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第16話

第16話 熱の逃げ道


言い終えるより先に、頭の中では、配置が組み上がっていた。

時間はない。獣が向きを変えきるまでの、ほんの数十を数える間に、やることを全部、割り振る。

「火は、もう誰も使うな。あいつの餌になるだけだ」

俺は、早口で続けた。「あいつは、食った熱を、殻の下に溜め込んでる。なら、その熱を、逃がさない。閉じ込めて、殻の内側で、暴れさせる」

皆が、俺を見ていた。一つ星の、外棟の、F等級の俺を。だが、今は、誰も、笑わなかった。

火が効かないと、たった今、全員が目の前で見せられたばかりだった。笑える者は、もういない。残っているのは、ほかに手があるのか、というすがるような視線だけだ。

あるかどうかは、まだ分からない。だが、何もしなければ、この閉じた坑で、全員が焼かれる。それだけは、はっきりしていた。やる。


「リシア」

名を呼ぶと、立ち上がったばかりの彼女が、まっすぐ俺を見た。

「お前の膜で、あいつの体のまわりに、境目を作れ。熱の逃げ道を、塞ぐんだ。さっき突進を逸らしたのと、同じだ。力を、押し返さなくていい。ただ、熱が通る場所を、なくしてやれ」

「……熱の、逃げ道」

リシアの目から、迷いが、一瞬で消えた。「分かりました。わたしの薄膜なら、それは——できます」

「ボルク」

大柄な男が、無言で、一歩前に出た。

「あいつは、また突っ込んでくる。お前が、受けろ。倒さなくていい。押し返さなくてもいい。ただ、あいつの体を、一瞬でいいから、同じ向きで、止めてくれ。俺が狙う場所を、動かさないために」

ボルクは、短く頷いた。「……壁になればいい、ってことだな」

「ああ。お前にしか、頼めない」

「ニア」

「ボルクですね」少女は、もう、ボルクの隣へ動いていた。「受けたあとの、息と、体の負荷。わたしが、見ます」

最後に、まだ壁ぎわで膝をついている男へ、目を向けた。

「グレン」

びくり、と肩が動いた。命令されること自体が、初めてなのだろう。それも、見下してきた相手に。

「お前の炎は、もう撃つな。だが、あいつは、お前に執着してる。さっき、二度も熱をくれてやった、お前に」

「……何が、言いたい」

「囮になれ。お前の立つ場所へ、あいつを突っ込ませる。来た線の上で、ボルクが受ける。お前は、動くな」

グレンの顔が、屈辱に歪んだ。火属性の名門の三つ星が、囮。それも、自分の炎が一片も通じなかった獣を、ただ突っ立って引きつけるだけの役。

「……一つ星の指図で、この俺が、囮を張れと」

「いやなら、別の手を考える。だが、時間がない」

俺は、目を逸らさずに言った。「あんたの炎は、ここでは効かない。だが、あんたが引きつけてきたその執着は、使える。今ここで、いちばん獣を引きつけられるのは、あんただけだ」

歪んだ顔のまま、グレンは、しばらく俺を睨んでいた。それから、ゆっくりと、立ち上がった。

「……一度だけだ」

ぶっきらぼうに、そう言った。「外したら、承知しないからな」

従った、のだ。火力こそが格だと、信じきっていた、あの男が。

後ろでは、カイラが、浮き足立った上位生たちを、低い声で抑え込んでいた。手出しはさせない。下手に動けば、リシアの境目も、ボルクの足場も、崩れる。半端な助けが増えるより、邪魔をしない者がいるほうが、いまは要る。カイラは、それを分かっている大人だった。


