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第21話

第21話 外棟の朝


 外棟寮の朝は、本棟より遅い。

 誰も、急がない。急いだところで、行き先が変わるわけじゃない――そういう諦め方を、ここの連中は、入学してすぐに覚える。

 管理人室の前を通ると、ベルナさんが箒の手を止めて、俺を見た。

 「おはよう。……ふぅん」

 ベルナ・コール。五十を過ぎた、外棟寮の管理人だ。この寮で何年も、見込みなしと振り分けられた生徒の世話をしてきた人で、廊下も、洗い場も、生徒の沈み具合も、いつも同じ目の高さで見ている。口は悪いが、手は優しい。誰かが熱を出せば、いちばん先に気づくのも、退寮の荷物をいちばん静かに送り出すのも、この人だ。

 「目だけ死んでない子が、少し増えたね」

 箒を、また動かしはじめた。それ以上は、言わない。

 俺は、何も返さなかった。返す言葉を、持っていなかった。

 ただ――この寮の管理人が「死んでない」と言うのは、たぶん、ほめ言葉に近い。この寮では、目が死ぬのが普通だからだ。


 外棟寮は、本棟から一番遠い。

 鑑定で低く出た生徒。属性が中途半端な生徒。家のない生徒。「分類しきれない」と判を押された連中が、まとめてここに入れられる。期待されない場所には、期待されないなりの静けさがある。朝の食堂は、いつも、半分眠っているみたいに静かだ。

 その静けさの質が、少しだけ変わっていた。

 ユノが、ボルクに何か小声で話している。たぶん、昨日の訓練場の継ぎ目のことだ。ボルクは面倒くさそうな顔で、けれど最後まで聞いている。ニアは、その横で、誰かの破れた制服の袖を、黙って繕っていた。

 火喰い蜥蜴の前は、この食堂で、誰も誰の隣に座らなかった。それぞれが、それぞれの諦めを、ひとりで抱えて食っていた。

 今朝は、椅子の間が、少しだけ詰まっている。

 昇格したわけじゃない。何かを認められたわけでもない。ただ、隣に座る相手が、できただけだ。それだけのことが、この寮では、たぶん、小さくない。


 俺自身のことで言えば――昨夜、リシアに、初めて、あの話をした。一年前の、ロイの件を。

 話したからといって、何かが軽くなったわけじゃない。ただ、輪郭が、少しはっきりした。証明する、と口に出してしまった以上、もう、漠然と抱えているだけでは済まない。

 朝の光の下で見ると、自分の決意は、ずいぶん身の程知らずに思えた。一つ星の、F等級が。

 それでも、引っ込める気は、なかった。


 もっとも、寮の外では、何も変わっていない。

 火喰い蜥蜴を止めた話は、もう「偶然だ」「グレンが削った後だっただけだ」で片付けられている。本棟の昇格者の貼り紙に、外棟の名前はない。一つ星は、一つ星のまま。

 記録は残った。けれど、記録と序列は別だと、あの評定長が、はっきり言った通りだ。

 壁の向こうの世界は、こちらが何をしようと、まだこちらを勘定に入れていない。変わったのは、壁のこちら側。それも、椅子の間隔くらいの、わずかな話だ。


 その昇格者の貼り紙の隣に、もう一枚、新しいのが増えていた。

 学院中間評価。星位ランキング戦の、予告だった。

 日取りは、まだ先。だが本棟の連中は、もうその話で持ちきりらしい。班を組み、序列を競い、上位の星を奪い合う――学院が、生徒の格を正式に並べ直す場だ。すれ違う上位生の口から、誰が組む、どこが強い、という言葉が、何度も落ちてきた。

 ボルクが、貼り紙を見上げて、ぼそりと言った。

 「……俺たちは、出るのか? あれ」

 誰も、答えられなかった。

 一つ星に声がかかるとは、思えない。かかったとしても、数合わせだろう。そういう類の場だということくらい、ここの全員が、もう知っている。

 それでも、と俺は思った。

 もし出られるなら、あれは、火喰いの記録を「偶然」で済ませられなくする場になる。一度なら偶然でも、見ている前で、もう一度やってみせれば。実績で証明する、というのは、つまり、ああいう場で、ということだ。


 「出られるかどうかは、わたしたちが決めることじゃない」

 リシアだった。隣に来て、同じ貼り紙を見上げる。

 「でも――出ろと言われたら、出る。それくらいは、決めておいてもいいと思う」

 昔の彼女なら、こんな場所の評価になど興味はない、という顔をしていた。アルヴェインの娘なのに「正しくない結界」と切り捨てられ、外棟に流された娘だ。守られる側にいろ、と言われ続けてきた。

 その棘が、今は、少しだけ丸くなっている。昨夜、自分の傷を初めて声に出したやつの顔を、彼女は黙って見ていた。だからかもしれない。

 「あなたは?」

 「出ろと言われる前に、出られるようにしておく」

 リシアは、ほんの少し、笑ったようだった。

 「……あなたらしい」


 昼を過ぎて、マルクが外棟生を一室に集めた。

 外棟担当の教官だ。普段は事務的で、こういう呼び出しの理由を、いちいち説明しない。

 「外棟特別講師が、お前たちに用があるそうだ。……俺は、知らん」

 最後の一言だけ、少し含みがあった。それだけ言って、マルクは出ていった。

 部屋の中では、若い男が、机いっぱいに紙を広げていた。

 テオ・マクレイン。外棟特別講師の助手で、外棟生全員の能力記録を管理している男だ。年は、二十代の半ばくらい。一枚一枚を、几帳面に、種類ごとに並べていく。落ちこぼれの目録を作るような、淡々とした手つきだった。感情は、どこにもない。ただ、分けて、並べる。外棟生のひとりが、紙の一枚。それだけの分量に、収まっていた。

 その紙の束を、後ろから覗き込む男がいた。

 外棟特別講師、イザーク・ヴェルト。学院が“分類しきれない”と持て余した生徒を、まとめて押し付けられている男だ。年は五十近い。皺の寄った上着の、袖口がインクで汚れている。

 その目が、机の上を端から端まで滑った。俺たち一人ひとりの顔を見るより先に、紙のほうを見る男だった。

 「鑑定が“使えない”と判を押した連中だ。普通なら、見る価値もない」

 紙を、一枚めくる。また一枚。

 「だが、その“使えない”のが、変異種を一頭、止めている。鑑定の判が正しいなら、起きるはずのないことだ」

 火喰い蜥蜴の記録を、指で引き寄せた。あの戦いの一部始終が、誰かの手で、几帳面に書き留められている。

 そして、喉の奥で、笑った。

 「星位ランキング戦までに――欠陥品の棚卸しを、済ませておくか」

 欠陥品。

 俺たちを、まとめてそう呼んだ。

 ユノが、目を伏せた。ボルクの眉が、寄った。その呼び名は、ここにいる全員が、これまで何度も投げつけられてきた言葉だ。今さら、傷つきはしない。けれど、心地よくもない。

 だが、イザークの言い方は、それまで聞いてきたどれとも、少し違った。

 グレンの侮りには、熱があった。評定長の保留には、冷たさがあった。この男の声には、そのどちらもない。値踏みでも、見下しでもなく、ただ、面白がっている。奇妙に平らな声だった。

 馬鹿にしているのか、見込んでいるのか。

 どちらなのか、俺には、まだ読めなかった。

 他人の見落とすものなら、たいてい見えるはずの俺に、この男だけは、最初の一目では、何も読ませなかった。

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