第一話
第一話 火種と判定された日
赤黒い殻が、脈を打っていた。
火を撃てば撃つほど、そいつは硬くなる。上位生たちの炎は、もう一滴も残さず喰われていた。坑道の天井から、灰がぱらぱらと落ちてくる。
隣で、誰かがまだ火を出そうとして、別の誰かに腕を掴まれていた。
「燃やすな」
俺は、前に出た。
「これ以上、熱をやるな。——閉じ込めるんだ」
F等級が何を言っている。そういう目が、いくつか俺に向いた。慣れた目だ。ずっと、向けられてきた。
ただ、もう、火で殴る手は、誰にも残っていない。残っているのは、俺の見立てだけだった。
最弱と判定された俺の《火種》が、その日、初めて——本当の意味で、武器になった。
これは、そこへ至るまでの話だ。三ヶ月、さかのぼる。
村の集会所は、朝から人で埋まっていた。
年に一度、王都から巡回の鑑定官が来る。今年で十五になった子供が、鑑定盤に手を置く日だ。スキルの名前と、等級と、適性が出る。その三つで、この先の暮らしのだいたいが決まる。仕事も、嫁ぎ先も、村での見られ方も。
俺を入れて、五人。
最初に呼ばれたのは、鍛冶屋の倅だった。盤に手を置くと、石が青く光る。
「《硬化》。C等級。前線でも食っていける」
鑑定官が、初めて顔を上げた。倅の親父が、太い声で笑う。村の男たちがうなずいた。倅は席に戻りがてら、俺の横を通って、口の端だけで笑った。
……まあ、そうなるよな。
次の子は《俊足》のD。その次は《照明》のE。それでも、みんな顔は悪くない。Eでも、戦えなくても、村で暮らす分にはやっていける。
盤に手を置くと、ほんの一瞬、縁が、その子の出すスキルの色にちらつく。火の子なら赤、風の子ならうっすら緑。俺は毎年、それを人垣の外から眺めてきた。今年、ようやく、自分の番が回ってくる。
どう光るかは、正直、もう見当がついていた。
俺の番が来た。
盤は、ひやりと冷たかった。手を置く。
ぼう、と——青でも赤でもなく、灰色に光った。
「《火種》」
鑑定官は、もう手元の帳面に目を落としていた。
「F等級。生活補助。火を灯す程度。戦闘適性、なし」
それから、ほとんど俺を見ないまま、付け加えた。
「素材屋の子か。なら、家を継ぐといい。手に職だ。悪い話じゃないぞ」
集会所が、ざわついた。気の毒そうな息が、半分。こらえきれない笑いが、半分。
俺は、驚かなかった。
火しか出せないことくらい、自分の手と十五年つき合えば、嫌でも分かる。竈の火を起こす。湿った薪を乾かす。母さんの薬を、ほんのり温める。それが、俺の《火種》だ。
ただ。
ここにいる誰も、知らないことがある。
俺の灯す火は、触れたものの表面を、焦がさない。
薬瓶を温めても、中身だけがぬるくなって、ガラスは冷たいままだ。なぜそうなるのか、俺は説明できない。説明できないから、ずっと黙ってきた。言ったところで、火種は火種だ。
盤の灰色は、もう消えていた。
帰り道、親父は何も言わなかった。古い傷で片足を少し引きずりながら、俺の半歩前を、黙って歩く。村で素材屋をやってはいるが、昔のことを、親父はあまり話さない。
母さんが、俺の背に手を当てた。
「鑑定はね、便利な道具よ」
少しだけ、間があった。
「でも、便利な道具ほど、見ていないものがあるの。覚えておきなさい」
慰めだと思った。そのときは、まだ。
その夜、村の鐘が鳴った。
前線から、負傷者が一人、運び込まれた。脇腹を深くやられた、旅の男だ。煙草と血の匂いをさせて、診療小屋の奥で気を失っている。顔は、外套の影でよく見えなかった。
このところ、前線帰りの数が、増えていた。村の周りでも、見たことのない魔物の死骸が見つかる。持ち込まれる魔核も、どこか、手触りが変わってきていた。親父は「気のせいだといいがな」と一度だけ言って、それきり、口をつぐんだ。
