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第二話

第二話 《天断ち》の煙管



その旅の男は、目を覚ますなり、煙管をくわえた。


脇腹は、晒しの上からでも分かるほど、深くやられている。三日も眠って、起きて最初の用事が、煙草だ。


——死にかけた人間の、顔じゃないな。


ゆうべのことは、もう村じゅうに広まっていた。F等級の素材屋の小僧が、ガロでも持て余した異常魔核を、素手で冷ましてみせた、と。


すれ違う大人の目が、昨日までと、少し違う。気味の悪いものを見る目だ。同情でも、嘲笑でもない。それはそれで、面倒だった。


その朝、母さんは、薬包を一つ、俺に持たせた。


「あの旅の人に、届けてあげて。脇腹の傷、まだ塞がっていないから」


だから、俺は、診療小屋に来ている。


俺は、その薬包を、縁台の端に置いた。


男の手は、傷だらけだった。古い切り傷の上に、新しいのが、幾重にも重なっている。指の節が、太い。それなのに、煙管を持つ手つきだけは、妙に丁寧で、危なげがなかった。


あれだけ脇腹をやられて、三日も寝込んで、この落ち着きだ。痛みを、痛みと思っていないように見える。


普通じゃない。火を見るより先に、それだけは、分かった。


「親父さんに、礼を言っといてくれ」


男は、こっちを見もせずに言った。声は、かすれているのに、妙に、よく通る。


「火が、ねえんだ。坊主、火種は持ってるか」


火種。


その言い方が、ほんの少し、引っかかった。火打ち石のことを言ったのか、それとも——まあ、どっちでもいい。


「火なら、出せます」


俺は、煙管の雁首に、指を近づけた。


詰められた煙草の葉に、熱を通す。いつもの竈と、同じだ。燃やすんじゃない。ここを、熱くする。


葉が、芯から、じわりと赤くなった。


表面から火が回るんじゃない。内側の一点が、先に赤くなって、そこから、ゆっくり広がっていく。煙が、細く、まっすぐに立った。


男の手が、止まった。


煙管をくわえたまま、男は、その火を、じっと見ている。さっきまで気のなかった目が、すっと細くなった。


「……ほう」


それだけ言って、男は、一口、深く吸い込んだ。


紫の煙が、ゆっくりと立ちのぼる。男は、それを目で追いながら、何でもないことのように聞いてきた。


「坊主。前線の方が、近ごろ、おかしなことになってる。聞いてるか」


「……魔物が、増えてるって」


「それだけなら、まだいいんだがな」


男は、そこから先は言わなかった。ただ、煙管を、もう一口。


俺は、ゆうべの魔核を思い出していた。あの、冷めない熱。芯から焦げた木片。——同じ匂いが、この男の言い方にも、あった気がした。



「ゼクト」


背中で、声がした。


親父だった。片足を引きずって、診療小屋の戸口に立っている。素材を取りに行くときの道具も、何も持っていない。


男——ゼクトと呼ばれたその人が、煙管を口から離して、ゆっくり振り向いた。


そして、笑った。


「よう、師匠。久しぶりだな」


親父は、すぐには答えなかった。ゼクトの顔から、晒しを巻いた脇腹へ、それから自分の片足へと、視線を一度だけ動かす。何かを、確かめるみたいに。


「……生きてたか」


「あんたに助けられた命だ。そう簡単には、死ねねえよ」


ゼクトは、軽い口ぶりで言ってのけた。けれど、その一言の下に、何か重いものが沈んでいるのは、俺にも分かった。


師匠。


俺は、親父の顔を見た。親父は、いつもの仏頂面のまま、何も言わない。


師匠、と。この男が、親父を、そう呼んだ。


村で素材屋をやっている、片足の、うちの親父を。


縁台の向こうで、薪を割っていた退役冒険者の一人が、手を止めていた。斧を握ったまま、ゼクトの横顔を見て、口を半分、開けている。何か言おうとして、声にならないらしい。


