、問いを作っただけだ。当てたのは、ユノ。記したのは、リオネル。俺は、何も“見て”いない。

 それで、いい。むしろ、そのほうがいい。俺ひとりが見えていても、それを誰かに握り潰されれば、それまでだ。何人かの手で、別々に確かめられたものは、握り潰しにくい。

 ただ――記録は、後から証明する。だが、戦いの最中には、後がない。ユノが一点を読んでも、それを、その場で、間に合うように誰かへ渡す手立ては、まだない。声の小さいユノが、戦場で「そこ」と言って、果たして届くのか。

 そこは、まだ、空いたままだった。いつか、誰かが、埋めなきゃならない。


 その日の実験は、それで終わりのはずだった。

 帰りぎわ、ユノが、ふと足を止めた。訓練場の、隅。

 「……あの」

 床を、指さす。

 「そこ、床下。魔力が、少しだけ、漏れています。ずっと前から、たぶん」

 俺も、リオネルも、その場所を見た。何も見えない。ただの、古い石床だ。

 ユノは、それ以上は言わなかった。言っても、どうせ信じてもらえない、という顔で。

 けれど、リオネルは帳面に、その一点を書き留めた。日付と、場所と。

 ――その一点が、いつか、どこかで効いてくる。

 そのときは、まだ、誰も知らなかった。

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