だが、今夜、村が騒がしいのは、男のせいじゃなかった。
男が背負ってきた荷の、ひとつだ。
「冷めねえんだよ、これが」
集会所に運び込まれた革袋を囲んで、男たちが顔をしかめていた。中身は、魔核——魔物の心臓だ。抜いてしばらくは熱を持つが、ほうっておけば冷める。火を落とした鍋が冷めるのと、同じだ。
これは、冷めなかった。
二重に巻いた革ごしでも、はっきり熱い。袋の内側が、薄く焦げ始めている。近づくと、頬に熱を感じるほどだった。
俺は、人垣の後ろから、それを見ていた。
赤黒い。普通の火属性の魔核なら、もっと澄んだ赤をしている。この色は、違う。一年前に一度だけ見た色に、よく似ていた。
胸の奥が、ざわついた。あのときと、同じだ。
「焼いて潰すしかねえだろう」
声を上げたのは、ガロという、村の若い衆だった。火属性のD等級で、村ではそこそこ名の通った使い手だ。
「異常魔核は、火で焼いて無害化する。前線じゃ、みんなそうしてる」
誰も止めなかった。止められる者が、いなかった。
ガロが、手のひらに火を集める。袋を開けて、むき出しの魔核へ近づけた。
じゅう、と音がした。表面が焦げ、黒い筋が走る。
——焦げる。表面だけが。
中の熱は、引かない。それどころか、焼かれた分だけ、ふくらんだように見えた。赤黒い色が、一段、濃くなる。
「効いてねえぞ」
誰かが言った。
「もっとだ。中まで火を通せ」
火が、また強くなる。表面の焦げが、赤を通り越して、白っぽくなっていく。
そのとき、魔核が、脈を打ち始めた。
ずく、ずく、と。間隔が、だんだん短くなっていく。袋の中で、生き物みたいに。
——これは、まずい。
気づいたら、人垣をかき分けて、前に出ていた。
「待ってくれ。その火を、止めてくれ」
男たちが振り返る。F等級の素材屋の小僧が何を、という顔。一日に何度も見た顔だ。さすがに、見飽きた。
「外から焼いても、無駄だ。むしろ、悪くなる」
ガロの手は、止まらなかった。
「じゃあどうしろってんだ。お前が触るのか? その火種で?」
笑い声が起きた。一人じゃなかった。
俺は、答える代わりに、しゃがんで、魔核を間近に見た。
焼かれた殻のへりが、内へではなく、外へ向かって反り返り始めている。中の何かに、押し出されている。脈の間隔は、もう、人の息継ぎより短い。
熱が、出口を探していた。このまま殻の中にたまり続ければ、じきに、殻が耐えきれなくなる。行き場をなくした熱が、一度に弾ける。——この、人で埋まった集会所の、真ん中で。
母さんの言葉が、勝手に頭で鳴った。外側だけ見るな。内側の変化を見ろ。
「割れる」
俺は言った。短く。
「その火を、今すぐやめろ」
何かを察したのか、ガロが火を引いた。
誰かが、じり、と後ろへ下がる。つられて、人垣が、半歩、退いた。火を引いても脈打ち続ける魔核を前に、今度は、誰も笑わなかった。
それでも、脈は止まらない。さっき焼かれた殻が、熱の蓋になっていた。蓋をして火にかけ続けた鍋と、同じだ。中の熱は、もう、出る場所を失っている。
時間がない。
俺は、魔核に、指を伸ばした。
「やめろっ、焼け死ぬぞ!」
誰かが叫んだ。
——それは、たぶん、ない。
なぜか俺は、自分の出す熱でも、こういう熱でも、焼かれない。昔から、そうだった。竈に手を突っ込んでも平気だと知ったとき、母さんにだけ、こっそり話した。母さんは、止めなかった。ただ「人前ではやめなさい」と、そう言っただけだった。
指先が、殻に触れた。
熱い。けれど、痛くない。
火は、出さない。足りないからじゃない。逆だ。多すぎる。熱が、多すぎる。