「《天断ち》……」


その人が、そうつぶやいたのが、聞こえた気がした。


意味は、分からない。ただ、その名を口にした声が、はっきりと、震えていた。


それで、なんとなく、分かった。


この男は——村に流れてくるような、ただの前線帰りじゃ、ない。


そして、その男が「師匠」と呼ぶ、親父も。


俺の知っている親父は、片足を引きずって素材を仕分けする、無口な素材屋だ。昔のことは、ほとんど話さない。前線にいたことがあるらしい、とは聞いていた。聞いていたのは、それだけだ。


その親父が、こんな男に、師匠と呼ばれている。


俺は、自分の親父のことを、本当は、何も知らないのかもしれなかった。



ゼクトは、煙管の灰を縁台の角で落とすと、俺の方へ、顎をしゃくった。


「ゆうべの魔核。あれを冷ましたのは、坊主、お前か」


「……はい」


「どうやった」


試すような聞き方じゃ、なかった。ただ、知りたい、という顔だ。


俺は、少し迷ってから、答えた。どうせ、火種が何を、と笑われる。それも、慣れている。


「あれは、外から焼いても、無駄でした。表面が焦げるだけで、中の熱は引かない。それどころか、中で、まだ燃えてた。だから」


「だから?」


「中の熱を、外へ逃がしました。少しずつ。一気にやると、たぶん、弾けるんで」


ゼクトは、しばらく、黙っていた。


それから、煙を細く吐いて、言った。


「お前の鑑定、《火種》だな」


「……はい。F等級です」


「F等級が。魔核の中の熱が見えて、逃がし方まで分かる、と」


「……見えてる、わけじゃ、ないです。なんとなく、こっちに熱が多いとか、ここが逃げ場だとか、それが分かるだけで」


「いつからだ」


「物心ついた頃には、もう。火って、そういうものだと、思ってました」


ゼクトは、ふっ、と息だけで笑った。


「そりゃあ、誰も教えちゃくれなかっただろうな。火種に、そんな使い方があるなんて」


俺は、何も言えなかった。


そう言われてみると、確かに、おかしい。火を灯すだけのはずの能力で、なぜ、見えないはずの中の熱まで分かるのか。自分でも、説明できない。ずっと、考えないように、してきた。


ゼクトの目が、また細くなる。さっき、煙管の火を見たときと、同じ目だった。


見られている、と思った。


火種、と笑う目じゃない。気味悪がる、村の大人の目でもない。もっと——奥の方まで、見透かそうとする目だ。


俺の見ているものを、この人は、たぶん、本気で見ようとしている。


それが、少しだけ、怖かった。そして、その怖さの裏に、別の何かがあることに、俺は気づかないふりをした。



ゼクトは、煙管をしまうと、親父の方を見た。


「師匠」


縁台から、立ち上がる。脇腹の傷のことなど、忘れてしまったような、軽い動きだった。


「この坊主、王都に出した方がいい」


親父は、答えない。


「《火種》だなんだと、こんな村で腐らせるには、惜しすぎる。あの目は、教わって身につくもんじゃない。あんたなら、分かってるはずだ」


親父は、しばらく、俺を見ていた。


それから、ぽつりと、こう言った。


「……それは、レンが決めることだ」


俺に言ったのか、ゼクトに言ったのか、分からなかった。


王都。学院。鑑定で、火種、と笑われた、この俺が。


頭の隅を、ロイの背中が、よぎった。もう前には立てない、あの背中。あのとき、俺の見たものが、誰かにちゃんと届いていたら。届けるだけの、何かが、俺にあったなら。


その先は、考えないことにした。まだ、何も決めていない。決めていいのかどうかも、分からなかった。


返事に詰まる俺の目の前で、ゼクトの煙管から立ちのぼる煙が、すうっと、横へ流れた。


戸も窓も閉まった、診療小屋の中だ。


風なんて、どこにも、吹いていなかった。

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