「ユノ。あいつの殻の、いちばん脆いところを教えてくれ。鱗の合わせ目でも、古い傷でも、なんでもいい。それと、奥の——熱が溜まってる芯の場所も」

ユノは、こくりと頷いて、目を閉じた。耳のいいこの子は、見えないものの揺れを、聴く。

「……右の前脚の、つけ根。鱗と鱗の、合わせ目です。そこが、いちばん、薄い。……あと、お腹の底のあたりに、熱の、いちばん濃い塊。たぶん、そこが、芯、です」

場所が、見えた。あとは、組み上げるだけだ。


土煙が晴れ、獣が、こちらへ向き直った。赤黒い頭が、迷わず、グレンを捉える。

「来るぞ」

グレンが、足を踏ん張った。逃げ出したい衝動を、全身で抑え込んでいるのが、横からでも分かった。

動くな、と言ったのは、俺だ。だが、迫る巨体の正面に、自分から立ち続けるというのは、命令されてできることじゃない。最後は、本人が、堪えるしかない。

グレンは、堪えた。歯を剝き、足を開き、逃げずに、その場に立ち続けた。さっきまで一つ星を見下していた男が、いまは、その一つ星の読みに、自分の命を、預けている。

獣が、地を蹴った。

「ボルク!」

叫ぶより早く、ボルクは、もう動いていた。グレンの前へ巨体を割り込ませ、両腕で、突進の頭を、真正面から受け止める。

受け止める、というより——足を地に縫いつけ、流されながら、向きだけを、殺した。ずるずると後退しながら、それでも、獣の頭を、同じ角度で、押さえ込んでいる。腕が、軋む音がした。

灼けた殻が、ボルクの腕の皮を、じりじりと焼いていく。それでも、腕は、外れなかった。歯を食いしばり、足の裏で岩を噛むようにして、巨体を、一点に、留め続ける。倒すための力じゃない。動かさないための力だ。守るために生まれてきたような、この男にしか、できない受け方だった。

「ニア!」

「もう、やってます!」

ニアの手が、ボルクの背と脇に当てられ、強張った筋と、上がった息を、手早く整えていく。崩れかけたボルクの足が、また、踏みとどまった。

「リシア、今だ!」

リシアが、両手を広げた。淡い膜が、何枚も、獣の体のまわりに立ち上がる。だが、壁としてではない。鱗のひとつひとつ、熱が逃げ出そうとする隙間のひとつひとつへ、薄い膜が、ぴたりと張りついていく。境目を、閉じる。熱の、出口を、塞ぐ。

獣のまわりで揺れていた陽炎が、行き場をなくして、内側へ、押し戻されはじめた。

額に、汗が浮いていた。壁を張るのとは、わけが違う。逃げる熱の道筋を読み、その一つ一つに、ちょうどの大きさの境目を、ちょうどの角度で当てていく。一枚でも緩めば、そこから熱が抜ける。リシアは、唇を結んで、何十という境目を、同時に、保ち続けていた。

出来損ないと言われ続けた力が、いま、獣を、内側から追い詰めている。

ボルクが角度を、ニアがそのボルクを、リシアが熱を。それぞれが、それぞれの一点を、持ちこたえていた。あとは、俺の番だ。


今だ。

俺は、ボルクが固定した右前脚のつけ根——ユノの言った、あの合わせ目へ、意識を伸ばした。手が届く距離じゃない。だが、俺の熱は、触らなくても、届く。

火は、点けない。点ければ、あいつの餌になる。

やるのは、逆だ。その合わせ目の、ほんのひと筋の鱗だけを、内側から、熱する。そこだけを。まわりは、冷えたまま。一点だけが灼けて、膨らもうとする。まわりの冷えた殻は、膨らまない。

熱いところと、冷たいところ。その境目に、ひずみが生まれる。

獣が、その熱に気づいた。いつものように、吸い込もうとする。だが、その熱は、餌として差し出されたものじゃない。殻そのものの内側で、行き場をなくして暴れている熱だ。吸い込む口が、ない。

リシアが塞いだ逃げ道の中で、溜まった熱と、俺が一点に集めた熱とが、せめぎ合う。

一点を熱し続けるのは、坑をまるごと温めるより、ずっと難しい。逃がさず、散らさず、その鱗一枚の内側だけに、熱を押し込み続ける。少しでも気を緩めれば、熱はまわりへ流れて、薄まってしまう。額の裏が、痺れるように熱い。それでも、手を、止めなかった。

合わせ目の鱗が、灼けて、軋んだ。

冷えた隣の鱗は、動かない。

そのあいだの境目で——


ぴき、と、小さな音がした。

ユノが、ぱっと顔を上げた。

「……今の。継ぎ目に、細い、ひびが、入りました」

赤黒い殻の、右前脚のつけ根。鱗と鱗の合わせ目に、髪の毛ほどの、亀裂が、走っている。

どれだけ燃やしても傷ひとつつかなかった殻に、初めて、罅が、入った。

小さい。髪一本ぶんの、罅だ。だが、ゼロと、ゼロじゃないのとでは、まるで違う。燃やして増やした硬さの中へ、たった今、まるきり別の理屈で、最初の綻びを、こじ入れた。

道筋が、見えた。あとは、この一本を——広げるだけだ。

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