俺のやることは、いつも逆だった。竈の火を起こすときも、「燃やす」つもりはない。「ここを、熱くする」と思うだけだ。なら——その逆も、できるはずだった。
ここの熱を、別のところへ、送る。
魔核の中で暴れている熱を、指先を通して、引いた。床の石へ。その下の、冷たい土へ。
いっぺんに引けば、たぶん、床石が割れる。割れた弾みで、また熱が暴れ出す。だから、細く。糸を引くみたいに、少しずつ、外へ。
脈の間隔が、ゆっくりになっていく。
ずく……ずく……と、間延びして。
赤黒かった色が、ただの赤に戻る。赤が、鈍く、沈んでいく。
俺の手のひらの下で、床石が、じわりと温くなった。熱は、消えたわけじゃない。移っただけだ。床から、土へ、土から、夜の外へ、逃げていく。
最後に、ずく、と一度だけ脈打って——止まった。
俺は、魔核から手を離した。
冷めていた。焼け焦げた一点をのぞけば、焦げ目ひとつ、ついていない。手のひらの中で、ただの、黒ずんだ石ころに戻っていた。
集会所が、静かになった。
昼の鑑定式と、同じ静けさだった。ただ、中身が、まるで違う。
ガロが、何か言いかけて、やめた。二度、口が動いて、二度とも、音にならなかった。
……まずいな、と俺は思った。
誇る気には、ならない。F等級が、D等級の手に負えなかったものを、素手で片づけてしまった。明日からまた、見られ方が、面倒になる。それだけのことだ。
「レン」
母さんだった。いつのまにか、土間の隅に立っていた。
母さんは、焚き口のそばから、細い木片を一本つまみ上げて、俺に差し出した。
「いつものを、やってごらん。竈の火を起こすときの、あれ」
言われるまま、受け取る。握った木片に、指先から、ほんの少しだけ熱を通した。竈の前で、毎朝やっていることだ。難しくもなんともない。木がじんわり温まって、すぐに、焦げ臭いにおいがしてきた。
母さんは、それを俺の手から取り上げると、ぱきり、と半分に折った。
折れた断面を、火明かりにかざす。
「ねえ、レン。よく見て」
母さんの声は、いつもどおり、柔らかかった。柔らかいまま、こう続けた。
「あなたの火はね。表面から、燃えていないの」
木片の表面は、焦げ目ひとつなく、白いままだった。
なのに、折った断面の——ちょうど芯のところだけが、内側から、茶色く焦げている。外側は、指でつまんでも、まだ熱くもないのに。
外を焼かずに、中にだけ、熱が通る。
そんな火の点け方をしているつもりは、俺には、なかった。ただ「温かくしよう」と思っただけだ。村のみんなと、同じように。
——違ったのか。ずっと、俺だけ。
その焦げ方を、俺は、知っていた。
一年前。村に、初めて冷めない魔核が運び込まれた夜。割って中をあらためたとき、あれも、外側は無事なまま、芯だけが、内から焦げていた。
あのとき俺は、その魔核の熱を見て、村のみんなに訴えた。前線の浅い場所で、何かがおかしくなっている。こんな魔核が出てくるのは、その印だ——と。
誰も、取り合わなかった。等級も持たない、素材屋の子供の言葉だったから。
ただ一人、ロイだけが、違った。
ロイは、俺より四つ年上の、前線で戦う冒険者だった。素材屋の子供を半人前あつかいする村で、俺の見たものを笑わずに聞いてくれる、ただひとりの相手だった。
「なら、俺が確かめてくる」
そう言い残して、ロイは前線へ発った。
俺の見立ては、当たっていた。ロイは、その異変に呑まれて——二度と、前には立てない体になって、戻ってきた。
母さんが、俺を見ている。何かに気づいたとき、母さんはいつも、答えを言わない。ただ、こうして、俺の目を、じっと見る。
折れた木片の芯から、細い煙が、まだ一筋、立ちのぼっていた。
あの夜と、同じ熱だ。




